その11
2023/03/26 05:01

りっくんの合宿

ほかほかと湯気を立てたみっちゃんをぶら下げて、風呂場から出てきた宇佐美。
水に濡れないようにとまくられた足元や腕の袖口から、異様なほどに白い宇佐美の素肌がのぞいていた。

それは非常に珍しいことでもあった。
宇佐美は自身の肌を見せようとはしない。

それはみっちゃんに対しても同様のようで、風呂に入れてやっていても自身が一緒に入ると言うようなことは一切ない。
宇佐美にとっての「一緒に風呂に入る」は単にみっちゃんという動物を洗う行為以上の意味がないように思えた。

それはそのほかのところでも散見された。宇佐美にとってのみっちゃんは、飼っているウサギの扱いと対して変わらない。

それが町屋には、どうしても不自然なように捉えられた。
一応、親と子の関係を持つはずの二人がどうしてこうも淡白なのか。特に宇佐美の淡白さは、みている町屋にとって不安さえ感じるものだった。

「なんだ?」

無意識にじっと宇佐美を見つめてしまっていた町屋は、宇佐美から声をかけられてはっとした。

「なんでもないですよ。」

と、普段通り笑顔で返事をしたところで、町屋は我に返ったように真顔になる。

『会える人には言いたいことを言ってくださいね』

頭の隅に引っかかった言葉が囁いたのだった。リクは今日合宿で家を空けている。けれど、頭の中で声がしたのだ。


少々の時間をおいて、町屋が口を開いた。

「なんで、みっちゃんと風呂に入ってやらないんですか。」

宇佐美は、みっちゃんの髪の毛を拭く手を止め、町屋の方を見た。
町屋は、宇佐美がこの後何か話し始めるのが急に怖くなって、宇佐美が何か言う前にさらに言葉を続けた。

「なんで、みっちゃんをもののように扱うんですか。父親なら、なんでみっちゃんに優しい言葉をかけてやらないんですか。なんで見て欲しくて頑張っているのを認めてやらないんですか、なんで、その手で抱きしめてあげないんですか…」

言っているうちに、町屋はなんだか泣きそうになった。なんでこんなことを自分は言うのだろう。途中から止まらなくなってしまった。みっちゃんに聞かせるべきではなかったとも思った。みっちゃんは突然の町屋の言葉におどろいたように目をまんまるくしている。

宇佐美の方は、そのままじっと町屋を見ていた。そのあと、手を止めて町屋の方に向き直る。その眼差しを初めて直に受け止めて、町屋はどうしたらいいのかわからなかった。
ただ、逸らすことのないよう、受け止められるようになった自分でいようと、その瞳を見つめ返していた。

「父親とはそう言うものなんだな。」

宇佐美はまずそう言った。

「普通はそうだと思います。」
「自分はどうだった。そんなふうにしてもらったことがあるのか?」

質問で返されて、町屋は動揺した。
何も言葉を継げずにいると、話したくないならいいと宇佐美の方から切り上げた。
町屋は自分に聞くだけの覚悟がなかったことを情けなく思いながら、でも目を逸らさずにいた。
澄んだ目で宇佐美は言った。

「おれは、一度もそうしてもらったことがない」

宇佐美はその口を使って丁寧に、はっきりと事実だけを並べていった。

「おれの知っている『父親』は理由なく殴る人間だ。蹴る人間だ。酒癖の悪い人間だ。タバコを吸ってその火をおれに押し当ててくる人間だ。」

なんの誇張もなく、淡々と事実を並べていく宇佐美。その内容と対比するように宇佐美の声はなんの濁りもなく並べられていく。

「おれの身体には、たくさんの火傷の跡がある。だからこれと一緒に風呂には入らない。」

これと言いながらみっちゃんの方を指差す宇佐美。みっちゃんはこれと呼ばれても事もなげだが、町屋の方を見つめる目は少し心配気だ。

「おれは怖がらせることをしたくない。おれの知る父親はそれだから、おれに父親はできないし、したくもない。ただこれと一緒にいるだけだ。」

みっちゃんが町屋にかけよってその手をぎゅっと握った。
町屋は、はら、とまぶたの淵から水滴が落ちるのを感じで初めて、自分が泣いているのだと気が付いた。
ただ、ずっと宇佐美を見つめていた。
その瞳をきちんと見つめて話がしたかった。宇佐美もまた、町屋の方から目を逸らすことはなかった。
ポロポロと涙は止まらないが、町屋はそのまま話し続けた。

「そうですか、知りませんでした。」
「言ってないから知らないに決まっている」
「失礼なことを聞きましたね」
「そんなことはない。おれに興味を持ったんだな。」
「そうです。知りたいと思いました。」

宇佐美が、ふっと笑った。照れ隠しか、宇佐美の方が、先に目を逸らした。
町屋は最後まで目を離さなかった。

「知れて、良かったです。もう後悔したくないから。」

涙は止まらなかったが、最後までその目で相手を見つめていた。
みっちゃんが涙を拭こうと背伸びしているのに気が付いて、町屋はみっちゃんを抱き上げた。みっちゃんは自身の首にかけられたタオルで丁寧に町屋の涙を拭き取った。
その様子を見ながら、宇佐美は思い出すように話す。

「おれは『父親』から何かをもらうことはなかったが、そのかわり別の誰かにたくさんもらった。最初は知らなかった人間から、衣食住に困ることのないよう助けられた。それは今も続いている。そうだろう」

町屋は、なんとか小さく頷いた。涙止まる気配はないが、止めようとも思わなかった。ただ宇佐美の話をひとつひとつ受け止めていた。

「『それ』だって、そうだ。おれは抱き上げないが代わりにお前はそれを抱き上げただろう。」

町屋の腕の中の幼子は、何度も何度も飽きる事なく涙を拭っていた。みっちゃんは自分が今までまだそうしてもらってきたように、誰かにもするのだろうと町屋は思った。

「与えてくれる人から貰えばいいんだ。『それ』は父親じゃなくても、代わりに誰かから愛される。…それじゃあだめか。」

宇佐美の問いかけに対して、うまく声にならない声で、町屋は丁寧に返事をした。

「僕もたくさん、たくさん貰ってきましたから。」

町屋は嗚咽を隠す事もなく、いつまでも泣いていた。自分の今までもらってきたものを、たくさんのものを、どう返せばいいのかわからなかったものが、今、形になって分かりかけてきた気がした。
もう届けられないものをどこに届けるべきか、今の町屋はやっと少しだけ、理解したのだった。なぜもっと早く気がつかなかったのか。

今できることは何なのか。
町屋はそれを考えながら、ひたすらひたすら、いままでもらってきたものを反芻していた。

みっちゃんは自分が今までしてもらったのと同じように、ひたすらに町屋の涙を拭い続けていた。


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