Romantic Nightmare

▼ ティータイム


 公園を抜けて住宅街に入ると、国道を走る車の騒音が遠ざかって、各家庭の生活音が微かに聞こえるだけの静かな空間が続く。幼い子供がなにか悪戯でもしたのか、母親の平和な怒号がどこからか響いて来た。
 それを聞いた瞬間、荊兎が僅かに身を縮め、優真の腕に縋った。

「窓でも開いてんのかってくらいよく聞こえて来たな」
「開いてるのかもね。いまの声、確かいつも赤ちゃんと幼稚園くらいの兄妹をつれてるお母さんだったと思う。塾の帰りに商店街でよく会うんだ」

 荊兎の肩を抱いて宥めながら、淡々とした口調で優真が答える。それを見て、大翔も荊兎の頭を撫でて大丈夫だと囁き、反対側の手を握った。

「家、もうすぐだよな」
「うん。えっと、ここを曲がって……あった」

 家が見えたことで荊兎の足が少しだけ早くなる。それを繋いだ手で感じ取った二人は笑みを浮かべながらついていった。

「ここだよ」

 門前で振り返った荊兎の背後に建つ花咲家は所謂庭付き一戸建てというもので、この近辺では珍しくないものの、その中でも新しいほうの家だった。近代的な二階建てで、二階部分を見上げると小さなバルコニーが見える。薄い灰色の壁に黒い屋根と扉という重い配色の中、窓に揺れる白いレースのカーテンが柔らかさを添えている。

「優真んちと似てるな」
「うちはもう少し広いけど、ここまできれいじゃないよ」
「お兄ちゃん、ただいまー」

 二人がそれぞれ感想を並べている端で、荊兎が玄関を引き開け家の中に向かって声をかけた。ドアノブと頭の位置がほぼ同じで、扉を開ける際も全身で引いていたのを見て大翔が駆け寄り、後ろから扉を支える。

「はるちゃんありがとう」

 真上を見上げてお礼を言ったところへ、奥から足音が向かってきた。
 優真も二人に並び、荊兎の新しい家族を真っ直ぐにとらえる。画像で見た以上に背が高く、作り物のように整っていながら目元は柔らかく、優しげな面差しの青年だ。

「おかえり、荊兎。そちらがさっきメールで教えてくれたお友達かな」
「うん、はるちゃんとゆうちゃんなの」

 悠が二人に目をやると、緊張した様子の少年が二人、荊兎を挟んで佇んでいた。
 まず動いたのは優真のほうで、ぺこりとお辞儀をして口を開いた。

「初めまして、文月優真です。荊兎君にはいつもお世話になってます」
「あっ、お、オレ、野分大翔です! 荊兎の友達です!」

 優真につられて引っ張られる形で大翔も続くが、年上との会話に慣れていないのか、躓いたようなぎこちないものとなってしまった。しかし悠は、特に気にした様子もなく微笑んで二人を順に見た。

「初めまして。君たちの話は荊兎から聞いていたよ。荊兎のこと、ずっと支えてくれていたんだってね。ありがとう」

 そう言うと流れるような所作で荊兎の靴を脱がせて軽く抱き上げ、片腕に荊兎を抱きかかえながら、二人に奥を示す。

「どうぞ、お茶くらいしか出せないけれど」
「……はい、お邪魔します」

 一瞬遠慮しかけたが、元々荊兎の修学旅行の話を手伝うために来たのだと思い出し、優真は再びお辞儀をして丁寧に靴を脱ぎ始めた。それを見てから暫く経って漸く大翔も用事を思い出し、慌てて優真に続く。家が厳しいのか、訪問時のお作法をなぞるような所作で上がる優真と、靴の脱ぎ方は雑だが上り口できちんと揃える大翔。どちらからもそれぞれ育ちの良さが窺える。
 悠は荊兎の頬にキスをしてから一度下ろし、頭を撫でてランドセルを受け取った。

「手を洗っておいで。お友達も一緒にね」
「はーい。行こう、はるちゃん、ゆうちゃん」
「うん。お兄さん、お借りします」

 三人連れ立ってリビングに入り、ソファを借りてランドセルを置く。そのまま部屋の奥の扉を抜けて洗面所に行くと順番に手を洗った。
 ふわふわのタオルは淡い水色をしていて、両端には青い鳥の刺繍と白いレースが縫い付けられている。洗面台に並ぶ雑貨も、良く見れば大人向けのものに紛れて可愛らしいものが置いてある。
 リビングに出ると紅茶の香りが漂ってきた。匂いにつられて奥を見れば、リビングと一間続きのダイニングで、悠がお茶の用意をして待っていた。ダイニングテーブルには紅茶とスティックチーズケーキを乗せた皿が人数分並んでいて、大翔と優真には二つ、荊兎には一つ与えられている。

「荊兎は夕飯前にたくさん食べるとご飯が入らなくなるから、食べられそうならあとでデザートにしようね」
「うん、ありがとうお兄ちゃん。はるちゃん、ゆうちゃん、お兄ちゃんのチーズケーキおいしいんだよ」
「えっ、これ荊兎の兄ちゃんが作ったの? マジで?」

 大翔がそう訪ねながらケーキと悠、そして正面に座っている荊兎を順に見て、最後にまたケーキを見る。頷く荊兎に、大翔がまた「マジかよ」と感嘆の声を漏らした。
 イチゴ柄の縁取りがされた白い皿に品よく乗っているのは、ベイクドチーズケーキを食べやすいサイズに切っただけのもので特別難しい飾り付けがされているような凝ったケーキではないが、それでも大翔の目にはケーキ屋で見るものと遜色ないように映る。優真も同様に、大人しく席につきながらもその目には驚きと感心が映っていた。

「そんなに大袈裟なものじゃないよ。ああ、ミルクと砂糖はお好みでね」

 白い陶器の皿と揃いのティーカップ、銀色の繊細なデザートフォークが白いクロスをかけられたテーブルに並んでいる。ダイニングのすぐ横に見えるキッチンも、目の前に広がるリビングも、モダンで清潔感がある現代日本の良くある風景なのに、テーブルの上だけがどこか遠い国のティータイムに迷い込んでしまったような雰囲気をしていた。

「さ、どうぞ」
「はーい。いただきます」
「い、頂きます」

 緊張した面持ちでフォークを手に取り、大翔はそのまま刺して齧りつき、優真は一口大に切って口に入れた。荊兎も優真同様小さく切って口に運ぶ。

「おお……チーズケーキだ……!」
「そうだね」

 感動のあまり言葉がだいぶ抜け落ちている大翔に、優真が言わんとしたことを汲んだ上で同意する。
 大翔は紅茶に砂糖とミルクを入れ、優真は砂糖だけを入れて一口、また一口と熱さを気にしながら半分ほど飲むと二人揃って深く息を吐いた。


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