その9
2023/03/03 19:20

「そんなに呑んだんですか」

ダイニングの扉を開けた先の光景に、リクは唖然とした。以前から誰のものか分からない古い酒瓶が幾つもあることには気がついていた。その中のいくつかは、まだ中身がほとんど入っていたはずなのに、全てからになっていた。彼がそれほど呑む印象なんて全くない。

「うるさいなぁ」

そしてさらにリクは吃驚とした。そんなことを町屋に言われるなんて思ってもみなかった。普段、人に対して丁寧に接している人から言われるこういった言葉にはギクリとする。

ところが、どうやら町屋の言葉はリクに投げかけられたものではないということが数秒後に分かった。町屋はそのままま独り言を言い続けていたのだ。

「あなたに何がわかるってんです」「今更何をいうんですか」「あなたに言われたくありませんよ」「うるさい、うるさーい」

誰も何もいない空中に向かって話しかけている。泥酔だ。酒瓶の魔力の前でもはや体を立て直す力もなく机に突っ伏し、こんな戯言を延々と一人で話していた。

若干の恐怖と大いなる興味。
もう共に過ごして3ヶ月以上になるが、町屋のそんな姿なんて見たことがなかった。想像すらしたこともない。
おそるおそる、リクは町屋の横に座ってみた。

「横、失礼してもいいですか?」
「あれ、リク君じゃないですか。」

(よかった。人を識別する力はあるっぽい)とホッとしたリク。

「リク君からも言ってくださいよ、うるさいって」
「うるさいって、何がうるさいんですか?」
「烏の声です。」

時刻はもう真夜中だ。日中や夕方ならまだしも、カラスの鳴き声なんて聞こえなかった。だか、『聞こえません』とはとてもいうことはできなかった。

「あぁもう、うるさいって言ってるのに」

当の本人にはやはり聞こえてるようで酔った腕で振り払うようにする。
町屋を否定せずに、リクは話題を変えた。

「お酒、お好きなんですか?」
「好きじゃないですよ、医者にも服薬中は酒を止められてるんだ。なのに、『もう要らない、飲まないから代わりにから飲め』ってうるさい。」
「なるほど。」

一旦リクは受け止めて考えることにした。どうやら町屋のいう『カラス』は言語話すようだ。そして、それが町屋に対してさまざまな言葉をかけている、ということなのだろう。

「うーん、自分にはちょっとわかんない所がありますけど、まあなんか、自分のすることにしつこくうるさく言われたら、気も滅入りますよね。うちも親戚連中は割と酒勧めてくるんで困るんですよね。」

人の苦しみの全てを理解できるわけではないことをリクはこれまでの経験からわかっていた。だから、理解できないところは否定せず、共感できるところについて話してみた。

「ほんとうに!ほんとうに…気が滅入る」

共感してもらえたのが嬉しかったのか、酩酊状態の町屋は声を上げた。
ただ、その後彼の目が急に酔いが覚めたかのように、訝しげに切り替わった。

「おかしい奴だと、思っているくせに」

少しどきりとする。
が、そこは素直なリクのことだ。

「まあ、今の町屋さんは、側から見るとだいぶおかしいですね。」

さらっと言いづらいことも言ってのけるものだから、町屋の方も拍子抜けしてしまったようだった。警戒を解いてまた酩酊状態の町屋に戻る。

「はは、それでも相手してくれるだなんて、リク君は優しいなぁ」
「町屋さんのこと、もっと知りたいなって思ってるんすよ、オレ」
「なにも面白いことなんてないですよ、僕なんか」
「面白いっすよ。例えば今、町屋さんに語りかけてる声が誰なのかなーとか。」

町屋は少し眉間に皺を寄せたが、リクはそのまま続けた。

「というか、宇佐美さんも謎だらけで面白いし、みっちゃん可愛いし、この家の人みんなオレ好きです。」

町屋は、特に返事をするでもなくリクの方をじっと眺めた。

「なんでした?」
「いえ、…その天真爛漫な感じ、わざとなんですか?」
「オレ、天真爛漫ですか?」
「いえ…なんでもないです。」

また少しの間。その後にそっと、町屋は話した。

「この家には、一種の魔法がかかっていたんですよ。」

どこか、そのそっと大切に話す言葉を壊してはいけない気がして、リクは相槌を打たず黙って聞いていた。

「その魔法を一緒に見ていたのが宇佐美さんだったんです。でも、魔法は解けてしまって、宇佐美さんは宇佐美さんに、僕はただの町屋になった。だから、面白いことも、何もないですよ。」

でもねぇ、と町屋は姿勢を正してリクの方をじっと見つめた。

「魔法は解けたはずなのに、この家はまだ呪われてるんですよ、リク君。」
「そうなんですか。」
「家のあちこちから声が聞こえるでしょう、それがそうです。」
「なんて言ってるんですか、その声は」
「簡単に死ぬ死ぬ言うなボケ、とか、悲劇のヒーロー面するな、とか、勝手に人生終わった気になるな、とか」

はあ、とため息をついて、机に再び突っ伏した町屋。

「いなくなったくせに、いちいちうるさいんですよ。僕は呪われてるんです」

心なしか、町屋の声が震えたように感じた。突っ伏していて町屋の表情はリクにはわからなかった。そして、リクにはそれが呪いだとは思えなかった。

「愛されてたんですね、町屋さん。」

リクが言ったことを認めたくないのか、町屋はそっけない。

「リク君に何がわかるんですか。」

思わず反射的に返した後、すぐさま町屋は決まりが悪そうに「言いすぎましたね」と言葉を訂正した。
一方リクは町屋の子どもっぽくも取れる言葉を聞けたことを少しだけ嬉しく思っていた。なんだ、町屋さんもそういうところあるのか。
少し考えて、リクは言葉を返した。

「分かりますよ。オレもそうです。オレの場合は、おまじないですけど。」

「おまじない?」

「部活とか、勉強とかで辛い時、頑張れるおまじないをかけてくれた人がいるんです。」

そう言うリクの脳内では、『りっくんなら、大丈夫だよ。』という台詞が聞こえた。町屋の頭の中もおそらくそういうことなのではないかとリクは解釈していた。

町屋は、思わず、少し笑った。妬ましさをとおりこして、清々しいほどの好青年っぷりに拍手を送りたい気持ちですらあった。

「僕は…正しい自分を演じてきましたが、やっぱり本物にはかないませんね。」

「本物?」

「リク君のことです。」

「僕は町屋さんも本物に見えますけど…違うんですか?」

「本当の僕は、もっと内気で陰湿で、相手のことを妬んで嫉妬して、でもそれをなんとか見えないように隠してニコニコしている、嫌な奴ですよ。ただ、もうダメなんです。演じきれなくなっちゃったんです。」

「そうなんですね。」

リクは、少し考えて

「普段の町屋さんも、今の町屋さんも、オレは好きですよ。」

さらっとこんなことを言うものだから、町屋はポカンとしてしまった。
それから、なんだか泣き出したい気持ちになった。

「なんでそんなことを言うんですか」

思い出してしまう、苦しい。
あちこちに気配が散らばっていて、ただでさえ苦しいのに。

旧に嗚咽し泣き始めた町屋に、リクは驚き、他にもなすすべかなかった。

慌てて、どうしたんですかとしばらく背中をさすると、吐きそうだと言うものだから、さらに慌てて器を持ってこようものなら吐くだけ吐いて、え、町屋さんって吐くんだ、面白い。なんてリクが思ってる間に今度は再び酒を煽ろうとするのだから、もうやめておきましょうよとなだめ、町屋は、うるさい好きにさせてと、さらにわあわあ泣き始めいよいよ収集がつかなくなってきた所で、

「まるでどっかの誰かさんみたいだな」

唐突に真上から降ってきた声に町屋もリクも驚いて顔を上げた。
宇佐美だった。

宇佐美さん、怒っているのかもしれない、とリクは思った。さっきまであれほど喚いていた町屋がしゅんと静かになった。

「うるさいからこれ以上呑むな、吐くなら指でも突っ込んで吐くだけ吐いてしっかり水を飲め、リク、肩をかせ、寝室まで連れて行く。」

淡々と手慣れたように指示を出していく宇佐美に、リクも町屋も従うほかなかった。
町屋は先ほどまでの虚勢はどこへ行ったか、静かだった。宇佐美の登場に落ち込んでいるようにも、もしくは安心しているようにも見えた。
町屋さんくらいならおれ、背負いますよ。とリクはひょいと町屋を持ち上げた。
どこか機嫌の悪そうに見える宇佐美の手を煩わせては悪いと、リクなりの気遣いだった。顔を伺うが表情は見えない。

「…宇佐美さん、怒ってます?」

「いや、怒ってはいないよ」

町屋を寝室に送る途中、恐る恐るといった様子でリクは聞く。

「にしては言い方が」

「言い方?」

「キツイかなって」

「酔っ払いは嫌いだ。酒の匂いも。」

初めてきく、宇佐美からのはっきりとした拒絶の言葉だった。だから少し町屋さんも宇佐美さんも様子がおかしいのかと納得する。

(でも、その割にちゃんと最後まで手伝ってくれるし、酔っ払いのあしらいに慣れてる感じなんだよな)

その疑問は、少し機嫌の悪い今の宇佐美の前では口に出されることはなかった。
またいつか聞こうと、胸の内にしまうことを楽しみにリクは思うのだった。

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