24







 懐柔させた方が良い、と思った。
 名前の警戒はいつまで経っても解かれる様子は無い。日に日に強まっているようにすら見えた。あれ以来無理に情報を聞き出すようなことはしていないのだが。
 またアルコールでも飲ませるか、と思って何度か晩酌に付き合わせたこともあったが、いずれもうまくいかなかった。酔ったかと思って近付いても、スタンドによって阻まれてしまうし、名前もわたしが酒で釣ろうとしているのを察したのか、以前ほど遠慮無く飲む事が無くなった。これなら、あのとき矢を使う前に念写をすればよかったが、今更そう考えても仕方のない事だ。今後どうするかだけを考えよう。
 名前の警戒を解く必要がある。
 動物なら簡単な話だ。餌をやって、自分にとって利益のある存在だと思わせれば良い。それか、力の差を見せて屈服させるか、か。生憎、名前は動物ではないので、こんな単純な方法には引っかかってはくれないのが面倒な話だ。
 情報を整理しよう。あいつが何故それを知っているのか、という理由は置いておいて、とにかく眼前に置かれた事実を正しく認識するべきだ。
 そもそも、何故名前がわたしを警戒するのか。
 会ったときから既にわたしに対して怯えた態度だった。吸血鬼だと知っている事もあるから、命が脅かされる事を危惧しているのだろう。食べカスを見た事も拍車がかかった一因だと思われる。スタンド能力が目覚めたのだから殺すつもりは無い、と言った気がするのだが、あの様子では覚えていないのか信用していないかのどちらかだろう。
 ならばどうするか。
 命を脅かす気がない、という事を理解してもらう必要がある。
 その為にまず一つ、わたしは名前に仕事を与える事にした。安直だが、この館に必要な存在だと自覚を持たせれば、わたしが名前を殺す理由など無いのだと考えるのでは、と思ったからだ。あとは、エンヤ婆達があの娘にいつまでタダ飯を食わせる気だとうるさかったというのもある。これで、あの喧しい口が少し大人しくなってくれれば良いのだが。
 そしてもう一つ、無理やり聞き出そうとするのを止めた。流石の名前もわたしのこの判断には疑いの眼差しを向けていたが、そう長くは続かないだろう。こちらがその真意を見せない限りは、あちらは何も分からない。名前は馬鹿ではないが、頭が良いわけでもない。
 名前の警戒を上手く解く事が出来れば、自ずと情報を差し出してくれるだろう。わたしが敵ではなく、安心出来る存在なのだという刷り込みをすれば良い。女というのは単純な生き物だから、信頼感を持たせるだけであっという間に口を開く。
 そうすれば、きっとこの女は、わたしにとって有益な存在になるだろう。

「あの、DIOさん」
「なんだ」
「本当に私が世話しなきゃダメなんですか?」
「愚問だな。この館で暮らす以上は、多少なりとも働いてもらわんとなあ」

 いつまでも仕事を渋る名前に、無理矢理掃除用具と餌の入ったバケツを押し付けた。名前は眉間に目一杯の皺を寄せながらも、両手でそれを受け取った。

「アイスさんだけで事足りません?」
「先日アイスに掃除に行かせたら言うことを聞かなかった。まあ、もし今日貴様が手伝っても駄目そうなら、そのときは別の仕事を頼もう」
「そもそもこの館って家事手伝いとか雇ってないんですか」
「一度メイドを何人か雇ったことがあるが、アイスがうっかり殺してしまってな。それ以来雇うのを止めた」
「全員ですか」
「全員だな」

 貴様はアイスに殺されなくて良かったな、と笑ったら、名前は苦虫を噛んだように本日一番の渋い顔をした。
 実際のところ、アイスやエンヤに名前を始末すべきだ、自分にさせてくれ、と提案された事も何度かあった。貴重なスタンド使いであるのだから殺しても得は無い、とは言っているが、2人はあまり納得している様子は無い。他の部下もここに来て名前を見たときに、どうして普通の小娘がいるのだと不思議がる者が多かった。
 確かに、謎の多い小娘ではあるが、名前はどう見ても暗い世界とは縁も無く暮らしてきたとしか思えない程の、ただの一般人だ。だからこそ、妙な秘密を抱えている事が違和感として胸中を燻る。

「なあに、万が一フォーエバーがお前を襲ったとしても、アイスに何とかするよう言ってある」
「そういう問題じゃあ……」
「文句を並べている暇があるなら、まずはやってみろ。その後ならいくらでも聞いてやろう」

 そう言いながら肩を叩こうと手を伸ばしかけて、スタンドに阻まれると思って止めた。懐柔させながらも、このスタンドを攻略する方法も考えておかなければ。
 アイスを呼び、2人で地下に向かわせた。アイスは極力顔に出さないように気を付けていたが、どちらからも嫌だと言わんばかりの空気が感じられて笑ってしまった。相性が悪いというより、互いが互いを一方的に嫌悪しているようだ。いや、それならやっぱり相性が悪いということにはなるのだろうな。
 様子を見に行こうかとも思ったが、エンヤ婆に呼び止められてそれは叶わなかった。新しく雇ったスタンド使いが来たらしい。





 地獄である。
 金魚の世話すらろくにしたことが無く、家でペットを飼っていても基本的に両親に世話を丸投げしている(そもそも家でペットを飼うのは両親である為、私は時々手伝う程度の世話しかしなかった)私が、動物園の飼育員のような仕事をする羽目になるなんて誰が予想出来ただろう。神だって無理だろ。
 しかもヴァニラ・アイスと一緒に、ということが私の頭痛を重くしていた。ただでさえ英語でのコミュニケーションが満足に取れない私が、苦手意識を持っているこいつと一緒にやらなければいけないなんて。あちらも絶対私を嫌がっているということが表情から充分に分かった。DIOもそれを知っているだろうに、あえて組ませたのだろうか。つくづく糞野郎だ。早く承太郎に殺されれば良いのに。

「Hey.」
「え、あ、これですか?」

 呼びかけられたので足を止めてレオタード男と向き合う。つくづく職質されそうな格好してんな、と考えている間に、ヴァニラ・アイスは私から掃除用具を分捕ると(本当に奪うように取られた。乱暴すぎる)先程までも充分私への配慮のないスピードで歩いていたのを、本当に私の存在なんて居ないように歩き出した。この男の事は好きじゃないけれど、この扱われ方は流石に凹む。
 目的地に着いた。中に入ると、電灯の下でどこか元気が無いような様子のフォーエバーが、檻の中で座り込んでいた。先ほどヴァニラ・アイスに傷心にされたからか、陽の光を浴びれずに一日中こんなところに押し込められるのもなかなか気の毒だな、と同情の気持ちが湧いた。
 ヴァニラ・アイスが檻の鍵を開け、檻から鎖も外した。だが、フォーエバーは動かない。ヴァニラ・アイスが私を見る。英語で何かモゴモゴと話しながら私が持っているバケツを指差して、次にフォーエバーを指差した。つまりどういうことだってばよ。

「Move there.」

 この言葉だけ聞き取れた。要するに、餌で釣って檻から出せ、ということだろうか。
 ヴァニラ・アイスが顎でフォーエバーを指して催促をする。私の解釈が間違っていないか確信が持てないまま、私はバケツの柄を握りしめながらフォーエバーの前に出た。
 フォーエバーが私を見る。私はバケツからバナナを取り出し、獣くさいオランウータンの前へ翳した。フォーエバーは、それを視線で追いながら手を伸ばす。私は少しずつ後退りながら、その手を躱した。釣られるように、座り込んでいた大きな猿の体も、檻の外へと這い出てきた。
 DIOが話していたオランウータンの握力の話を思い出した。確か、200だったか300くらいあると言っていた気がする。あまり刺激をしすぎないようにするべきなのだろうが、加減が分からない。苛立たせてはいけないと思い、檻から出た直後にバナナを一度手渡した。
 万が一のときはヴァニラ・アイスが助けてくれるなんて話らしいが、いまいち信用出来ない。DIOに狂信しているこの男が、私を快く思う筈が無いのだ。
 自分の身は自分で守るしかない。改めて己への決意を固めながら、再びバケツからバナナを取り出す。手に持っているバナナをとうに食べきっていたフォーエバーは、私の手にあるバナナへと視線が移った。
 フォーエバーが檻から完全に出たタイミングで、ヴァニラ・アイスは檻の中の掃除を始めていた。あれだけ足をむき出しにしていれば掃除はしやすそうだ、なんていう酷くどうでも良い事が思い浮かんでしまった。
 あの格好思った以上に目のやり場に困るんだよな。そもそも何であんなに生足出してんだ。DIOと本人どっちの趣味だ。どちらだとしても居た堪れない気持ちは避けられないので、知らないままでいた方が良いのだろう。知らぬが仏、言わぬが花である。
 くだらない考えを巡らせていると、臀部を何かが撫でた。振り返ると、すぐ目の前で、フォーエバーがバケツから取り出したリンゴを齧りながらこちらを見ていた。

「は?」

 今こいつ私の尻撫でた?
 私が睨んでも、フォーエバーは素知らぬ態度を崩さない。ヴァニラ・アイスを見るが、彼は檻の掃除をしているため、こちらの事は見ていないらしかった。
 真偽はどうであれ、このままこのオランウータンに背中を見せるのは良くない。不快感を募らせながら、再びフォーエバーと距離を取る。リンゴを食べ終わったフォーエバーは、私との距離を詰めようと、大きな身体でジリジリとこちらへ迫ってきた。たまらず私はバケツからバナナを取り出して投げるようにフォーエバーに押し付けた。
 ところが、足を止めると思ったフォーエバーは、バナナを受け取りながらも私との距離を詰める事を止めなかった。手にしたバナナを口に突っ込みながら、私の方向へと足を動かしてくる。いや、ちょっと、あの。
 万が一でもあの握力でどこかを握られたら不味い。後ずさりをしながら距離を開こうとするが、後方を確認していなかった為に、気付くと私は部屋の隅に来てしまっていた。気を逸らして傍を通れば逃げることが出来ると思い、バケツからリンゴを取り出すが、フォーエバーは私の手に視線を向けてくれなかった。
 これは、非常に、よろしくない。
 つい先日も同じ部屋で壁に追い詰められたけれど、あれに比べたらこちらの方がビジュアル的にキツすぎる。DIOはDIOで辛いものがあったけれど、視覚的要素でのみ言えば猿の方が圧倒的に辛い。
 体が固まってしまって動けなくなった私に、フォーエバーの手が伸びた。私の腿に触れると、ぞわりとした不快感が私の全身を駆け巡った。
 そのとき、フォーエバーの手の下、私のズボンの下から、あの粘性のある液体が、布を突き破って出現した。フォーエバーの腕を弾き飛ばすように私の両足の前に広がって盾を作ると、フォーエバーが声を上げて怯んだので、その隙に壁を伝うようにフォーエバーの傍をすり抜けながら距離を取る事に成功した。
 息を整えながら顔を上げると、不機嫌そうに眉間に皺を寄せたヴァニラ・アイスがこちらを見ていた。掃除が終わったらしく、フォーエバーの鎖を掴むと、100キロはありそうな図体を引きずって檻の中へと閉じ込めた。
 あの、それが出来るなら私最初からいらなかったんじゃ?





 心身共に疲弊を抱えながら戻ると、広間でDIOが私達を出迎えた。ヴァニラ・アイスは私からバケツを奪い取ると、DIOに一礼して一言二言の会話のあと、どこかへ行ってしまった。たぶんバケツと掃除用具を片付けに行ったのだと思う。
 私も部屋に戻って1人になりたかったが、DIOが私の名前を呼んだことでそれは叶わなかった。

「服が破れているじゃあないか」
「襲われました。アイスさん助けてくれませんでした」
「アイスは問題なかったと言っていたが」

 あのレオタード早く死んで欲しい。

「……あの、やっぱり無理です。やりたくないです」
「どうしてだ? アイスは貴様がいたおかげで掃除が楽に出来たと言っていたが」

 本当にそんなこと言ってたのかあのレオタード。単にこの男のご機嫌取りしてただけじゃないのか。

「そもそも私いらなそうな感じだったんですけれど」
「貴様がいた事で作業の効率が上がったのだ。必要無かったなんて事はない」
「そうだとしても、なんていうか……あの猿と同じ空間にいたくないです。無理です」
「何故だ」

 DIOの問いに私は口ごもった。尻を触られたから嫌だなんて理由、この男に言えない。絶対に馬鹿にされる。痴漢被害にあった女の子が警察に届けずに泣き寝入りする理由を身を以て知る事が出来た気がする。

「今回のように檻から出すのは掃除するときくらいだ。それ以外は檻から出さない。それでも無理か?」

 私が返答を躊躇していると、DIOがこちらの顔を覗き込んできた。まるで、どうしても私でないといけないと言わんばかりの口ぶりだ。

「そもそも、これってどうしても私じゃないと駄目なんですか」
「駄目だ」
「何か企んでます?」
「何かを企むなら、もっと上手にやってるさ」

 ニヤニヤと笑みを浮かべたDIOの目から何を考えているのかを読み取れる術は私には無い。もしかしたら何かを企んでるのかも知れないし、本当に私以外に頼れる(DIOに対してこう言うのはなんだか変だけれど、他に言いようが無かった)人がいないのかも知れない。私が考えすぎているだけなのだろうか。

「そうだな、給料も支払おう。一応は働いてもらったわけだからな」
「はあ……」
「もし本当にどうしても駄目な理由があるというのなら、きちんと話して貰えれば考慮しよう。貴様が嫌だと言う理由は、退っ引きならない程なのか?」

 ずるい言い方をするものだ、と思った。極端な事情じゃなければ聞く耳は持たない、と言っているようなものだ。曖昧さを好む日本人には優しくない言い方だ。
 それに、明らかに私とこの男のものの見方は違うのだから、私が良しとしない理由をこの男が同じ感覚で共有してくれるとは考えにくい。

「……そんな程、じゃあ、ないですけど」
「なら一度で投げ出さないことだな」

 DIOは私へと手を伸ばしたかと思うと、不自然に空を切って下ろした。この人今頭撫でようとしたのか? 勘弁してほしい。スタンドがあって良かった。

「それでも不安なら先ほどのようにアイスを付けるが」

 丁重にお断りした。







|





2015.12.21