托卵って知ってる?カッコウってググるとわかるよ、きっと。

正直なところ、分かってはいたんだ。だって、一年前に終わった女が一年後に言ってきてもうすぐ産まれるのって、さすがの俺も分かるよね。ちょっと馬鹿にしすぎだと思う。

でもそれに乗っかったのは言い訳が欲しかったからだ。

クロコダイルの旗揚げに誘われた時、正直なところあまり嬉しいと思えなかった。

このままついて行って、いつかクロコダイルが見つけるであろう番を見つける時に立ち会った時、俺は多分酷いことをしてしまう。

だって俺に組み敷かれてたクロコダイルが他の誰かを組み敷いて、見た目同じ男なのに向こうは本能なんてもんで番になって。言葉にするとクドイね。察して。

とりあえず嫌だったんだ。

β同士ならともかく、αとΩが惹かれ合うのって本能らしいから、本能に何が勝てるのさ。

さてあれから何年経ったのだろう。船着場に繋いだ小舟に寝そべり、空を仰いで太陽の眩しさに新聞を顔に被せた。

同年代のαやΩのダチが次々番を見付けて、やっぱり自分の選択が間違ってなかったのだろうとその度に思い知らされる。

番の関係っていうのは凄い。恋愛とか、結婚とかとは壁を一枚挟んだように違う。心身ともにゾッコンっていうか、傍で見ているとぞっとするほどだ。

「オーヤジ、小遣いちょーだい」

「ほら」

「わーい10ベリー!じゃねぇよ!」

「ハッハァ!働けガキンチョ!」

女は誰のガキとも知れないこいつを産んだら他の男とバックれて、なんだかんだ可愛いガキも大きくなって、それでも俺はどこか後悔してる。

この海の向こうで名を上げたあいつについて行って、酷いことをしてでも、せめて気持ちだけでも、あいつに俺を刻み込めば良かったかなぁなんて、今更どうしようもないことを馬鹿みたいに考える。

まぁ実際は、新聞の一面を飾るような男が俺を覚えてるかどうかも怪しいところだ。