Romantic Nightmare

▼ 変わったもの


「あ、学校見えて来た」
「みんな驚くかな。荊兎が超可愛くなってて」
「ばっかお前、荊兎は元から可愛いっつーの」

 そう言いつつも周囲の反応の変化を気にしたのか、優真が荊兎の手を取った。

「あっ、ずりぃオレも!」

 それを見た大翔も荊兎の手を握る。やや細身だが六年生男子の中でも背が高いほうの優真と、身長はそれほどではないがサッカークラブで活躍している大翔の大きな手が、荊兎の未発達な小さい手を包んでいる。
 挨拶と警備のために正門前に立っている生徒指導部の教師を恐る恐る見上げ、小さくお辞儀をした。目が合った際の教師の表情を言語化するなら「こんな生徒、うちにいただろうか」となるであろう不思議そうな視線を頭上から受けながら門をくぐる。
 左右の二人は他学年にも顔が知られており、教師の覚えもいい。だからこそ余計に、黙っていても目立ちそうな金髪の人形めいた容姿の生徒が記憶にないことに教師は首を傾げたのだが、荊兎は先生に不審がられたと受け取り、少し落ち込んでいた。

「やっぱ先生もわかんねーか」
「僕、そんなにおかしいかな……」
「そんだけきれいになったってことだよ、大丈夫」

 優真の慰めに小さく頷き、手を握り返す。
 昇降口に入ると、同じクラスの女子が遠巻きにヒソヒソ話す声が聞こえて来た。その声は他学年の女子まで呼び寄せ、見世物のような状態になっていく。

「通れねーんだけど」

 大翔がぶっきらぼうにそう言うと女子の群れが左右に分かれ、道が出来た。無遠慮に注がれる視線は相変わらずだが、二人は構わず荊兎を庇うようにして進んでいく。
 荊兎がみすぼらしい格好をしていたときもそうだった。周りはひそひそと好き勝手に噂をして、言いたいことを遠回しにぶつけていた。優真と大翔は、荊兎とは逆の理由で人の注目を集めるタイプだったため、そういった遠慮のない視線にも慣れている。
 有名私立中学に推薦で進学するだろうと囁かれている、正統派王子様のような容姿の優等生と、学年問わず人気者なサッカー少年に挟まれたオッドアイの金髪美少女という少女漫画のような構図は、教室に入ってからも生徒の視線を集め続けた。

 朝の出欠確認の際、荊兎の名前が呼ばれた瞬間のざわめき。授業が始まってからも、女子のあいだで隠そうともせず回される手紙。休み時間の度に教室を取り囲む、学年を問わない顔ぶれで形成された見物人の群れ。
 さすがに注目に慣れている二人も疲れてきた様子で、うんざりといった表情を全面に張り付けていた。

「まさかここまでとは……」
「試合んときよりすげーかも。荊兎は見せもんじゃねーっつーの」

 後ろを振り返り、荊兎の机に大翔が突っ伏してぼやく。
 窓際一番後ろの荊兎の前の席が大翔、隣の席が優真。これは偶然か意図的か二年生のクラス替えで初めて三人が揃ったときから、一年もクラスが別れることなく一緒になり続けた三人のあいだでいつしか固定となった席順で、二人は「荊兎といたいから」だと言ってくれているが、その実は薄汚れた荊兎と誰も近い席になりたがらなかったため。遠巻きに、ときには直接的に、荊兎に「汚いから近寄らないで」と言っていたクラスの面々の見る目が百八十度変わったことも、二人を苛立たせていた。

「まあ、そのうち飽きるだろうとは思うけどね」
「荊兎、しんどくなったら言えよなぁ……」
「机に溶けながら言うセリフじゃないよ、大翔」

 苦笑する優真に反論する気力もないのか、大翔は溶けたまま低く唸った。
 昼休みも混乱するかと思われたが、さすがに好奇心旺盛な子供たちでも自分の昼食は欠かせないらしく、前半は比較的静かなものだった。六枚切りの食パンを端から小さくちぎってチョコレートペーストをつけて黙々と食べている荊兎を、女子の誰かが潜めた声で「ぶりっ子してる」と囁いたのを大翔の耳が捉えた以外は何事もなく過ぎた。
 中盤からは給食を食べ終わった者が見え始めたが、教師の目もあり堂々と出入り口を塞いで覗き見る者はいない。六年生といえど小学生。昼休みを余所の見物だけに費やすほど暇ではないらしく、外で遊ぶものや各クラスで好きに過ごす者のほうが多かった。
 これに安堵したのは担任の教師で、何事か問題が起きるのではと気を張っていたのが僅かに和らいだようだ。優真と大翔も四方八方から注がれる好奇の眼差しが薄れたのを感じ、そっと肩の力を抜いた。

「このまま終わればいいけど」
「五時間目の音楽が終われば帰れるし、それまでの辛抱だぜ荊兎」
「う、うん……ゆうちゃん、はるちゃん、ありがとう」

 疲れているのは二人だけではない。ずっと俯いて周りを見ないようにしていた荊兎も人の視線にはなれておらず、表情に疲れを滲ませていた。

 次の授業の準備をして、教室を出る。音楽室は特別棟三階の端にあるため、六年生の教室からは階段と渡り廊下を使う必要がある。その渡り廊下は一階と二階にしかなく、三階の教室棟と特別棟を行き来するには一度二階に降りてから廊下を渡り、また三階に上がらなければならない。しかも、一階の渡り廊下は駐輪場と門の位置関係上、屋外にコンクリートで道を作っただけのものであるため、生徒にも教師にも不評だった。

「そうだ、荊兎。あの女子ひいき教師、辞めさせられたんだぜ」
「え……? そうなの?」

 渡り廊下を進む途中、いま思い出したといった様子で大翔が切り出した。それに頷きながら、優真も続ける。

「俺も聞いた話だから詳しくはないけど、B組の女子がセクハラされたらしい。ひいきしてたのは女好きのレズババアだからだって騒いでたから、たぶん、それらしいことはあったんだと思う」
「あ、じゃあ、サッカー部のやつらが妖怪厚化粧ババアが妖怪厚化粧セクハラババアに進化したとか言ってたのはそれか」
「ひどい言われようだね。事実なら仕方ないけど」

 二人の話を聞いていた荊兎は、休んでいた十日間に色々なことがあったみたいだと、どこか現実味のない、遠い場所でのニュースのような感覚を抱いていた。

「そっか……あの先生、もういないんだ」

 荊兎が思わず零した言葉に、二人が視線を向けた。本当に無意識だったため暫く何故目を向けられているのかわからずにいたが、あっと声を上げてから逡巡し、やがて言い辛そうに口を開いた。

「あの先生、ろうかですれ違うときに、いつもこじきの子がいるとふうきが乱れるって小さくいうから、こわかったの……」
「けっ、やめて正解だな。セクハラの上に鬼婆とかいいとこねーじゃん」
「ほんとは、教師がひいきするって時点でおかしいはずなんだけどね」

 大翔の吐き捨てた言葉に、優真が苦笑まじりに同意する。例の教師は贔屓対象である女子にさえ陰で嫌われていた、五十代の女教師だった。密かにつけられていたあだ名の有様からもそれが窺えるほどに評判の悪い教師だったのだ。
 音楽室につくと、二十代後半と思しき女性教師がピアノの前にいた。あの教師はもういないのだと実感して、無意識に強ばっていた荊兎の肩から僅かに力が抜ける。
 新しい教師に代わってからの授業は、それまでのピリピリした空気が嘘のように平穏無事に進んでいった。以前の学校では低学年を相手にしていたという自己紹介通りに、どことなく口調が小さい子供向けであることを僅かに気にする者もいたが、基準が前の劣悪な環境だということもあって、一変した授業内容にもすんなり馴染んでいった。
 出欠確認の際に荊兎がお手本のような二度見をされたことは、仕方ないものとして。

「お歌、楽しかった」
「俺はすっげー恥ずかしかった」
「部活感覚で声張り上げるからだよ。前の子凄く驚いてたからね」
「面目ねー」

 大判の音楽教本を胸に抱えて歩きながら、荊兎は授業でのことを思い出してくすくす笑う。サッカー部でキャプテンを務める大翔が、合唱だというのについ部活中の調子で声を出した結果、他の生徒の声を押し潰す勢いで目立ってしまったのだ。音楽教師には「元気なのは良いことだけど、合唱は皆と合わせるのも大事よ」とやんわり注意されてしまい、大翔曰くの今年一番の大恥をかく羽目となった。
 決して言わないが、それも含めて、荊兎は楽しい授業だったと思っていた。



<< INDEX >>



- ナノ -