Romantic Nightmare

▼ 穏やかな上昇


「あ、そうだ。なんか普通にお邪魔しちゃってるけど、荊兎」
「……あ……っ、うん、そうだね」

 優真の声でハッと顔を上げた荊兎を見て、悠が首を傾げる。荊兎はなにか言いたげな顔で悠を見つめて暫く逡巡してから、ふっと視線をソファに外し、ランドセルを見た。

「あの……おてがみ、あるの……」
「ランドセルの中かな。開けてもいい?」
「うん……おねがい」

 悠は荊兎の頭を撫でるとソファに近付き、水色のランドセルを開けた。
 そうしているあいだ、荊兎だけでなく大翔も優真も、内心チリチリと焦げ付くような緊張感に襲われていた。

「これかな。修学旅行のお知らせ。……日付が随分古いね」

 クリアファイルから一枚のプリントを取り出して悠が言う。手にしたまま荊兎の隣に戻ると、一通り目を通した。
 そこには年度初めに皆がもらった内容に付け加え、担任教師が手書きで書き足したと思われる一文が添えられていた。内容は荊兎が帰り際に説明を受けたものそのままで、悠は小さく「なるほどね」と呟いて顔を上げた。

「イレギュラーになるけど、荊兎も旅行に行けるようにってことかな」
「うん……」

 すっかり委縮して俯いている荊兎の頭を撫で、悠は緊張を顔一面に張り付けて待っている友人二人を見た。

「班行動は、君たちが一緒なのかな」
「は、はい、そうです」
「オレたち、荊兎のことギリギリまで待つって決めてて、どこの班にも入ってなくて、だから……」

 優真と大翔が順に答えるのを見て、悠は手にしていた紙をテーブルに置くと、荊兎の頭を撫でた。癖なのかと思うほど、吸い寄せられるように悠の手は荊兎に触れる。甘く優しく癒すような手つきで、天使の巻き毛を撫でている。

「君たちが一緒なら心配いらないかな。先生には明日にも指定額を入金するからって、そう言っておいて。ね、荊兎」
「お兄ちゃん……っ、ありがとう……」

 うれしい気持ちが涙となってあふれ出ているのを、悠はそっと撫でて宥めながらも、泣き止ませようとはせずにいた。
 悠の慈しみの眼差しと愛おしげな手つきを見た大翔と優真は、互いに顔を見合わせて安堵したように微笑した。怯えて顔色を窺うことなく心のまま涙を流すことが出来る。それを目の当たりにできただけでも、来てよかったと思えた。

 陽が西へと傾き、東の空が僅かに紫掛かり始めた頃。大翔と優真は玄関で靴を履くと見送りの悠を並んで見上げた。

「お邪魔しました。チーズケーキとお茶、美味しかったです」
「ありがとうございました。荊兎のことも……オレたちずっと心配だったから」

 礼儀正しい二人の友人を微笑ましそうに見つめ、悠は荊兎の肩を抱きながら頷いた。

「君たちは出来ることが限られている中で、最大限助けてくれていたと聞いているよ。これから先は俺が家族として大事に守るから、学校での荊兎を頼むよ」
「はいっ」
「もちろんです」

 気持ちのいい返事を受け、悠の笑みが深まる。それじゃあとどちらからともなく踵を返すと玄関扉を押し開けて、最後にまたお辞儀をして大翔と優真はランドセルを元気に鳴らしながら帰っていった。

「良い友達を持ったね、荊兎」
「うん、ふたりともだいすきなの」

 話しながらリビングに戻ると、悠は荊兎にランドセルを渡して頭を撫でた。

「宿題があるならやっておいで。お兄ちゃんは夕飯の準備をするから」
「はーい」

 明るい返事と共に部屋へと消えていく背中を見送り、エプロンをつけてキッチンへ。
 今日はなにを話そうか、学校での荊兎はどうだっただろうかと思考を巡らせながらの調理は思いの外気分と手を乗せてくれたようで、気付けばちょっとしたお祝いごとでもあるかのようなメニューが出来ていた。ここまでくると、デザートも少し凝ってみたくなる。冷蔵庫を覗いて生クリームのパックを取り出すと手際よく泡立てて再び冷蔵庫へしまった。

「……さすがに、この辺にしておこうかな」

 小さく笑った悠の顔は、普段の穏やかなものに加えて、どことなく楽しげだった。



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