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 名前が時々不思議な事を口走るようになった。それが館の生活がストレスになった事によるものなのか、逆に慣れた事によって出てきた奴の本来の性格なのか、わたしには判断がつかない。
 いや、アメリカで拾ったこの女はそもそも、ただの人間に見えて色々と謎めいた部分を持ってはいる。使い手であるわたしを差し置いてスタンドの能力を先見した事もそうだが、わたしの存在やスタンド、石の矢等、本来平凡に生きていれば確実に知り得る事の無い情報を持っていた。
 不思議な事というのも、普段生活をしている中では言わないようなのだが(そもそも名前は英語が分からないのでわたし以外の者とは積極的に話そうとしない。わたしとすら話すときは受け身の態勢を貫いている)わたしが部屋に訪れたとき、

「貴様は何故わたしのスタンド能力を知っている?」

 と、尋ねたとする。すると名前から返ってくる答えは、

「私が未来から来たって言ったらどうします?」

 こんな具合だ。

「それはどういう意味だ」
「言葉の通りです」
「西暦1987年よりも先の時代から来たという事か?」

 わたしがそう訊くと、名前は頷いた。
 タイムトラベルの類いはいくつか小説で読んだ事はある。が、あくまでもそれはファンタジーの世界での話であって、今現在の、この現実の中に於いて、その存在は有り得ないとされている。あまりにも非現実的だ。
 わたしは名前が突然この話題を出してきた意図を読み取る事が出来なかった。先日こいつに暇つぶしの為の本をいくつかやったが、その中にこの話題について言及しているものは無い。あまりにも突拍子が無さ過ぎた。

「わたしの質問の答えにはなっていないようだが」
「未来から、あの教会に来たって事です」

 今日は名前の部屋に白ワインを持ってきた。名前が成人している事を知ったからだ。てっきり小娘程の年齢だと思っていたので、東洋人は実年齢よりも見た目が幼く見えるらしい。晩酌に付き合えと適当な事を言って名前に無理矢理グラスを持たせた。
 酔わせてしまえばそのきつく結んだ口を緩めるかも知れない、という期待も抱いていないわけでは無い。

「ふむ、それがもし本当なら、貴様がわたしのスタンド能力を知っていた事の根拠にはなるな。まあ、あくまで根拠になるその話自体に、このDIOが納得するだけの根拠が必要だがな」
「ごもっともで」

 名前は手にしたグラスを中々口につけなかった。それが、名前の発言が酔いによるものでは無い事を証明足らしめていた。ベッドに腰掛け、グラスのステムを持ちながら(最初は香りや色を楽しんでから飲むのかと思ったが、単にそれが正しい持ち方だと思っているだけらしい)手に余るようにゆらゆらと緩やかに水面を揺らしている。

「飲まないのか」
「……ワインってあんまり美味しいイメージが無くて」
「貴様は安物しか飲んだ事が無いのだな。これはその貧相な舌には勿体ない程の代物だ。少なくとも、貴様が自分の力で手に入れる事は到底無理な程度にはな」

 名前は眉間に皺を寄せて訝しむようにグラスに鼻を近付け、香りを確かめた後にほんの少量を一口だけ含んだ。自分が予想していた味ではなかった事に驚いたのか、パッと目を見開かせ、味を確かめるように二度、三度と再び口の中へと流し込んだ。余りにも分かり易い反応が可笑しく見えた。
 小さな声で美味しいと呟いたのが聞こえた。貧相な舌は正常に味覚を働かせたらしい。私も手にしていたグラスを口につけた。

「仮に、もし本当に貴様が先の時代から来たのだとするなら……そうだな、恐らくスタンドの仕業だろう」
「時間を遡るスタンドなんて存在しませんよ」

 名前はわたしの言葉に間髪入れずに反論した。初めての事だったので、わたしは若干面食らってしまった。(表情には出さなかったが)
 いつの間にかグラスの中身を空にしていた名前は、ベッドから腰を上げると私の横の小さなテーブルに置かれているワインに手を伸ばした。両手で瓶を持つと、覚束ない手つきでグラスに二杯目を注いだ。
 折角だ、このDIOにも注いで貰おうではないか、とわたしも空にしたグラスを置くと、少し不服そうな顔をしながらも、こちらにも瓶を傾けた。そんな顔で注がれては美味いワインも不味くなってしまうな、なんて軽口を叩いてみると、そうですか、という淡白な返事だった。
 名前は瓶を置くと、再びベッドの自分が腰掛けていた位置まで戻ってしまった。逃げるような足取りだったので、わたしの近くにいる事が相当嫌であるらしい。

「わたしのスタンド能力は時に関係するものだと言っていなかったか?」
「少なくとも遡るものではないですね」

 二杯目のワインも調子良く飲みながら名前は答えた。段々と頬が赤くなってきているように見える。
 先日、名前はわたしのスタンド能力が時に関するものだと明言した。本人は嘘を吐いているつもりでは無いようだが、何も確証の無いまま言われたその言葉に対して、私は半信半疑でいる。
 こいつの発言は、今いち意図が読めない。記憶を喪失していた振りも、恐らくはその場凌ぎのものだったのかも知れないが、だとしても余りにも杜撰だ。(まあ、その杜撰な誤摩化しにわたしも一時的に騙されてしまったわけだが)

「何故無いと言い切れる」
「見た事無いですから」
「お前が知らないだけかも知れないぞ」
「人間は神じゃあ無いですから、一度無くなってしまったものを取り戻すスタンドなんて有り得ないですよ。都合が良すぎます。日本の神話じゃあ神様すら死んだ奥さんを取り戻す事は出来ませんでしたし」
「ギリシアの神話にも似た話があったな。だが、それはあくまで貴様の願望を言っているだけだ。根拠にはならん」

 名前は段々と饒舌になってきた。アルコールの所為だろうか。そのまま、洗いざらい白状してくれれば好都合なのだが。
 それに釣られてか、わたしも口が緩みがちになっている気がする。話して困る話題では無いので気に留めていない。

「論点がずれたな。話を戻そう。つまり、貴様はスタンド以外の力で時間を遡ってこの時代に来たと?」
「まあ、例え話ですけど」
「……突拍子も無い例えだな。下手なSFの方が余程面白い」
「SFは現実味湧かないからあまり好きじゃないです」
「貴様の好みなど聞いてない」
「まあタイムトラベルなんて嘘なんですけどね」
「そんな事は知っている。貴様の経歴も然程興味は無い」
「そりゃどうも」
「結局、私の質問には答えていないな」
「そうでしたっけ?」

 へにゃへにゃとした締まりのない笑顔で名前は答えた。顔はすっかり林檎のように真っ赤になっていた。元々アルコールに強くはないのだろう。だが、そのきつく閉じられた口は容易には開かないらしい。馬鹿なのか利口なのか分からん奴だ。
 思えば、名前は自身の家族や故郷の話については一切口にしない。単に話したくないだけにしても、自身が本来居た筈の所へ帰りたがる様子も無い。
 そもそも、こいつは英語も満足に話せない癖に、どうしてアメリカの、あんな小さな教会の納骨堂などに居たのだろうか? 日除けの為に隠れていたわたしは随分と長い時間あの納骨堂に居たと思うが、名前があの納骨堂に入ってきたタイミングは分からない。神父見習いが入ってくるときは物音がよく聞こえたから、名前が侵入してくるときも確実に気付けた筈だ。
 だが、まるで、『私が来るよりもずっと前からそこに居た』かのように、『そこに居る事が当たり前である』かのように、この女はあの場所に現れていた。それこそ何者かのスタンド能力で無ければ腑に落とす事が出来ない。ジョジョのスタンドを使えば何か分かるかも知れないが、名前のスタンドには通用しない為にそれは叶わない。だが、このスタンドには随分と怯えていたから、わたしに知られたら困る情報を抱えているのは間違いない。
 ならば肉の芽を使うか? 隷従させてしまえば本人自ら口を割ってくれるだろう。だが、解除の方法を用意していないこれをそう簡単に使って良いものか……。いや、この件はまた後で、ゆっくり考える事にしよう。
 一通り思案していると、名前が三杯目のワインを注ぎにこちらに向かってきた。随分と遠慮が無いのだな。そう言うと、美味しくってつい、と再びへにゃりと笑った。ベッドに戻るときの足取りは、先程のような逃げ腰では無いように見えた。

「それにしても……ふむ、貴様は、人間は神には成り得ない、と考えるのだな?」
「……まあ、そう、ですね。宗教だって神の子供を名乗る人間は居ても、神を名乗る人間はいませんし」
「宗教はただの人間の創作物だろう」
「わあ手厳しいですね。救いも何もあったもんじゃない」

 酔いが回ってから名前は随分と笑っている。笑い上戸なのだろう。
 そういえば、こいつがわたしの前で笑顔を見せるのは初めてかも知れない。

「救われるかどうかというのは個々の思い込みによるものだ。救いがあると思い込ませれば信者は救われる」
「DIOさんって宗教は信じてないんですか?」
「信仰深いように見えるか?」
「……見えないですね」

 少しの間を置いて、名前は鼻で笑うように答えた。普段はわたしに対して怯えるような態度で居る事が多い名前だが、酒が入るとその態度も少し大きくなるようだ。
 その後も取り留めのない話を交えながら、わたしも名前もワインの味を楽しんだ。饒舌になった名前は、尋ねてもいないのに自分の好きな映画について話しだした。映画を観る事が趣味で、ここに来る前は随分と色々観ていたらしい。初めて知った名前の過去だった。
 いつの間にか空になっていた瓶が、晩酌の終わりを告げていた。

「ワインって美味しいんですね。知りませんでした」
「わざわざ飲みやすいように甘口のものを持ってきてやったからな」
「DIOさんって人に気を遣えるんですね。それも知りませんでした」
「貴様は酒が入ると軽口を叩くようになるらしいな」

 ニヤリと笑いながら名前の両頬を片手で鷲掴みにすると、名前はフガフガと何語でもない言葉を口にしながらわたしの手を軽く叩いた。このまま茨のスタンドを使えば抵抗される事無く念写が出来るかも知れないと思ったが止めた。手元にカメラは無かったし、アルコールが回ってしまったのか、わたしも何だか少し気分が良かったのだ。







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2015.2.5