荊の魔女

 慰霊の花


 城門の白薔薇が全て咲き、大輪の花がアーチを飾る。頑なに閉ざされていた門が、細い悲鳴のような金属音を伴い、ゆっくりと外へ開いていく。数センチ開いては止まり、また少し開いては止まるというもどかしい動きも毎年のことで、城門が開き切るのは収穫祭が始まる夕方頃となる。
 緩やかに動き始めた門を自室の窓から眺めながら、フィオは待ちきれない様子でベルを振り返った。

「ようやく、皆と会えるのね」
「ええ、フィオ様」

 窓から離れ、ベルの傍へと静かに歩み寄る。部屋着のゆったりとしたワンピースの長い裾が揺れて、細い足首が覗いた。

「今日は夜更かしをするから、少しだけ眠ることにするわ」
「畏まりました」

 フィオがベッドに腰かけるとベルが足元に跪き、小さな足から靴を脱がした。踵の低い小さな薄水色の靴をシューズボックスにしまう従者の後ろ姿を見るともなく眺めながら、フィオはやわらかい羽毛布団に潜り込んだ。

「着替えの時間になったら起こして頂戴」
「畏まりました。お休みなさいませ、フィオ様。どうか良い夢を」

 穏やかな声と髪を撫でる優しい手を感じながら、フィオは眠りについた。

 * * *

 黄昏刻。城下街では、今夜の収穫祭に向けた準備で賑わっていた。大通りは色鮮やかな装飾が施され、様々な形のランプが家や店の軒下に飾られて、夕陽に負けじと街を橙色に染めている。
 そんな、祝祭一色の空気の中。白地に金の装飾が施された聖職者の正装を纏い、広場に佇む人影が二つ。彼らは辺りを見回すと、傍を通りかかった壮年の男性に声をかけた。

「失礼。この街に教会はありませんか?」

 呼び止められた男性は一瞬僅かに眉を寄せるがすぐに取り繕い、首を軽く振った。

「どちらからいらした方かは存じませんが、この街には必要のないものですので」
「必要ない……ですか。誰一人として信仰を持っていない街というのも、珍しいですね。いえ、小さな村ならままあることですが、これほどの規模を誇る立派な街で、教会自体が建っていないというのは初めてでして」

 聖職者の言葉に、男性は眉を寄せて視線を落とした。遠巻きにしている領民たちも皆、一様に不安や嫌悪などを表情に滲ませて二人を見つめている。聖職者の片割れはなにかに気付いた様子で一瞬目を眇めるが、すぐに収めて平静を装い、男性の言葉を待った。

「以前はありましたがね。前領主が税金で建てたそれは立派な大聖堂が。しかしそれも、あなた方が思うような神などではなく、当時の領主を崇めるためだけの邪な建物でした。無実の者を、魔女として裁くための……」

 そこで言葉を区切り、男性は二人組の聖職者を一瞥する。

「そういうわけで、この街に魔女を裁く存在は必要ないのです。ご納得頂けないようなら教会跡地が歴史資料館と慰霊碑になっていますから、そちらへどうぞ」

 そう言って男性が視線をやったほうへ、二人組も目を向ける。広場から延びる大通りを抜けた、街の外れ。そこに、教会の面影を僅かに残した建物が、ぽつりと佇んでいるのが見えた。城とは反対側の、丘の上。
 まるで城と教会で街を挟んで見下ろし、監視するかのような立地だ。

「わかりました、ではそちらへ……お忙しいところ失礼しました」

 一礼して去っていく二人組の後ろ姿を暫し見送ると、男性は雑踏に紛れ、祭りの準備へ戻っていった。

「……なあ、ユベール。どう思う」
「異常、とまでは言いませんが珍しいのではないかと。先の通り、田舎ではままあることですが、これほど発展した街で特定の信仰を誰一人持たず、しかも全体的に教会を厭うというのは……」

 それに、と言ってユベールと呼ばれた男は一層声を潜めて続ける。

「住民たちの様子が何処か可笑しいような気がするんです。気のせいかも知れませんが、どうも違和感が拭えなくて」
「お前がそういうならなんかあるんだろうな」

 示された資料館への道を歩きながら、二人は怪訝そうに街の様子を零していく。
 声をかけた男性だけがたまたま教会や聖職者を嫌っているという風情ではなく、話しているあいだ周囲からも僅かではあるが不審の棘を帯びた視線を感じていたのだ。

「ラウルに聞こえていたかはわかりませんが、女性の声で、よりにもよってこの日に街を訪れなくても、とも聞こえました」
「それは気付かなかった。……何にせよ理由はそこにあるのだろう」

 申し訳程度に残された屋根の上の変わり十字と小窓のステンドグラスが、辛うじて嘗て教会だったことを示す建物へ、二人は顔を一度見合わせてから静かに入っていった。

「……これ、は……」

 建物の中に一歩踏み入れた瞬間、二人は言葉を失った。
 そこにあるのは、理不尽に処刑された『魔女』たちの記録だった。数えきれないほどの名と、その身に焼き付けられた、犯してもいない罪状が憎々しげに添えられ、最奥に鎮座している慰霊を願う立派な祭壇には、純白の薔薇が雪原の如くに活けられている。傍らに添えられた子供の背丈ほどの祭壇を見ると、手縫いと思しきぬいぐるみなども並べられていた。祭壇へと向かう左右の壁には、街に住む画家が処刑の様子を生々しく描いた絵画が並んでいて、その全てから前領主より受けた苦痛と理不尽が痛いほどに伝わって来る。
 部屋の隅に置かれた書棚には、文書の記録も残されていた。全てに目を通すには数日を要する量であるため、街の簡易的近代史を斜め読みするに留めたが、それでも読むだけで精神的にひどく疲弊する内容だった。

「……この町の住民たちが嫌っていたものは、正確には聖職者ではなく、魔女を裁くものだったのですね」
「そのようだ」

 ラウルが眉間を抑えて溜め息を零したとき、背後で扉の開く音がした。

「きゃっ!」

 二人が振り返ると、見知らぬ大人の視線に驚いたのか、体全体で扉を支えながら少女が小さく飛び上がった。その横にいた、少女より少し背の高い少年が腕を伸ばして扉を引き開け、手を取り合いながら恐る恐る建物内へ進み入って来る。

「……お兄さんたち、だれ?」

 少年の腕に取り縋りながら、少女が微かに震える声で尋ねた。二人の手には、瑞々しい白薔薇が抱えられている。

「私はユベール。こっちはラウルといいます。先ほど街の方に教えて頂いて、街のことをお勉強しに来たのですよ」

 ユベールが務めて穏やかな口調で答えると、子供たちは若干緊張を解いた様子で傍まで歩み寄ってきた。というよりは、祭壇に花を供えたかったようで、祭壇前にいるラウルとユベールを交互に見上げて視線で場所を譲ってほしいと訴えている。

「ああ、すみません。……そのお花は、どなたに?」

 場所をあけながら問うユベールに、少年が小さな声で「僕のおばあちゃん」と答えた。二人は兄妹なのだろうか、よく見ると揃いの刺繍が入った上着を着ている。

「僕たちのおばあちゃんは病気で死んだってことになってるけど……僕、知ってるんだ。ここがどういうところなのか……僕はもう、字が読めるようになったから」

 祭壇に祈りを捧げる兄妹を見下ろし、ユベールは悲痛の面持ちで白薔薇の咲く祭壇へと視線をやった。神の偶像も十字架もない、花を生ける棚だけがある簡素な祭壇はひたすら白く、手入れが行き届いている。
 この建物が出来た経緯自体は忌避されているが、ここに眠る者たちは大事にされているようだ。ユベールとラウルはそんな印象を抱いた。
 ふと視線を感じて見下ろすと、祈りを終えた兄妹がじっとユベールを見つめていた。

「どうかしましたか?」
「……お兄さんたちは、この街に魔女を探しに来たの……?」
「お外の教会の人は、魔女を探して処刑するのがお仕事だよね?」

 真っ直ぐに注がれる碧玉の眼差しが不安の色に揺れているのを見て、ユベールは屈んで目線を合わせると二人の頭を撫で、優しく微笑んで見せた。

「いえ、私たちは旅の途中でここへ立ち寄っただけです。抑々の旅も、魔女探しなどではありませんから安心してください」

 隣でもの言いたげにしているラウルの気配は気付かぬふりで、柔らかな声音で答える。兄弟は一先ず信じることにしたようで、訝る眼差しが少しだけ和らいだ。

「じゃあ、領主さまには会うの?」
「ええ、出来ればお会いしたいのですが……今日突然伺ってお会い出来るのでしょうか」

 ユベールの言葉に、兄妹は顔を見合わせて暫し考える様子を見せた。不思議に思いつつ黙って待っていると、兄のほうがユベールとラウルを交互に見て口を開いた。

「領主さまには、今日じゃないと会えないよ。お祭りの日にだけ街に来て、皆に挨拶してくれるんだ」
「お祭りの日だけ、ですか。それはまた何故?」
「領主さま……フィオレンティアさまは、お体が弱いのよ。だからいつもはお城にいて、わたしたちを見守ってくれているのよ」
「お仕事は、執事さんがしてくれてるって言ってた。僕たちよりは少し年上なんだけど、領主さまはまだ子供だから」
「そうですか……では、我々もお祭りの様子を見させて頂きましょうか。せっかく来たのですから、この街のことも良く知りたいですしね」

 にこやかに話すユベールに、兄妹は声をそろえて「もうすぐ始まるよ」と答えた。
 傍らで黙したまま話を聞いていたラウルの双眸が鋭くなったことには、幸いにも優しい兄妹は気付かなかった。


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