その6
2023/01/16 13:04
日中家にいるため、みっちゃんの最近の連れは一応のところ町屋だった。
一応のところ、というのは、「どうやら自分では役不足らしい」と町屋が心の中で感じているからであった。
みっちゃんは、宇佐美が不在の時必ず、自分から見える位置にウサギの被り物を置いていた。宇佐美の代わりなだろう。
それは町屋がみっちゃんにとって、本来の連れがいない時間の代役でしかないこともあらわしていたが、そこは仕方のないことでもあった。
少なくとも動かないウサギの頭の被り物よりは、町屋の方が遊び相手としてはいいだろう。
被り物の見た目は少々不気味なようだが、みっちゃんにとって、そして町屋にとっても馴染みの深い物だった。
庭で遊ぶ今もまたそうだ。
縁側でウサギの被り物の頭がゴロンと転がって、昼食を食べた後、庭で遊ぶ二人をみまもっているようだった。
平日の日中であるということ、それなのに自分の正しい居場所を置き損ねていることが、町屋の心を多少ザワザワとさせた。
今自身がいる場所は果たしてここでいいのか。まるで白昼夢のようだ。
目の前の幼子は庭でボール遊びを楽しんでおり、町屋もまたそんなみっちゃんを眺めるのを楽しんでいた。
茶色い、少しウェーブのかかった細い髪は、今日はふたつむすびにされていた。
結ばれたところには小さなリボン。
結んだのは町屋だった。
幼子の髪に結ばれたリボンすら愛おしく思
える自分の心を、町屋は驚きと戸惑いを持ちつつ受け止めていた。
この家に再び住まうようになり数ヶ月、共にこの家の住人と過ごしてきたが、ここでは周囲や、何より自分自身の変化に驚かされることばかりだ。
古くからの知り合いである宇佐美が所帯を持っていたことについて、町屋は天地がひっくり返るかと思うほどに驚いたが、リクという新しい住民の明るく誠実な姿に圧倒され、みっちゃんという幼い存在に対し愛らしいという感情を抱き…(それまで町屋は子供に対して嫌悪感にも近い苦手意識を持っていた)
数ヶ月前まで、机に向かい黙々と深夜まで自分の仕事をこなしていた町屋。陽の光を浴びることもほとんどなく、季節の移ろいというのは情報や数字としてしか認識しない日々。そこが自分の居場所であるし、そこにしか自分の居場所がないように感じていた。
それを思えば、今いるこの白昼夢の穏やかなこと。
夜早く寝て朝早く起き、日中することもないのでみっちゃんともに過ごす今の町屋。外でみっちゃんと遊べば、陽の光の日々明るさが異なることに気がつく。たった数ヶ月なのに、肌から、匂いから、その空気のあたたかさ、寒さ、匂い、乾燥などを感じる。大きな違いだ。
ここが自分の居場所だとは到底思えなかったが、自身を取り巻くものの変化に戸惑いつつも、町屋はゆっくり順応していこうとしていた。
投げられたボールを返すことが一瞬遅れた町屋を、みっちゃんが不思議そうに眺めていた。みっちゃんのその無垢な瞳の中に、中にふと過去の人を思い出す。
「ごめんね」
そう言ってボールをみっちゃんの方へと投げた。しかし言葉はなんとなくみっちゃんに対して投げかけられたものでは無いように町屋は感じられた。
もう届かない人への謝罪。
何故とどけておかなかったのか。
自身と周囲に対する怒り、どうしようもないことに対する虚しさ。
静かに横たわる後悔。
悲しさはまだ受け入れられてすらいない。
至る所に、失ってしまったものの欠片が散らばっていた。
前向きで遠慮を知らない爽やかな青年との会話の中、不躾とも取れるが気前のいい話ぶり。
旧知の仲との会話の中に、ふと聞こえない明るい相槌を聞く瞬間。
目の前の幼子の、その茶色い瞳の中。
それを集めればふと造作もなく戻ってくるような気すらしてしまう。
目の前の幼子が、ボールを持ったまま、町屋の元へ駆け寄ってきた。
驚いて町屋が目を向ける。目が合うときまりが悪そうに幼子は目を逸らす。戸惑ったような、照れ臭そうな。
ぼうっと突っ立っていたことに気が付き、心配をかけてしまったと反省する町屋。
みっちゃんの細い茶色い髪を、ごく優しく、壊れ物に触るように、畏れるように撫でる。幼子は最初少し体を硬らせたものの、やがて頭の重みをそっと町屋に預けた。その軽いこと。
やさしいものは、いつだって壊れやすく、無知で、畏れ多く、それでいて気がつくとすぐそばにいる。
「…ありがとう」
もう届かない言葉を届かない人へ届ける。
(バカだな)
いなくなってからもいる人からの返事が、
町屋の頭の中で囁かれた。
あなたの返事が欲しいんじゃないんだけどと町屋は苦笑いしながら、みっちゃんを抱き上げ、空を仰いだ。
「雨が降りそうだから、入ろうか。」
みっちゃんは空を見上げる。雲は多いが、まだそれほど雨が降りそうには思えない。
ぽちり。
と、水滴が落ちてきて、ふと、みっちゃんが今度は町屋の顔を見上げた。
ぽたぽたとそのあとまだみっちゃんの上に水滴は落ちてくるので、みっちゃんは自身の袖を町屋の目元へやった。
昼の薬、飲み忘れたかな。ごめんごめん。
町屋は目元とは裏腹に、至極平静を保った表情と声色で言った。自分自身に呆れているようであった。
「困っちゃうね。」
それは町屋の本心だった。調節の効かなくなってしまった自身の体と感情に呆れるばかりだった。何故こうなってしまったのか、町屋自身もわからないのだった。
みっちゃんはまだ降ってくる水滴を一つ一つ丁寧に拭っていた。もうすこし下ら止まるから放っておいて大丈夫だよ、と町屋が言うのもきかず、それが止まるまでいつまでも拭っていた。
また町屋もそれを甘んじて受け入れていた。
いつもの通りの、昼下がりの二人だった。
あたらしいの | ふるいの