薔薇は無慈悲な庭の女王


▼ 手繰り寄せる糸


 パソコンや周辺機器の明かりだけを光源とする暗闇の部屋で、一人の青年がモニターを見つめて口元に笑みを張り付けた。キーボードを叩き、画面を操作する。
 青年を取り囲むようにして存在する無数のモニターとコード、大小様々な機械が微かな唸り声を上げて、仕事を言い渡される時を待っている。

「姫ちゃん、珍しくガチギレしてたなぁ……なにがあったんだろ?」

 猫耳の装飾がついた、シアンブルーに発光するヘッドフォンを装着して首を傾げる。彼――東雲優羽(しののめゆう)は、国内外でも有数のハッカーでありクラッカーでもある人物だ。
 電脳上に存在する、或いは存在したものなら何でも持ってこられ、彼に敗れないセキュリティは存在しないとまで言われている。本人は誇張表現だと謙遜するが、いまのところ、仕事をし損ねたことはない。
 普段暗がりで生活しているせいか日の光に弱く、外出時はねこみみフードパーカーを着ている。そのせいで中学生に間違われることもあるのだが、その度に隠れて落ち込んでいることを姫花たち全員が知っていて、そして黙っていた。

「課長さんかぁ……昇進するのにがんばったんだろうねえ。なにをとは言わないけれど」

 クスクス笑いながら、保護フィルムで覆われたモニターを指先でなぞる。
 優羽が指し示す先には、とある会社の機密事項が記されていた。それは現在板谷が中心となって推進しているプロジェクトに関するもので、当然ながら部外秘である。板谷の個人的なパソコンで厳重に保管されているはずのそれが、優羽のモニターに包み隠さず映し出されている。
 別のモニターには板谷孝造の詳細が記されており、その中には、若い女性社員と思われる匿名の日記記事が含まれていた。記事には板谷に不倫関係を迫られたこと。断ると会社にいられなくしてやると恫喝された挙げ句、女性社員のほうから迫ったと吹聴すると言われたこと。ゆえに仕方なく従っているが、怖くて仕方がないと綴られている。
 記事の投稿者を探ると、板谷と同じ会社の受付をしている新入社員のようだ。そしてその女性もまた、長い黒髪が特徴の大人しそうな女性であることが判明した。

「へぇ……拗らせてんねー」

 タンッ、とエンターキーが押されると同時に、表示されていた機密が消える。それは文字通りの消失であり、パソコンから消失したデータは別会社へと送られる。

「オッサンの趣味はどうでもいいんだけど、被害者は可哀想だよねぇ」

 モニターから視線を外し、左斜め下の床付近を見る。
 其処には、大福に兎の耳と尻尾をつけたようなもちっとした塊があり、つぶらな赤い瞳で優羽を見上げていた。本来の色は薄紅なのだが、部屋が暗いせいで青紫に見える。

「むーちゃん」

 むーちゃんと呼ばれた謎の塊は、全身の弾力性を利用して跳ね上がると、優羽の膝に収まった。優羽が背中らしき箇所を撫でれば、子猫のようにくるくると音を鳴らして尻尾を振り始める。
 まるで生き物のように振る舞うそれを暫く撫でてから、優羽はスマートフォンで通話を始めた。

「もしもし姫ちゃん、こっちは終わったよ」
『ありがとうございます。仕事が早くて助かります』
「いいってことー。んじゃ、僕は寝るからまたねー」
『はい、おやすみなさい』

 通話を終え、膝上のむーちゃんを抱えると、優羽はベッドに寝転んだ。
 時刻は朝の六時。外の世界が一日を始めようとする頃合いに、優羽は仕事を終えて眠りにつく。ズレたタイムテーブルなどお構いなしに、大福のような機械のぬいぐるみを夢路の伴として。










<< INDEX >>


- ナノ -