薔薇は無慈悲な庭の女王


▼ 清算のとき


 後日、牡丹は使用人を引き連れて姫花の元を訪れた。黒地に牡丹柄の着物を纏った姿は姫花より極道の女らしい立ち姿で、思わず見入ってしまう。
 慎十朗の案内で牡丹を応接室に通し、ソファに座って姫花と互いに向かい合う。座っているのは姫花と牡丹だけで、それぞれの使用人は各主人の傍らに佇んでいる。そして牡丹の使用人の手には大仰且つ重厚な、鈍色の光を放つアタッシェケースが提げられている。

「此方がお約束のものです。お確かめください」

 牡丹の言葉に合わせて、黒服の男が手に提げていたアタッシェケースを机の上で開いて、姫花に見せた。中には一万円札の束が新札でぎっしり詰まっており、一番上に見えている束だけ数えても一千万近くある。
 姫花が慎十朗に視線を送ると、慎十朗は「失礼致します」と断って中身を改めた。

「あの、約束の額より少々多いようですが……」
「ええ。それは父から預かってきた分です。それと、治療代も含んでおります」
「……わかりました」

 姫花が頷くと牡丹の使用人がケースを閉じ、机の上を僅かに滑らせて姫花のほうへ差し出した。それを慎十朗が受け取り、傍らのキャビネットに預ける。
 マホガニーのアンティークキャビネットの上に、近代的なアタッシェケースが鎮座している様は何ともアンバランスで、其処だけ異彩を放っている。

「取引きは終わりました。私に聞きたいことはございますか」

 姫花は一瞬、牡丹の言葉の意図を汲めずに首を傾げるが、すぐに思い至って、小さく「あっ」と声を上げた。

「あの……藤乃さんは、ちゃんと治療を受けられましたか?」
「ええ。滞りなく。医者に大層叱られたようで、落ち込んでいました」

 姫花の問いに、牡丹は薄く笑みを浮かべて答えた。それは数秒前までの『復讐依頼人』としての顔ではなく、藤乃の姉としての顔だった。
 客の事情を必要以上に詮索することは裏社会に限らず御法度だが、友人を案じるための質問なら問題ない。そう牡丹は言っていたのだ。

「それと、まだ落ち着かないようですが、私のことも姉と呼んでくれるようになりました。全ては姫花さんのお陰です。ありがとうございました」
「此方こそ、お力になれたなら良かったです」

 立ち上がり、握手を交わすと、姫花は帰っていく牡丹を見送った。品のある立ち姿は正面だけでなく後ろ姿も完璧で、なるほどこれは藤乃でなくとも萎縮しそうだと納得したのだった。

「慎十朗、皆に対価を支払っておいてください。私は先にお風呂を頂きます」
「畏まりました。ごゆっくりどうぞ」

 恭しく頭を下げる慎十朗を背に、姫花は屋敷を奥へと進む。
 広大な日本家屋に、慎十朗と僅かな組員だけで生活している現状、人が出ている時間帯はとても静かで。板張りの廊下を歩く自分の、小さな足音だけがついてくる。

「あ……この先は……」

 ぼんやり考え事をしていたら、行きすぎてしまっていた。
 ピタリと足を止め、震える体をどうにか叱咤して踵を返す。視線の先には、台所へ通じる入口があった。
 自室に寄って着替えを取り、浴室に向かう。服を脱ぎ落とすと、洗面所兼脱衣所に置かれている鏡に未発達の体がありのままに映った。左胸の上についた傷を指でなぞり、溜息を一つ。

「……情けないな……慎十朗たちに任せてばかりで、申し訳ないと思うのに……」

 体を清めて湯に浸かり、深く息を吐く。
 未だに、姫花は台所にだけは近付けない。台所は両親が凄惨な死体となって『展示』されていた場所。実際にはこの本邸ではなく仕事で使用していた別の家の台所だが、姫花にとって台所という空間が悪夢に結びついてしまっているのだ。
 ずっと、普通の家庭だと思っていた。自分はその普通を演出するために作られた子だと、両親の死をきっかけに初めて知った。
 惨劇の舞台と化した家からこの屋敷に移され、慎十朗を改めて紹介されて、それから父のあとを継ぐことになって、気付けばこんなことになっていた。
 復讐代行業などと姫花一人では何一つ出来ない商売を出来ているのは、皆のお陰に他ならない。

「そうだ……褒めてもらうばかりじゃなく、慎十朗のことも労らないと」

 そうと決まれば。
 姫花は風呂から上がると髪を乾かし、身形を整え、慎十朗の元を訪ねた。

「慎十朗」
「お疲れさまです、お嬢様」

 しかし、姫花が労うより先に、いつものご褒美をねだりに来たと思った慎十朗に頭を撫でられてしまい、姫花はうれしいやら先を越されて悔しいやらの複雑な気持ちで大きな手を受け入れた。










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