04







 石仮面の影響か、視覚や聴覚などの感覚が人間だった頃とは比べ物にならなくなった。だからと言って、例えばどんな小さな音でも拾ってしまうなんて煩わしい状態になっているのではなく、自らの意志で感覚のコントロールが出来るようになった、と言った方が正しいのかも知れない。
 知能に関しても、人間の頃だったら(それでも学生時代に優秀な成績を維持出来るだけの頭脳はあったが)不可能としか思えない程の情報を処理出来るようにもなった。およそ百年振りに地上に出て3年。その間に膨大な知識を得る事が出来た。語学はその一つだ。
 そんないくつかの条件が相俟って、わたしは今、ただの変哲も無い女が漏らした奇妙な一言を正確に拾う事が出来てしまった。

「……DIO、と、プッチ?」

 この女に見覚えは無かった。誰に似ている、なんて印象も抱かなかった。人間だった頃から記憶力には自信がある。だからこそ、この女とは会った事はおろか、街中ですれ違った事すらないと、胸を張って断言出来た。
 だのに、この女はわたしの名前を知っている。ここに来てから誰かに名前を名乗ってなどいないし、そもそもわたしはそう易々と色んな人間に自分の名前を名乗ったりなどしない。
 部下の誰かから人伝に聞いたのだろうか? それとも以前子供を作った女のどれかの知り合い? 可能性は考えようと思えばいくらでも思いついた。だから、他愛の無い理由なら特に詮索もせずに終わらそうと思った。
 ところがどうだ。いざ質問を投げかけてみれば、女は明らかに動揺した。表情や身体の仕草が動揺と怯えをありありと見せていた。更にわたしが右手を伸ばせば、その手を払ったではないか。まるで首に触られるのを恐れるように。そこから吸血されると知っているように。
 ……いや、考えすぎかも知れない。見たところ本当にただの女だ。恐らくスタンド能力も持っていないだろう。少し殺気を孕んだ視線を送ればあっという間に畏縮する、ただの女だ。
 まあ、例えどんな理由でわたしのことを知っていたにせよ、面倒な存在なら血を吸って殺してしまえば良いだけの話だ。その考えに行き着いてからは、この女に対する疑心なんてものは下らないものとして扱う事が出来た。
 わたしの問いに女は震える声で知らないと答えた。その様子はどう見ても嘘を吐いている。

「……ふむ。では訊くが、先程、わたしが名乗る前に貴様はわたしの名を呼んだように思うが、それについては?」
「…………いえ、そんな事、してません。気のせい、じゃ、ないですか」

 この女がどうして下手な嘘を吐いているのかはわたしの知るところではない。だが、少し様子を見る必要はあるかも知れない。この女がわたしの何をどこまで知っているのかは分からないが、ひょっとしたら、その下手な嘘の下に、何か有益な情報を隠しているかも知れない。何故そんな事を思ったのか、自分でもよくわからないのだが、どうせ都合が悪くなったら殺してしまえば良いのだ。石橋を叩いて歩くくらいの時間などいくらでもある。
 それに、もしかしたら、それこそ本当にもしかしたら、この女がわたしを天国へ連れて行ってくれる、信頼出来る友になる可能性だって、……さすがにそれは、都合良く考えすぎか。

「すまない、彼女はなんて言っているんだ?」

 神父見習いが声をかけてきた。そういえば、この男の存在を失念していた。男に頼まれた事は何一つ尋ねてなんていない。日没までまだ時間はある。さて、何と誤摩化そうか。
 ふと、こちらに近付いてくる男が右足を引き摺っている事に気が付いた。先程わたしの足に躓いたときにくじいてしまったのだろうか。

「ちょっと待てよ。右足を引き摺っているようだが、もしかしてさっきのでくじいたのか? わたしの所為で? 大丈夫か?」
「え、いや、……違うんだ、気にしないでくれ……これは生まれつきなんだ」

 右足の指が曲がって生まれてきたのだと言う。奇妙な事だが、この話を聞いた時、わたしは引力のようなものを感じた。そこの女に対して感じたものとは違う、もっと確信に満ちたものだ。それがどうしてなのかは分からない。敢えて言うなら、これまで得た情報を、脳が無意識のレベルの中で繋ぎ合わせて結論付けたのかも知れない。(それはあの女に対して抱いた考えにも通ずるだろう)
 少なくとも、もしこの2人のどちらかが信頼出来る友になり得るのであれば、それは男の方なのだろうと思う。

「君は『引力』を信じるか?」

 だからわたしは男に矢を渡す事にした。後付けのようになってしまうが、もしスタンド能力が発現するなら、女よりも男の方が素質があるように感じたという事もある。そうでなくとも、数の限られた石の矢をこの男にあげようと思ったという事実すら、もしかしたら引力によって導かれたものなのかも知れない。
 石の矢を神父見習いに渡しながら、気付かれないようさり気なくその曲がったと言う右足の指を治した。(どうやって治したのかという野暮な質問はしないで欲しい)
 わたしの嘘を信じてくれたり不法に侵入した事を見逃してくれたりした事への些細な礼のつもりだ。

「出会いというものは『引力』ではないのか? 君がわたしにどういう印象をもったのか知らないが、わたしは『出会い』を求めて旅をしている。いつか、わたしに会いたいと思ったら、この『矢』に気持ちを念じて呼んでみてくれ……」

 矢を出したとき、わたしの中でぼんやりと感じていた虚ろな像が鮮明になって写し出されたようだった。ぐるぐると回転していたその先端は、この男の方を確かに向いた。つまり、この男は矢に選ばれたのだ。きっと、そう遠くない未来で、この矢は彼を貫くだろう。
 さて、そろそろ日没だ。

「……ところで彼女の事だが、わたしが何とかしよう。旅行者だが、家族とはぐれてしまっていたらしい。言葉が通じなくて困っていたそうだ」
「……そうか。わかった。そっちの方が僕も助かるよ」

 女を一瞥した彼は、些かその様子とわたしの言葉を腑に落とすことが出来ないでいたようだったが、それよりも面倒事を片付けたい気持ちの方が勝っていたらしい。もっと疑いの言葉をかけてくるのかと思っていたが、あっさりと引き下がった。

「日没になったから出ていくよ」

 右足の違和感に気付いたらしい神父見習いが、その変化について問い質してくる前に、わたしは女を抱えて外へ出た。女が小さな悲鳴をあげながら身を固くしているのが可笑しく思えて、小さく笑みを零してしまった。







|





2014.9.10
そういえば原作ではプッチは左足の指が曲がっていたと言っていましたが、原作の作画がどのシーンを見ても指曲がってるのが右足なのでこの小説では右足が曲がって生まれたという事にしてます。