その4
2023/01/02 19:05

手を差し伸べるという行為がどんな意味を持つのか、その意味合いが人にとってどんな心を表すのか。

学んでもわからないことがある。

夜も更けた頃だった。読んでいた本を中断し、水を飲みに台所にいた宇佐美に向かって小さな足跡が近寄ってきた。

暗がりの中、啜り泣く音と共に、小さな人間が自分に向かって両手を開き、トボトボと歩いてくる。

そのまま待っているとその両手を自身の首に回し、ぎゅと両の腕で、締める。
昔こんな事があったような。

幸いにして相手の力が弱い故に、もしくはこちらの方が大きな体をしているために、命に関わることがない事は、宇佐美は理解していた。
夜、よくある事だ。この小さな人間は夜によく涙を流す。

そのまま待っていても首から離れない事もまた知っているので、小さな体を持ち上げて移動を始める。
本を読みに自室へ戻るのだ。

小さな人間は、目から涙を流し、なんなら鼻水も出ている。
服や本を排泄物で汚してはいけない。それは人間の決まりだ。
決まりに則って、宇佐美は移動しながらちり紙で小さな人間の顔を拭く。

人間が涙を流すと言うのは、何かしら快・不快を感じたからだという。
目の前の小さな人間は何も言わないので、この涙がそのどちらのものなのか分からなかった。少なくとも、宇佐美と共にいることでその感情の昂りを少しでも穏やかにしたいのだろう。と宇佐美は今までの知識と経験から判断した。

また、宇佐美はこの小さな人間に対して不快な感情は抱いていなかったので、求められればそれに応じた。
それがどんな場面であっても。

小さな人間が泣き止むまでしばらくかかったが、本を読む手を次に休めた時には、腕の中で眠っているようだった。

起こすことのないよう、そっと自室から小さな人間の部屋に行こうとすると、廊下には町屋がいた。

「どうしたんだ」
「いや、目が覚めてしまつたんです。みっちゃんはどうしたんですか」
「泣いていたんだ」
「悪い夢でも、みたんですかね。」

なるほど、宇佐美。確かに悪夢を見て泣くというのは、人間にまつわる様々な情報の中でよくある普遍的なものだった。

小さく、夢なら、僕と同じだ。と町屋がつぶやいた。

「なんだ、悪い夢でも見たのか。」

町屋は、口角を上げ目を細めた。それを笑顔と呼ぶ事を宇佐美は知っていた。しかし、町屋に関してはその表情が快を示すものではない事もまた、宇佐美は過去の経験から理解していた。

「夢ならいいんですけどね」

彼の笑顔は、何かを隠している事を表すものだ。

「この家にまた呼んでいただけたのが、今の僕にとっては凄くありがたいことで…なんだか、夢の中みたいで。」

隠しているものは大抵、困惑、恐怖、もしくは拒絶。
何が彼を脅かしているのかまでは、宇佐美には分からなかった。

「…早く寝られるといいな」

宇佐美はそれほど睡眠を必要としない性だったが、人間にとって睡眠とは肉体的・精神的な休息をとるのに適しているという。

「はい、そうですね。」

どこか他人事のような様子で町屋は言う。

「…みっちゃんも、いい夢が見られるといいね」

みっちゃんへと声をかけたその言葉の方が、よほど親身に感じられた。

「かわらないな」

数ヶ月前、久々に町屋に会った時は、離れていたその月日だけの変化を宇佐美は数えた。だが昔と同じように同じ屋根の下で数ヶ月過ごし、彼の変わらないところも数える事ができるようになっていった。

何のことかわからないといった様子の町屋は「そうですか、」と短く応えた。
その気恥ずかしさからくるそっけなさもまた、懐かしさを覚える。

「…かわらないっていうのは、存外安心するものなんだな」

宇佐美は何気なく言った言葉だったのだが、町家はその言葉に応えることはなかった。ただ、笑みを貼り付けて、おやすみなさいと一言言っただけだった。






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