薔薇は無慈悲な庭の女王


▼ 自分へのご褒美


 土曜日の午後にしては閑散としたカフェのカウンターで、姫花はスマートフォンに向かって話をしていた。

「はい。滞りなく終わりました。痴漢の被害届も受理され、他の被害者の声も共に届けています。会社でも女性絡みのトラブルを起こしていたそうで。それも含めて、今後はあの電車に乗ることはないでしょう」

 姫花の耳に、電話越しに啜り泣く声が届く。
 涙声で何度も「ありがとうございます」と伝える依頼人に、姫花は優しく答える。

「いまは娘さんのケアに努めてください。それでは」

 通話を終えて一息吐くと、目の前にカップが置かれた。可愛らしくデフォルメされた猫が水面に描かれたキャラメルラテだ。

「わ、かわいい! おじさま、ありがとう!」

 顔を上げ、パッと表情を輝かせる。そんな姫花の年相応らしい仕草を、紅葉は眩しいものを見るような心地で見つめ、穏やかに微笑んだ。
 スマートフォンのカメラで撮影してからカップに口をつけ、ほっこりとした甘さに目を細める。自然と肩の力が抜けたのと同時に、安堵の溜息が漏れた。
 静かな時間と温かなキャラメルラテの甘さに和んでいると、カフェのドアベルが鳴った。入口を見れば、一人の背の高い男が、影のように佇んでいた。

「慎十朗」

 彼は真赭慎十朗といい、生まれたときから姫花の側近を務めている男だ。
 綺麗に切り揃えられた濡れ羽色の髪をポニーテールにし、黒一色のスーツと黒革靴、そして黒の手袋を身に纏っている。しかもそれが季節問わず……つまり、猛暑の日でさえも眉一つ動かさずにこの格好で過ごしている上に、平時どころか有事の際も全く表情が動かないため、精巧に作られたアンドロイドではないかと言われていたりする。
 驚いたり取り乱したりしないだけでなく、にこりともしなければ泣きもしない。冗談を理解することは出来ても笑いどころがわからないのか、なにを見ても笑わない。
 そんな姿から、ついたあだ名が鉄のハインリヒ。赤ずきんの従者にしては大仰だとそれを聞いた優羽が笑い転げていたときも、表情を全く変えずに見下ろしていたという。

「お嬢様、お迎えに上がりました」
「ありがとう。でも、これ飲んでからでいいですか?」
「はい。お待ち申し上げております」

 姫花が改めてカップを手に飲み始めた視界の片隅にて。慎十朗は入口扉の前から数歩横にずれたところで、直立不動で待機している。
 其処へ、再びドアベルが軽やかに鳴って来客を告げた。

「真赭くんは相変わらずね」

 クスリと笑って、淑やかな仕草で姫花の隣に石榴が腰掛ける。間もなく飲み終わりそうな姫花のカップを横目で見ると、石榴は「少し遅かったかしら」とおどけて見せた。

「ごめんなさい。途中までは待ってたんですけど、慎十朗が迎えに来たから帰らなきゃって」
「いいのよ。またご一緒しましょ」
「はいっ、ぜひ」

 背の高いカウンターの椅子から飛び降りるようにして床に降り立つと、姫花は紅葉を見上げた。

「おじさま、ご馳走様でした。また来ます」
「ええ、また」

 柔和に微笑む紅葉とにこやかに手を振る石榴に見送られ、姫花は慎十朗と共に店をあとにした。

「慎十朗。今回のお仕事も上手く行きました」
「はい」

 家の門前で足を止め、姫花は慎十朗を真っ直ぐ見上げて命じる。

「いつものように、褒めてくれますか?」
「はい」

 慎十朗は手のひらを姫花の頭に乗せ、じっと見つめた。
 微笑みもしなければ、労いの言葉すら出てこない。それでも姫花は満足そうに頷くと、慎十朗に「ありがとう」と言って、玄関へと飛び込んで行った。









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