いつかのわたしたちが夢みた夜に

 どこかから、シャン、と鈴の音が鳴ったような気がした。目の前には大きなクリスマスツリー。そして周りには煌びやかなイルミネーション。冷え込んだ冬の夜は普段ならもの寂しさも感じるけれど、今日はどこか浮き立つような、わくわくとした心地に包まれる。

「寒くない?」
「うん。お酒も飲んだからか、ちょうどいいかも」

  頬の上を滑る夜風が、火照った頬を冷ましていくようだ。十二月二十五日、クリスマス。この日にプレゼントを送り合う習慣がないわたしたちは、ささやかなお祝いとしてクリスマス限定のディナーメニューをいただくことにした。こぢんまりとした店構えだが、美味しい料理と暖かな接客が好ましいお気に入りのお店だ。
 独創的な盛り付けがされた六種類ほどのアミューズ。オードブルは華やかな仕上がりで、スープは野菜の甘みと旨みが凝縮された豊かな味わいだった。そのあとは丁寧焼かれたお魚のポワレと、低音でしっとりと仕上げられたお肉。デセールの前にはフロマージュの盛り合わせもあり、かなりの量だったけれど、どれも美味しくて最終的にはぺろりと食べてしまった。普段はあまり飲まないお酒も、料理と合わせたペアリングのワインが飲みやすかったため、すっかりほろ酔い気分である。
 お店を抜けた先には広場のようなところがあって、大きなクリスマスツリーが飾られている。その存在感に、わたしは思わずほうっと息を吐いた。深い緑色に、シャンパンゴールドのライトやオーナメントがよく映えていて眩しい。もう夜も遅くなってきたというのに、その美しさゆえかツリーの周りにはまだまだ人が多く集まっている。わたしは傑の大きな手に引かれ、さらに近くでそれを眺めた。

「こっちのが見える?」
「うん、ありがとう」
「毎年テーマカラーがあるんだって。ちなみに今年はゴールドらしい」
「なるほど、通りで。お洒落で綺麗だなって思ったの」

 大きなツリーには様々なオーナメントが飾られていて、ボール型やドロップ型、雪の結晶や花の形をしたモチーフオーナメントが光を反射させて輝いている。見ているだけでどこか胸の奥もきらきらとしてくるので、まるで魔法のようだ。そのときめきは恋をしているときと似ていると思う。
 心惹かれるように、わたしたちはしばらくそれを眺めた。すると不意に傑がわたしの背後に立つように移動して、ぴたりと背中に寄り添う。

「どうしたの?」
「少し冷えてきたかなって」
「あ、ごめんね。もう行こうか?」
「ううん。もう少しこのままがいい」

 ツリーを見上げたまま傑は言った。わたしがこの美しい景色に胸を躍らせたように、彼もまた同じように思っていてくれたらいいなと思う。そして今日の日が、彼にとって小さな幸せのひとつであってくれたらとも。一番でなくたっていい。いつか忘れてしまってもいい。なぜだかはわからないけれど、毎年そんなふうに思うのだ。
 ツリーを眺める傑を盗み見る。すると視線に気付いた彼が、「ん?」と首を傾げながらわたしを見下ろした。少し照れくさくなって「なんでもない」と答えると、彼はどこか神妙な面持ちを浮かべる。

「ねえ、なまえ」
「うん?」
「好きだよ」
「え? な、なに、急に……」
「見てたらなんか、言いたくなった」
「もう……びっくりするからやめてよ」
「ついでに言うとキスもしたい」
「そ、それはだめ!」

 少なくなってきたとはいえ、周りには人がいるというのに。思わずパッとマフラーでくちびるをガードすると、傑は「わかってるよ」と苦笑いを零した。

「でもね、本当に今なまえの顔を見てたら言いたくなったんだよ」
「うん……」
「そうでなくてもいつも思ってるけどさ」
「待って、待ってよ……そんな急にいっぱい言われたら……困る」

 寒さを忘れてしまうくらい、わたしの顔は熱を帯び始めていた。ツリーに夢中で誰もわたしたちのことなんて気にしていないだろうが、急に恥ずかしくなってわたしは傑の手を取って輪から遠ざかる。

「いいの?」
「もう、いっぱい見たから。帰ろう」

 わたしたちの家に。しかし傑は引き止めるようにしてわたしの手を引き、そっと後ろから抱き寄せた。ふわ、と暖かな体温に包まれる。そうして耳元に彼のくちびるが寄せられた。

「あのさ……言ってなかったんだけど、今日ホテル取ってある」
「えっ? そうなの?」
「たまにはいいかなって。だから、家に帰るのは明日。……いい?」

 いいもなにも、せっかく予約をしてくれたのに断るはずもない。わたしはくるりと背後を振り返って傑を見やった。

「ありがとう……嬉しい」
「良かった。寒いからもう行こうか。手が冷たくなってきてる」

 そういう傑の手のも幾分か冷えてきていた。お互い熱を分け与えるように指先が絡み合い、引かれる。

「す、傑っ」
「ん? どうかした?」
「わたしも、好きだよ……」
「……」
「今言わなくちゃ、って思って、っうわ!」

 大きな力に引き寄せられて、わたしの体はぐらりと傾いた。そうして傑の方へと倒れ込み、力強く抱き寄せられる。突然のことに驚いて固まっているうちに、彼の腕に力がこめられた。

「……それは反則だろ」

 耳元で傑が囁く。心做しかどこか照れている様子だった。最初に言ってきたのは彼だというのに。

「傑が言い始めたんだからね」
「私はいいんだよ」
「なにそれ、狡い」

 不満を露わにして見上げると、傑は笑ってわたしの頬に触れた。そうして鼻先がちょんとぶつかる。キスは駄目って、言ったのに。
 遠くから人声と鈴の音が聞こえる。わたしはそれに耳を傾けながら、目を閉じて彼の背に腕を回した。



prev list next

- ナノ -