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 名前について、わたしが知っている事を整理しよう。
 まずは、スタンド使いであるという事だ。尤も、石の矢によってわたしが無理矢理発現させたものではあるが。能力についてはまだ分からないが、攻撃をしたときのあの強度は、恐らく近距離タイプのものであろう。
 次に、どうしてかこのDIOについてを知っているという事だ。誰かから聞いたのか、どうにかして自らその情報を得たのかは定かではない。名前は情報源を知られる事を恐れているらしく、何故わたしの事を知っているのかという問いに対しては一切口を開こうとしない。いつか話すなんて言っていたが、それも信用の出来る言葉ではない。一度、茨のスタンドで探ろうとしたが、奴のスタンドに阻まれてしまった。だが、今後いくらでもチャンスを見つける事は出来るので、これに関してはまだ焦るべき事柄ではない。まあ、わたしのスタンドの能力について言った事は、どうも引っかかってしまうのだが。
 次に、あのアメリカの納骨堂にいた理由は、どうやら本人すら分かっていないらしいという事だ。あくまで本人の口から出た言葉からの推測でしかないが、あのときの事に関して尋ねると必ず口を濁して、前述の事について以上に不明瞭な言葉ばかりを並べるので、相当重要な秘密なのか、本人すら分かっていないかのどちらかだろう。もしかしたら、わたしを知っているという事と何か関連があるのかも、という可能性も否定出来ない。まだ、情報が少ない。
 他には、映画が好きらしいという事と、酒には強くないという事、眠りが深くて一度寝ると中々起きない事。
 そして、時々部屋で泣いているらしいという事だ。

 それに気付いたのはつい最近だ。普段は日付が変わるくらいの時間にだけ名前の部屋に訪れていたのだが、その日はほんの気まぐれで日が沈んで間もない頃に奴の部屋に行く事にした。特に理由もない、本当にただの気まぐれだった。
 扉を3度叩き、入るぞ、と声をかけてから開いた。
 名前はベッドに寝転がっていた。寝ているのか、と声をかけるが反応がない。枕元まで近づき、顔を覗くと、目と鼻を赤くした名前がこちらを睨んだ。

「目が真っ赤だな」

 そう言うと、名前はわたしの顔を睨んだまま一度鼻をすんと鳴らし、わたしとは反対方向へと体を動かした。時々しゃくりあげるように肩が震えている。そして、ほんの小さな声で応えた。

「……DIOさんには劣ります」
「馬鹿か貴様は。そういう意味じゃあない。充血しているということだ」
「そりゃ、まあ、泣いてたんで」

 すんすんと鼻を鳴らす名前の声には確かに涙が滲んでいた。泣いていた、とわざわざ言わなくとも察する事が出来る程には分かりやすい。酒が入ったとき以外は眉間に皺が寄っているかいないかしか表情の違いは無かった癖に、1人でいるときの方が余程表情豊からしい。

「随分と辛そうじゃあないか」

 柔和に話しかけるが、名前の反応は無い。試しに頭を撫でてみたら、赤く充血した目を見開きながらこちらを一瞥した。
 その瞬間、名前の肩口あたりから見覚えのある液体が飛び出し、わたしと名前の間に小さな隔たりを作り出し、彼女の後頭部に触れていたわたしの手を弾いた。鈍く輝く表面は液体のように柔からそうに見えるが、確かに固くて強い衝撃を感じた。

「ほう、スタンドを使いこなせるようになったのか?」

 そう言うと、名前は先程同様のかき消えそうな声で、少しだけ、と言った。わたしが手を引くと、それに比例するように名前のスタンドは肩口へと消えていった。
 もう一度、名前の頭へ手を伸ばすと、再び名前のスタンドはわたしの手の前で膜を作った。膜の向こうの名前の表情は見えないが、わたしが触れる事を相当嫌がっているらしい。

「随分と嫌われているらしいな」

 冗談めかして言うと、名前は小さくすいませんと呟いた。肯定とも取れるその返答からは、わたしに対して否定的な感情を抱いているのは事実だと受け取れた。あまり邪険に扱った記憶は無いのだがな。矢を刺した事でも引き摺っているのだろうか。それか、ジョジョのスタンドで探られるのを恐れているのか。恐らくは後者だろう。
 そういえば、先日酒で酔わせたときはわたしが触れても抵抗しなかったな。あの時はわたしも酔いに流されてスタンドを使う事を止めてしまったが、酔わせた隙を突けばスタンドを発動されずに情報を探れるかもしれない。

「どうして泣いている」
「……別に、何でもないです。いつもの事なので」
「貴様は理由も無く泣くのか? さしずめ、ここから出て行きたくなったのだろう」
「行く当て無いんで、出て行っても意味無いです」

 名前の返答に疑問が湧く。わたしが考えるに、こいつが泣くのは、精々今までいた場所に帰りたいとか、家族に会いたいとか、そういう一般的なホームシックによるものだと思っていた。そう考えるくらいには、名前は極々一般的な小娘だと思っていた。強がっているだけだろうか。

「まるで家出でもしたかのような言い草だな」
「そんなんじゃ、ないです。帰れる、家は、無いです」

 しゃくりあげる声を抑えながら名前が答える。少し喉のひきつけが強くなったように聞こえる。
 わたしは部屋に置かれているソファに腰掛け、未だにこちらに背を向ける名前へ再び話しかけようとし、少し考えた。
 家出ではないが帰る場所が無い、とは。
 思い当たるとしたら、他の家族との死別か、はたまた追い出されたか、だろうか。それか、もっと別の事情か。名前から家族の話題を聞いた事は一度も無い。

「家族はいないのか」
「……いる、って、いうか、いたって、いうか……。……まあ、今は、い、いない、です」

 再度質問を投げかけてみれば、一層強つしゃくりあげながら、名前は途切れ途切れに言葉を押し出した。泣いている原因を突いたのかも知れないと思ったが、それにしてはいまいち要領を得無い回答だ。どっち付かずな返答は今に始まった事ではないが、こうも曖昧な答えばかりでは座りが悪い。記憶を失っている、なんていうような巫山戯た嘘はもう吐けないのだ。
 そうか、とわたしは追求を止めた。大方ホームシックが原因だという予想は当たっているだろう。帰る場所が無かろうと、家族や故郷を想って泣く事は不自然な話ではない。わたしには理解が出来ない感情ではあるが。
 持ってきた本を読もうと思って開いたが、名前のしゃくりあげる声が耳に障って妙に集中出来ない。僅かに苛立ちすら感じてしまった。少しは黙る事は出来ないのか、と尋ねると、名前は途切れ途切れにすいませんと謝った。前から気になっていたのだが、こいつは他人に対して反抗をする、という事を能動的にしてこない。(だが、その割にはスタンドで拒絶の姿勢は見せてくる)
 矢を刺して生き残ったのは何かの間違いだったのでは、と思ってしまう程には、今の名前はあまりにも弱々しい。いや、普段から強い態度でいる事はほとんど無いが。それでも、普段の腰の低い姿勢以上に、今の名前はただの弱者だった。本当にスタンドが使えるのか疑ってしまう程には。
 今までにも沢山の悪人に矢を刺してきたが、能力を発現出来ずに死んでいった人間の中に、名前よりもずっと精神が強そうな奴は沢山いた。死んでいった彼らと目の前で泣いている小娘に、一体どんな差があったというのだろう。
 もし、それも引力によって導かれたものだとしたら。わたしがあの納骨堂で名前と出会い、彼女のスタンドを発現させるに至った事にも全て、意味があるのだとしたら……。
 ふと、自分の首元へと手を伸ばした。ジョナサン・ジョースターの身体であるそこには、星の痣が刻まれている。そして、そこから呼応するように、この世界のどこかにジョジョの子孫が存在している事を実感としてこの身体は感じている。
 ジョースターの血筋は、百年が経過した今もまだ、続いている。
 名前の事も含め、それら全てがわたしに対してこれからどのように関わってくるのか、全く分からない。良い方へ傾くのか、良くない方へ傾くのか、女神となるのか、悪魔となるのか。ボインゴのトト神も、遠い未来までは予測は出来ないと言っていた為、現時点でわたしにそれを知る方法は無い。
 わたしは人間ではなくなったが、神にはなれていないのだ。未だ、分からない事が多すぎる。
 目の前の小娘が泣いている理由すらはっきりと分からないのでは、その辺に転がっている人間と大差が無いようにすら思ってしまう。いや、こんな考え方そのものが、人間染みて実に馬鹿らしい。途方も無い時間の中でも特に無駄な行為にあたるだろう。

「おい、名前」

 いつの間にか、名前からしゃくりあげる声が聞こえなくなっていた。
 名前を呼ぶが、反応は無い。枕元まで近付いて顔を覗き込むと、名前は目を閉じていた。泣き疲れたのか、寝てしまったらしい。わたしを嫌っている割には警戒もせずに無防備に寝顔を晒すとは。詰めが甘いというか抜けているというか。
 名前の頭に手を置いてみる。寝ているからか、先程のようにスタンドは発動してこない。そのまま軽く撫でると、名前は少しくすぐった気に身体を捩らせた。目を覚ましたのかと思ったが、そういえばこいつは一度寝ると深く寝付くのだと思い出した。この程度では起きないのだろう。
 先程まで泣いていた名前の瞼は浮腫み、鼻や頬は赤く色づいている。触れると、少し熱く感じた。







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2015.5.8