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 段々と面倒になってきたのか、私に(まだ)逃げる気が無い事を察したのか、館の中にいる限りは見張りがつかなくなった。それでもヴァニラ・アイスやエンヤ婆に普段から何かやる事があるわけでは無いらしいので(エンヤ婆は時々占い業をしているらしいが)館の中をうろつけば、たまにすれ違う事はあった。どいつもこいつもニートかよ。生活費どうしてんだ。
 他のスタンド使いも、全員がこの館に住み込みでいる訳では無いらしいが、時々何の用かふらりと館にやってくるのを見る事があった。今のところ確認した人物はホル・ホース、鋼入りのダン、マライア、Jガイル、オインゴとボインゴ……くらい。たぶん他にも見たかも知れないけど、いくらどいつもこいつも派手な身なりをしているとはいえ、パッと見で予想を当てる事が出来ている自信が無いし、実際に会話を交わした人はホル・ホースくらい(しかもほとんど一方的に喋られただけだった)なので、ひょっとしたら今あげた中にも本当は全然違う人だったっていうのが混ざっているかも知れない。
 ちなみに、DIOの執事として有名なテレンスだが、現在まだこの屋敷にはいない。その所為か、館の主な家事はヴァニラ・アイスとエンヤ婆が担っている。食べさせて貰っている身として贅沢を言うわけにはいかないが、エンヤ婆の作る料理は味が濃くてあまり好きじゃない。一度だけ、自分で食べる分は自分で作ろうと台所に立ってみた事があったが、ただでさえ自分の家では無い上に、異国の文化が染み込んだ空間で自分の思う通りに料理が出来るわけが無かった。ボトルや箱に書かれたアラビア文字はミミズの這った跡にしか見えず、黙って棚の元の場所へと戻したのは数日前の事だ。
 今日は、本を持って客間へ向かう事にした。館の中でも太陽の光が特に差し込むその部屋には、ソファもあるので昼間はとても心地の良い空間になっている。人間だからこそ味わえる至福だ。

「Excuse me.」
「え?」

 客間の扉に手をかけた時、突然声をかけられた。反射的に振り向くと、ガタイの良い青年が立っている。その体格には似合わない、老人が使いそうな杖を持っている。
 目を伏せている青年は英語で言葉を続けるが、勿論私は理解が出来ない。英語が話せなくても海外で生活をすれば自然と話せるようになる、なんて話をよく聞くが、あれは絶対嘘だと思う。それか、DIOが日本語で話しかけてくれるお陰で、私の脳味噌が英語を覚えようとしていないのかも知れない。なんかこれ、DIOに頼り切っているみたいですごく嫌だ。

「Sorry about that. My self-introduction was late. I'm N'Doul.」
「……ん? ンドゥール?」

 手を差し出され、釣られるままに握手をした。
 服装が原作と全然違ったので気付かなかったが、杖は歩行補助具として考えれば合点がいった。そういえば髪は短くざっくばらんとしていて、伏せられた瞼の隙間から覗く瞳はどこか焦点が合っていないように見える。
 ンドゥールというキャラクターは、自身は盲目でありながら、その代わりとして発達したのだろう聴力で承太郎達を追いつめた人物だ。DIOを敬愛していて、原作ではあの吸血鬼の為に自ら命を絶っている。
 つまり、今からそう長くない未来で、目の前に居るこの男は死ぬ。

「あー、えーっと、あの、アイキャントスピークイングリッシュ、アイムジャパニーズ、ソーリー」

 私が辿々しく拙い英語で話すと、ンドゥールは眉尻を下げ、少し困った表情になってしまった。まさかエジプトに、というか、DIOの下に英語が理解出来ない日本人がいるだなんて思わないのは当然だろう。ンドゥールの様子に、私も申し訳ない気持ちになる。
 ンドゥールは私に何か一言言い(たぶん、すまなかったとかありがとうとかそういう意味だと思う)踵を返すと、館の置くへと一人で歩を進めようとした。
 私は何だか、このまま放っておくのは気が引けた。館の勝手を知っているのかは分からないが、きっと1人で歩く事は充分慣れているだろう。それでも、バリアフリーなんてものは無いこの屋敷の中に、視覚の不自由な人間を一人で放っておくという状況を、私の一般人としての良心が咎めた。早足でンドゥールの元へと駆け寄り、彼の肩を軽く2、3度叩いた。

「えーっと、……DIO?」

 DIOの名前にンドゥールは反応を示した。この館に来る時点で粗方予想は出来ていたが、やはりDIOに用があるらしい。今は昼間なので、起きているのかは知らないが。

「あー、うーん、良ければDIOさんとこ案内します。えーっと、あー……カモン? プリーズカモン?」

 自分の英語力の無さに辟易しつつ、私は彼の空いている方の手を引いた。私の情けない英語とその動作から察してくれたのか、ンドゥールは英語で礼を言った。
 DIOは2階か3階のどこかの部屋を自室にしている筈だ。単に1階にDIOの部屋が無いからという消去法での結論だが。馬鹿みたいに部屋数の多い建物ではないから、しらみつぶしに探せば見つかるだろう。それか、その前にヴァニラ・アイスかエンヤ婆を見つけて彼らに任せれば良い。
 階段の前に着き、握っていたンドゥールの手を手すりへと持っていく。彼の手が手すりを掴んだ事を確認すると、私はそこから彼の反対側へと周り、杖を持っている手を握った。

「あ、階段、えっと、ステップ? です。気をつけて」

 恐らく私が言っている事は分かっていないだろうンドゥールは、左手に掴まされた手すりの存在と、ゆっくり一歩を踏み出した際につま先に当たった段差の存在から、階段を上るのだと察したらしい。綺麗な英語で礼を言うと、ゆっくりと段差を確認しながら階段を上り始めた。私は、ンドゥールの右手から杖を預かり、彼の足並に合わせて一緒に階段を上った。
 ゆっくりと、一段一段を気をつけて踏みしめながら、私はンドゥールの横顔を眺めた。人の顔をジロジロと眺めるのは良くないかも知れないが(自分が見られる側になると考えると非常に不快だ)それでも、見ずにはいられなかった。
 遠くない未来、彼は自ら頭を貫き自害するのだ。あの吸血鬼なんかの為に、己の命を散らすのだ。
 大義とか、忠誠とか、そういう理由で死を選ぶという事を、私は理解出来ない。死んだら全てがお終いになるだけだ。例えその行為をどんなに褒め讃えられたとしても、死んでしまったら分からないじゃあないか。
 自分の命は自分だけの物だ。誰にも渡さずに、自分だけの為に使うべきだ。他人の為に散らすだなんて馬鹿げているとすら思う。こういう考え方をしている私こそ、誰かに忠誠を誓っている人間から見たら愚か者なのかも知れないけれど。
 近い未来での死を約束された横顔は、当たり前だが、そんな事は考えている様子は感じられない。視線を感覚的に感じたのか、一度こちらへ顔を向けたので、私は慌てて逸らした。罪悪感のような気持ちが沸いてしまい、残りの階段を上りきる間は、私はンドゥールの顔を見る事が出来なかった。

「あ、アイスさん、じゃなくて、えっと、ヘイ、ミスターアイス、ヘイヘイ」

 階段を上りきったところで特徴的な格好を見つけた。私の呼びかけに、ヴァニラ・アイスは少し嫌そうな顔で振り返った。私だって出来る事なら話しかけたくねーわこの野郎。
 ヴァニラ・アイスはンドゥールに気付くと、途端に普段の無表情に戻り、英語で会話を始めた。ンドゥールも言葉が通じる人間に会えて安堵したのか、その口調は私に話しかけたときよりもどこか流暢に聞こえた。
 話がまとまったのか、ヴァニラ・アイスが歩き出した。何だか疲れてしまった私は、2人を背に自室に戻る事にした。天気が良いのは今日だけではないし、本は自室でだって読める。
 踵を返すと、肩を叩かれた。

「What's your name ?」

 振り向くと、ンドゥールがこちらを見ていた。いや、彼は目が見えないから、こちらへ身体を向けていた、と言った方が正しいのだろう。どちらでもいい事だ。
 ンドゥールの英語を聞き取れなかった私が数十秒程狼狽えていると、彼はもう一度同じ言葉を、今度はゆっくりと発音した。その気遣いもあり、私は彼が名前を尋ねているのだと気付く事が出来た。

「え、あ、ま、マイネームイズ、ナマエ、です、ナマエ」
「ナマエ、Thank you.」

 ンドゥールはそう言いながら手を差し出してきた。反射的に私も手を出し、彼の手に触れると、ンドゥールは両手で私の手を握った。私は何を言ったら良いのか分からず、咄嗟に頭を下げたが、目が見えない彼には会釈は恐らく分からないだろう。彼が私の手を離してから気が付いた。

 今度こそ、2人がDIOの元へと向かうのを見送り、私は自室に戻った。ベッドに座り、そのまま身体を倒すと、毛布の中へと身体は沈んだ。ダラリと投げ出した右手を顔の前まで持ち上げた。そしてもう一度毛布の上へと投げ出すと、内臓の底に溜まった疲れを長い溜め息で吐き出した。
 ンドゥールの手は温かかった。あの人も誰かを殺してきてるんだよなあ、なんて考えるが、上手くイメージが出来なかった。
 あの手が今までにどれだけの人を殺してきたのかは私の知るところではない。DIOを(悪という言葉をつけてはいたが)救世主なんて呼ぶくらいだから、少なくとも普通の人よりは多くの辛酸を舐めて来たのだろう。スタンドが使える人生というのがどんなものになるのかは私は知らない。得体の知れないものには近寄りたくないのだと、周りから迫害されていたのかも知れないし、逆に恐れられていたのかも知れない。どちらにせよ、オカルトのような力であるこれが、能力を使えず、その存在すらも知らない普通の人間との間に壁を隔てるには充分な材料だ。確か、花京院は、そういう人生を歩んでいたのだと描かれていた気がする。
 きっと、あの温かい手は、いくつかの心臓を握り潰して、その人達の血が染み込んでいる。
 そもそも私は、人を殺すという行為に対する実感というものを持っていない。死ぬ事への恐怖は持っている癖に、実は私はまだどこか平和な世界にいるのかも知れない。理解と実感は同じように思えても、その意味が持つ重みは全く違うのだ。
 現実を見つめているつもりが、私はまだ夢の中の気分でいる。







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2015.4.3