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 DIOの館に、ついに執事がやってきた。勿論執事という形で雇ったわけではないが、この後彼はDIOに気に入られるんだったか何だったかで、とにかく執事として働く事になるのだから、執事がやってきたという言い方は決して語弊ではない。
 現に、彼らがここにやって来た日の夜(つまるところ私があの糞猿にセクハラを喰らった日)に上機嫌なDIOが、面白い能力の奴らが来た、と聞いてもいないのに私に話してきた。今までにもそういう話をしてきた事は何度かあったのだけれど、今回は特に機嫌の良さが顔や声から滲み出ていたから、相当気に入ったらしい。話の内容はあまり覚えてない。

「あ、えっと、あの、な、ナイストゥーミーチュー……」

 日本語しか話せない身としてはわざわざ関わりを持ちに行く必要は無いと思っていた矢先に、運が良いのか悪いのか、廊下で件のスタンド使いの片方と遭遇してしまった。
 知らん顔ですれ違おうと思っていたが、私に気付いた向こうが私に話しかけてきたので、反射的に無視をする事が出来なかったのだ。

「Hello, nice to meet you too.」

 私の辿々しい英語に、テレンス・T・ダービーはにこやかに笑みを返した。そして、私よりもずっと流暢で綺麗な発音で、私と同じ挨拶をした。
 差し出された彼の手に、引きずられるように私の右手を重ねた。思わず日本語で、どうも、なんて言ってしまうあたり、未だに外国語に囲まれた生活に慣れていない。味噌汁が恋しい。

「Are you Japanese?」
「えっ、は、はい。あいあむジャパニーズ……」
「日本語、よむことと話すことなら少しできます」
「え?」

 その言葉に、私は目を丸くしながらテレンスを見上げた。まさか、この人が日本語を理解出来るなんて誰が思おうか。いや思わんだろう。漫画は日本語だったけれどたぶん世界共通語で話してただろうし。

「マジで」
「ま?」
「あ、いや、何でもないです」
「日本のゲーム、すきなので、少しべんきょうしました」

 外国人特有の辿々しい訛りこそあれど、テレンスの日本語は一般的に意思疎通をするのに遜色無い出来栄えだ。彼のゲームへの情熱と涙ぐましい努力に今だけ感謝した。DIOとしか会話が出来ないこの窮屈な生活にサヨナラバイバイ。ピカチュウも大はしゃぎ。

「あ、私もゲーム好きです。アイライクテレビゲーム」

 日本語で話せる、という親近感から滑らせてしまったこの口を、後ほど恨むことになる。
 私の言葉を聞いたテレンスは嬉しそうに微笑み、私の両手を掴んできた。ほんとうですか、と少し声を張り上げた後、高揚している自分を落ち着けながら、それでもまだ昂りが残る声で、こう言ってきた。

「それならぜひ、わたしと一緒に、プレイしませんか?」

 その道のマニアが言う『好き』と一般人が言う『好き』は、その言葉に込められた熱量とか、知識の量とか、とにかく色んなものが違うものだ。つまり、私のゲームが好きという言葉は、友達がプレイしているのを横で見ているのが好きとか、たまに家族でファミリー向けのものをプレイするのが好きとか、スマホでちょっとしたパズル系をいじるのが好きとか、そういうレベルだ。野球ゲームに実装されている選手の得手不得手の特徴をすべて記憶しているこの男とは同じ言葉でも天と地ほどの差がある。
 しかもこいつのスタンドってアレじゃん。ゲームに負けたら魂を人形に移してコレクションしちゃうとかいう悪趣味極まりないアレじゃん。無理無理マジ無理。

「え、で、でも、あんまり上手じゃないです、けど」
「No problem!」

 私の言葉を聞き終えるよりも早く、テレナスは私の腕を掴んで引っ張り出した。問題有りすぎてブチャラティのラッシュ台詞が脳裏を過る。問題アリアリアリアリ。今すぐこの場からアリーヴェデルチしたい。助けてブチャラティ。この場にあるジッパーはテレンスの社会の窓だけである。

「あ、じかん無いですか?」
「そういうわけじゃないですけど」
「Good!」

 Badだわ。
 ここで上手く嘘を言えない自分の度胸の無さも含めてBadである。DIOに鎌をかけていた数ヶ月前のあの頃の自分はもう死んだ。

「どんなゲームすきですか?」
「あ〜……えっと……」

 迂闊にDSとかWiiとかのゲームタイトル言ったって通じるわけがないし、変に突っ込まれたら面倒だ。この時代のゲームって何があるのだろう。知るわけない。たぶんファミコンは出てるだろうから、スーパーマリオとかドラクエとか言っておけば大丈夫だと思う。ドラクエはタイトルしか知らないからマリオって言っておこう。

「ま、マリオ、とか」
「Excellent! わたしもマリオすきです。いっぱいやったので目をとじても全部できるようになりました」
「うわつよい」

 この人生まれた時代次第ではゲーム実況とかプレイ動画作ってそうだな。そういうのが流行るのは今から30年くらい経たないとだ。いやでもプッチが一巡させるからな。

「でもあのゲーム、1人用です。いっしょに遊ぶなら、ちがうゲームしましょう」
「はあ」

 視界縛りでマリオをやる人とズブの素人の私がゲームをするなんて、例えて言えば短距離世界記録保持者と3歳児がかけっこで勝負するようなものだ。勝てる気がしない。帰りたい。今の私この世界に来て一番のホームシックに罹ってる。
 突然回れ右をして逃げ出すのも不自然だと頭を悩ませている内に、気付けばテレンスが使っているらしい部屋の前に到着してしまっていた。執事になるのだから当然なのかも知れないけれど、他の部下と違ってテレンスはこの館に住んでいるらしい。館の住み込みメンバーを端から見ると接点が分からなすぎて一般人が見たらカルト宗教か何かの本拠地と思われてても仕方がない気がする。実際吸血鬼で悪のカリスマで帝王とか現実で聞いたらどこのカルト宗教の教祖だよって思うもんな。婆さんと(黙っていれば)イケメンとレオタード男と小学生が書いたあみだくじの模様の男と普通の日本人がエジプトで共同生活してるとか意味がわからない。ヌケサクを忘れてた。
 閑話休題。
 引きずられるがままにテレンスの部屋へと入る。この館そのものが結構金掛かってそうなだけあって、壁紙や絨毯に高級感がある。ちなみに私の部屋は同じ建物のものの筈だが、私のスタンド騒ぎで空けてしまったらしい穴がそのままになっているので若干廃墟じみている。早く修繕してほしいが、家主のDIOは部屋に来るたびに廃墟かよプークスクスと馬鹿にするだけで直す気が無いように見えたので、たぶんあの穴が埋まることは無い。ああもうすぐどうでもいい事に頭が持っていかれる。これはここの生活に順応出来ているのだと前向きに受け止めるべきなのだろうか。
 家具は思ったよりも少なくてさっぱりしている。テレビがあって、ベッドがあって、クローゼットと書斎机のような小さな机があって、誰もいじっていないのに時々一人でガタガタと震える小さな棚。あれ例の人形入ってるやつでしょ怖すぎんよ。
 棚が震えていると気付いたテレンスが汚いスラングっぽい言葉を吐きながら棚を叩くと、途端に棚の震えが止んだ。棚も怖いけどテレンスも怖い。私はここから生きて自室に戻れるのか? あの穴が恋しい。

「気にしないで。わたしの大切なコレクションです。こわくないです」
「は、はい」

 怖いです。
 言葉に出さずに飲み込んだ事は褒められるべき。
 テレンスは柔和な笑顔を崩さないまま、クッションを床に置き、私に座るように促した。一礼をして私はそこに座る。テレンスはテレビ棚に並べられたゲーム機の一つを取り出すと、慣れた手つきであっという間に配線を繋いだ。テレビの横に置かれている箱の蓋を開け、ガチャガチャとかき回すような音の後に、ひとつ取り出してわたしに見せた。サッカーボールのイラストが描かれたタイトルシールが貼られている。

「これとか、どうですか?」
「サッカーですか?」
「Exactly!」

 おお有名なフレーズ、なんて感動をしてしまったけれど、作品のファンなら仕方がないので許してほしい。

「これ、やり方かんたんです。対戦もできるし、一緒にプレイもできます」

 ニコッと微笑みながら、テレンスはそのゲームカセットをゲーム機に取り付けた。テレビとゲーム機の電源を入れると、軽快で電子的な音楽と共に、ゲームのスタート画面がブラウン管の荒い画面に表れた。私の左隣に座ったテレンスが、どうぞ、とコントローラーを渡したので受け取った。長方形で少し黄ばんだ白色だ。この時代のゲームは私の世代には全く該当しない筈なのに、五感から伝わる情報が何故か私を懐かしい気持ちにさせた。日本製だというだけでノスタルジーに駆られてしまったのだろうか。だんだんと見境が無くなってきてしまっている。
 私がぼけっとしている間に、テレンスがどんどんと操作を進めていくので、画面が目紛しく変わっていく。

「最初はいっしょにプレイしましょう」

 画面を見るに、どうやら一緒にというのは二人で組んでNPCと対戦をしよう、ということらしい。このチームならビギナーでも大丈夫だと勝手にプレイチームや試合の設定なども、ほとんど説明も無しに勝手に決められてしまった。

「あ、あの、本当に私、ゲーム上手じゃないので……」
「だいじょうぶ、ゲームは楽しさがだいじです」

 せめて操作方法くらいは教えて欲しい、という訴えが口から出るよりも前に、機械的なホイッスル音で試合が始まってしまった。
 そもそも私はサッカーというスポーツ自体、ボールを蹴ってゴールに入れるということ以外を知らないのだ。一度くらいはウイイレを父親からやらせてもらえば良かったと後悔した。

「ほら! ナマエさん! パス!」
「えっえっちょっと待ってあのえっ」

 心の準備も儘ならないままに、慌ててボタンと十字キーを連打する。2Pの矢印が頭上に表示されている選手が、どこかぎこちないようではあるがドリブルをしながら走った。横からテレンスがうまいじゃあないですか! なんて声を上げるので、それに反応をしようとしたら、敵チームにボールを取られてしまった。反射的に謝るとテレンスは、問題ありません、と言いながらものの数秒で敵チームからボールを奪った。つよい。





 NPCのレベルを上げたり、対戦をしたり、ルールの設定をいじったりと、何度か色んな遊び方でプレイをしていると、壁時計が鈍く濁った鐘の音を鳴らした。ちなみに対戦では一度として勝つどころか点すら取れなかった。初心者を相手にしているとは思えないプレイングだった。

「ああ、もうこんな時間。ごめんなさい、仕事してきます。ゲーム、このあたりならすきにプレイしてだいじょうぶです」

 テレンスはそう言いながら、いくつかのゲームカセットを私の前に並べた。テトリスとかマリオとかの、有名なタイトルがいくつかあった。こっちは絶対にいじらないでください、と指差した先には山のようにゲームカセットとゲーム機が入っている。

「しごと、すぐ終わるので、そしたらつづきをしましょう」

 そう言い残すと、テレンスは早足で部屋を出て行った。自室に戻れると思っていたのに、遠回しにまだ帰るなと言われてしまったので、私は大人しくいじる事を許されたゲームカセットに手を伸ばした。変に逆らって人形にされたくない。
 カセットのタイトルを一通り確認し、よく分からないタイトルよりは知っているものをやろうと思い、マリオのカセットをゲーム機に差し込んだ。テニスとかパーティとかはやった事があるが、そういえば元祖の横スクロールはこれが初めてだ。
 というか、今更だけれど、この世界にもマリオはあるんだな。作者が実在する人物や名称を小ネタに使っていたから、この世界もそれに準拠しているのだろうか。
 ゲーム機の電源を入れてしばらくすると、耳に馴れたあの有名な音楽が流れ出した。会社名も私がいた世界と一緒だ、という妙な感動を覚えながら、スタートボタンを押した。
 昔のゲームは鬼畜要素が多い、なんてネット上では定評があったが、思いの外夢中でボタンを叩いてしまっていた。ゲームデータ自体は既に全ステージ解放済みで完全クリアの状態だった(さすがレースゲームで対戦相手に自分のマシンを吹っ飛ばさせて無理矢理近道をするなんてマニアックなテクニックを使えただけある)ので、それをなぞるように順番にステージをプレイしていたら、いつの間にか半分近くのステージを進んでしまっていた。それに気付いたとき、背後で時計の鐘の音が鳴ったので、私は反射的に振り向いた。視界の端に、今日は会わずに済むと思っていた金髪が立っていた。

「部屋にいないと思ったら……随分と楽しそうだなァ?」
「ゲェーッ」

 思わず汚い悲鳴を上げてしまった。そのすぐ後に、テレビからクリア失敗の音楽が流れてきた。マリオが穴に落ちて死んでいた。

「な、何の用ですか」
「貴様じゃあない。ダービーに用があったのだ。無駄足だったがな」
「テレンスさんなら仕事って言って出てったきりです、けど……」
「出ていったのはいつ頃だ」
「え、あ、確か、1時間前くらい、だと」
「そうか。ならもう少しで戻ってくるな」
「え? あの、え?」

 私が狼狽えている事なんて気にも留めずに、DIOは私の隣に座った。私は慌てて距離を取った。相変わらずだな、とDIOは笑っただけで、その場からは動かなかった。

「スーパーマリオか」
「……知ってるんですか」
「名前だけだがな」

 DIOの口からマリオの名前が出てくるなんて神様でも予想してないだろ。面白すぎてじわじわと笑いそうになるけれどここで笑ったらDIOの癪に障って私の命がゲームオーバーになりかねないので頬を噛んで心を無にするように努めた私を誰か褒めて欲しい。
 コース選択の画面のまま硬直していると、DIOが口を開いた。

「続きをしないのか?」

 コントローラーを握ったまま反射的にDIOの顔を見た。他意も何も無い、単純に疑問を口にしただけらしかった。

「え、いや、どっちでもいいですけど」
「どっちなんだ」
「えっ、あ、じゃあします……」

 何故ここでもう止めようと思ってたという感じに上手く口を回せないんだと自己嫌悪になりながら、先ほど私がクリア出来なかったステージを選択したままボタンを押してしまった。ただでさえ他人に見られながらゲームをする事は得意じゃないのに、よりによってこのクソ吸血鬼の前でするなんて何かもう今日の私ダメだわ。何かもう上手く言葉も出てこないくらいダメだわ。どうせ失敗したら馬鹿にするんだろ。
 案の定、コースの中盤で炎を避けきれずにマリオが死んだ。あぁ〜とマリオの死を惜しむ溜息を吐きながら、ちらりとDIOの様子を伺った。

「そんなに難しいのか」
「え? まあ、そこそこ」
「車といい、生活家電といい、科学は随分と発達したな。このDIOが生まれた時代にはこんなもの、誰も思いつきすらしなかった」
「……そ、そうですか」

 絶対に下手くそだと馬鹿にしてくると思ったので、想定の範囲外の言葉に私の返答は遅れた。頭がついてこなかった。
 ていうかこの人は私にどういう反応を求めてるの? どうしてほしいの? テレンス早く仕事終わらせてこいよ何をもたついてんだ。今に始まった事じゃないけれど私には荷が重いんだよ。

「……えっと……でぃ、DIOさんやってみます? なーんて……」
「ふむ、いいだろう。こんなものに興味は無かったが、どんなものか試しに経験してみるのもいいかもな」
「えっマジすか」

 あのDIOがテレビゲームをするというあまりにもレアリティ高すぎる絵面を見れるとかギャグ漫画かよ、と頬をキツくキツく噛み締めながらコントローラーをDIOの近くに置いた。
 DIOがコントローラーを両手で持ったとき、扉の方からよく分からない言葉の叫び声と共にテレンスが倒れ込むように部屋に入ってきた。英語で恐れ慄くように何かを話していたが、私は何を言っているのか分からなかったし、DIOも英語で何か返答をしながらコントローラーを置いてしまったので、DIOがスーパーマリオをプレイするというスピンオフのギャグ漫画作品でしか描かれなさそうな絵面は見逃してしまったのだった。ゲームの腕前も謎である。いや別に知らなくてもいいんだけどさ。







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2016.3.10