06







 元来私は嘘を上手に吐ける方ではない。目は口ほどに物を言う、なんて言葉もある通り、表情が本心を語ってしまうのだ。

「記憶が無い、とは?」

 目の前に座った男はじっとその赤い視線をこちらに注いでくる。その目は私の突拍子の無い言葉でも変わる事無く、まるで検閲でもするかのように光らせている。殺意とも取れる目つきにも関わらず綺麗だと思わせてしまうその整った顔は、何も知らなければ女の子らしい反応の一つくらい出来たのかも知れないが(何だか自分で言うと気持ち悪い考えだ)この状況でそんな余裕を持てる程の神経は持ち合わせていなかった。
 心音と、ぐずぐず鳴る鼻を誤魔化すように、マグカップに残ったミルクティーを喉の奥へ流し込んだ。先程感じたはずの温かさや甘さが、今は全く感じない。舌や感覚が馬鹿になってしまったのだろうかと疑いたくなった。その所為じゃないって事くらい、分かっているけれども。

「……な、名前と、年齢は覚えています。でも、さっきの教会に、どうして居たのかはわかりません。どうして、でぃ、DIO、さん、の、事、知ってるのか、も、わ、わかりません」

 唇も声もガタガタに震えていて我ながら情けない。怖くて怖くてたまらない。膝の上で握りしめた手にも、その振動は伝わっていた。
 奥の席で助かった。そうでなかったらこんなにぐずぐずに泣いている女、目立って仕方が無い。カフェの中は相変わらずガヤガヤと英語が飛び交っている。ちらりと隣の机の男女を見るが、何かの談義に夢中らしく、こちらの様子など気付いてすらいないようだった。
 一度両目を袖で拭うが、すぐに視界が滲んで目の前がよく見えない。なけなしの女心が泣き顔を見られないように袖で顔を隠した。厚手の布地の下の手首に湿った感触がした。

「わたしの事を知っているとは、どこまでだ?」

 私の様子など意に介さない吸血鬼は、一定の音で言葉を続けた。嗚咽でしゃくり上げてしまう喉を必死に落ち着かせる。ゆっくりと、息を吸って、吐いて、吸って、吐いて。
 店内の強い照明が目に刺さる。緊張で喉が乾く。先程ミルクティーを飲み干してしまった事を後悔した。男はまだコーヒーに手を付けない。
 原作は一通り読んだ。目の前の男がどんな幼少時代を送り、今までどんな人生を送ってきたのか、どんなスタンドを持って、どんな目的を持っていて、この後どうやって死ぬのか、知っている。恐らくこの男が誰にも話していない内容も知っている。全部、とは言い難いだろうが、それでも、この世界でこの男自身の次にこの男の事を知っていると言っても過言にはならないと思う。そんな内容、安易に話してしまっていいのだろうか。それこそ殺されてしまうのではないか。
 確か、ホル・ホースに自分の身体について話しているシーンが原作にあった気がする。どんな事を話していたかまでは覚えていないが、自分の正体について話す事には抵抗は無かったのだと思う。

「…………き、吸血鬼、だって言うこと、と、首から下は別の人の身体だった、こと、です」
「他には?」
「……スタンド、とか」

 慎重に、言葉を選びながら口を動かした。どんな言葉も地雷になるような気がする。心臓が言葉を押さえ付けていて、喉から吐き出す度に苦しく感じた。

「ほう」

 DIOの口が緩やかに上がった。好奇心に目を細め、言葉を続ける。

「では、貴様にはこれが見えると?」

 DIOはそう言いながら右腕をこちらに差し出してきた。恐らくジョナサンのスタンドだった茨のスタンドを出しているのだろう。が、私にそれを視認することは出来なかった。こんなところに来てしまったとは言え、都合良く特別な力を手に入れることが出来るわけが無い。
 小さく首を横に振ると、右腕を戻したDIOの顔が再び厳しくなったように感じた。スタンド使いでもないのにどうしてスタンドの事を知っているのかと思われているのかも知れない。スタンドが見えない者にとって、スタンドという存在は余りにも夢物語すぎる。

「では、スタンドについて、どこまで知っている?」
「……精神の強さが力を左右する、とか、スタンドが見えるのはスタンド使いだけ、とか」

 能力は多種多様にある。その力は使い手とスタンドの距離に比例する。スタンドが怪我をすれば使い手も同じ場所を怪我する。思い出せる限り、原作で描写されていたスタンドに関する情報を挙げた。とは言っても、その内容を全て網羅しているわけではなかったから、全ての情報を挙げる事は出来ていないだろうけど。
 DIOは黙って私の言葉を聴いている。目を合わせる事が怖い私は、DIOがどんな表情で聴いているのかわからない。この恐怖にいつまで耐えなければいけないのだろう。こんな思いが続くくらいなら死んでしまった方がずっと良いような気さえしてくる。ただ喫茶店の机に向かい合って座っているだけだというのに。
 チッ、チッ、チッ、チッ。騒がしい店内で、時計の秒針の音だけが嫌にハッキリと聞こえてくる。言葉が続かず、教会を出てから二度目の、暫しの沈黙。たった数秒の沈黙が、私には耐え難い程の途方の無い時間に感じられた。駄目だ、怖い。

「わ、私を、殺します、か?」
「……もしその問いにわたしが頷いたら?」

 ぞわりと背筋に嫌な感覚が走った。目の前の男は、殺すと言ったら本当に殺す男だ。誰にも気付かれる事無く私を始末する事など容易くやってのけるのだろう。

「し、死にたく、ない、です」

 死んだ方が良いかも、なんて考えた矢先だったが、もうそんな考えは私の中に残っては居なかった。身体の震えに呼応するように両目から溢れる滴が、喉から私の本音を引っ張り上げてくる。死にたくない。餌になりたくない。帰りたい。怖い。帰る場所なんてこの世界には無い。脳内で様々な思いが暴れ回って、体内の水分を涙として押し出してくる。

「では、わたしが殺すのを惜しいと思うだけのものを貴様は持っているのか? スタンド使いでもない貴様を生かすに値する程のものを、だ」

 DIOの言葉に息が詰まった。もしここで、未来が見えるとか、予言が出来るとか、そう言って原作のあらすじを教えれば、きっとDIOは私を殺さないだろう。疑われたら彼の部下達の能力を言い当ててしまえば良い。だが、それは同時に、私が決して踏み込んではいけない領域へと足を踏み出してしまう事と同義に感じた。
 それでもきっと、言わなければ私の命は無い。目の前の男の口から余りにも簡単に放たれた言葉は、私の心臓を静かに握り潰そうとしている。

「……そ、れは……」
「……だが、貴様がどうやってわたしの存在を知ったのかは興味がある。恐らくは部下の誰かが漏らしたのだろうが……、しかも、スタンド使いでもないのにスタンドの存在やこの身体の事を知って、尚かつ理解しているようだしな」

 部下の誰が漏らしたのかわかるまで、それまでは生かしてやる。
 DIOはそう言うと、ようやくコーヒーに手を付けた。小さく不味いと呟いたのが聞こえた。







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2014.9.17