▼ 崩れた世界の真実
「藤乃さん。お話があります。お部屋まで来てください」
その日、帰宅した藤乃を、珍しく洋装に身を包んだ牡丹が出迎えた。藤乃は一瞬面食らいつつもすぐに頭を下げ、すぐに参りますと答えると、部屋に鞄だけを置いて牡丹の部屋を訪ねた。
扉をノックし、応答を待ってから静かに開ける。
「失礼致します」
入口で深く一礼し、中に入る。その所作は、牡丹の元で仕えていたときと全く同じものだ。
「座って頂戴」
「は……はい、失礼致します」
恐縮しながら、示された椅子に腰掛ける。すると牡丹が藤乃の前に立ち、制服に手をかけた。
「え、あ……あのっ、牡丹様、なにを……」
驚きはするものの、主人のすることを止めるなど出来るはずもなく。あっという間にブレザーとシャツのボタンが外され、インナーがめくり上げられる。
其処には、藤乃が今日まで隠し続けてきた骨折の痣があった。
「……説明してくださいますね?」
有無を言わさぬ圧の前に、藤乃は深く項垂れた。
こうなっては隠すことも出来ないと、数週間前に目をつけられたことから話し始めた。高校生になってすぐの頃はまだ平和だったが、クラスに馴染み始めた辺りで、彼らは本性を現した。藤乃の他にも被害に遭った生徒は何人かおり、その誰もが反論すらしなさそうな大人しい生徒ばかり。
藤乃が受けた被害は、恐喝と暴行、度重なる暴言と、根回しによる孤立。骨折するほどの怪我を負ったのは今回が初めてで、それまでは見た目にわからない程度の軽微な暴力ばかりだった。
それを姫花と百合が助けてくれたことや、痛み止めをもらって凌いでいたことも隠さず伝える。
「お世話になっておきながらいままで黙っていて、申し訳ないことを致しました。如何様にも罰を受ける覚悟は出来ております」
藤乃はそう言うと椅子を降りて絨毯に膝をつき、両手をついて頭を下げた。震える指先を見て、牡丹は一つ溜息を吐く。その音にさえ藤乃は肩を震わせ、身を固くした。
「顔を上げなさい。私はあなたにそんなことをさせたくて暴いたのではありませんよ」
「……はい……」
恐る恐る顔を上げ、手をついたまま牡丹を見上げる。すると牡丹は藤乃の前にしゃがみ、そっと頬に手を添えた。
「……ごめんなさい。藤乃さんがそうして傷を隠すのは、私が家族としての信用を得ていないせいですね」
「そんな……!」
「いいのです。私も……いえ、私と父も、あなたに言えていないことがあるのですから」
藤乃の肩に手を添えて体を起こさせ、再び椅子に座らせると、牡丹ははだけた藤乃の服を直して整え、自分も正面の椅子に座った。小さな円形のテーブルを挟んで向かい合い、牡丹は長年抱えてきた重荷を下ろすかのように、静かにゆっくりと話し始める。
「藤乃さんのお父様が亡くなったのは、外出中に、ライバル社が雇ったヤクザの襲撃に遭ったからなのです」
「え……?」
思わぬ話題に藤乃は胸元をぎゅっと押さえ、牡丹の言葉に聞き入った。一言も聞き漏らすまいと意識を集中させ、喉奥から込み上げる涙を必死に飲み込む。
「車から降りたところを狙われ、咄嗟にお父様が前に出たそうです。襲ってきた刺客はSPが始末しましたが、弾の当たり所が悪く、搬送が間に合わなかったのです」
牡丹は柳眉を逆立て、唇を噛みしめて血を吐くように続けた。滲んだ血が紅のように唇を彩り、艶を放っている。
藤乃は、ずっと伏せられていた父の死の真実を聞いている最中なのだというのに、美人は怒っていても美人なのだと、妙に暢気な感想を抱いた。
「父は、藤乃さんのお父様をとても信頼しておりました。そして藤乃さん、あなたのことを第二の娘のように思っていました。死の間際、お父様はあなたの身を案じたそうです。だから……」
「……だから、旦那様は、私を……?」
藤乃の震える声に、牡丹は一つ頷いた。
藤乃を養子に迎える際、牡丹の父が亡くなった藤野の父に何らかの恩があるからと言っていた。子供だったからか父の死因は聞かされておらず、業務中の事故死とだけ聞かされた。そのときは、父が旦那様との仕事で失敗をしたのかと思ったが、そうではなかったのだ。
「……っ、お、とう……さ…………」
藤乃はとうとう耐えきれず、顔を覆って泣き出してしまった。啜り泣く妹の肩を、牡丹は優しく抱きしめる。これまで頑なだった壁を越えて、姉妹として。