17







 DIOがスタンド能力をまだ知覚していない事が分かった。少なくとも半年は原作突入までの猶予があるという事だ。記憶力に自信が無いので、エジプトでの戦いの日から本当に半年前だったのか怪しいところだけど。考えても思い出せそうにないので、取りあえず半年としておく。
 それと、もう一つDIOが言っていた事が、とても気になっていた。
 外に出ても構わない。DIOは確かにそう言った。あの場では断ってしまったが、人間として生きている以上は陽の光が恋しくなる。窓から浴びる事も出来るが、小さな窓からの細い光を身体の一部に当てるよりも、外で全身いっぱいに直接浴びたい。どうせ私もやる事の無いニートと同様なので、館の外で穏やかな時間を過ごすのも悪くないと思ったのだ。
 ただ、それには大きく立ちはだかる問題があった。私一人でどうにか出来るとは思えない、大きな問題が。

「えっと、ぐ、グッドモーニング……」
「……」

 そっと部屋の扉を開くと、逞しい体つきの男性がこちらを一瞥した。ギリギリまで足を露出した奇抜なファッションが目のやり場を困らせる。此処が日本だったら間違いなく警察の職務質問は不可避だ。
 拙い英語で挨拶をしたが、ヴァニラ・アイスは私へ視線を向けてすぐに逸らした。それ以外の反応は無く、私の勇気を振り絞った挨拶は行く当ても無いまま空中に消えてしまった。
 駄目だ。やっぱり駄目だ。この男はどうも苦手だ。あのDIOを狂信しているところから既に苦手だ。娯楽として楽しんでいたときとは違う、一人の人間として相対すると、どうすれば良いのか分からない。

「あ、あの、外、DIOさんが、出て良い、言ってたから、少し陽に当たりたい、の、です、が……えっと……外って英語で何て言うの……」

 完全に畏縮してしまった私は、あれだけ頭の中で描いていたシミュレーションもどこかへ吹っ飛ばしてしまった。英語で話すどころか、日本語すら危うい状態になっている。
 ヴァニラ・アイスはその表情筋を一切動かす事無くこちらを凝視している。私も言葉を続ける事が出来ず、両者は沈黙した。DIOとの間に流れる静寂よりも苦痛に感じた。
 これは、駄目だ。命が脅かされる前に大人しく戻ろう。
 小さな声で謝罪を告げながら部屋に戻ろうとした。しかし扉のラッチボルトは、私よりもずっと大きな手によって閉まる事は無かった。

「え、あの、え?」

 不意の行動に困惑の表情を浮かべていると、ヴァニラ・アイスは私が閉めようとしていた扉を開け、そのまま踵を返して歩き出した。その行為の意図を飲み込めないままでいると、振り向いたヴァニラ・アイスが小さな声で「come」と言った。確かに、言った。
 それでも戸惑って動かないままでいると、段々とヴァニラ・アイスの顔が顰められてきたので、私は慌てて彼の後を付いていった。





「名前が外に出たがるかも知れない。そのときは外に出して、お前は名前が逃げないように見張れ」

 DIO様が仰っていた事を思い出した。
 恐らく、目の前のこの女は外に出たいのだろう。俺には聞き取れない言語を口にしながら、身振り手振りで窓を指差している。
 この女の事は好きではない。理由は知らないが、どうやらDIO様に気に入られているらしく、週に何度かはDIO様が自らこの女の部屋にお出向きになられている。情事をするような仲では無いらしいが(先日エンヤ婆が不躾にもDIO様に尋ねていた。DIO様は笑いながら否定なさっていた)こいつの話をされるときのDIO様は普段よりも楽しげに感じられた。
 ただの気まぐれだ、用が済んだら血を貰って捨てようと思う。DIO様は最初こそそう仰っていたが、それを実行に移される様子は一向に見られない。それどころか、女は矢によってスタンド能力を開花させた。一度だけ見た、あの蚕の繭のような姿が、一体どんな能力を有しているのかは分からないが、俺以上にDIO様の御力になれる能力とは思えなかった。
 この女は気に食わない。エンヤ婆も似たような事を言っていた。DIO様にとって不都合になる存在の予感がする、と。確固たる証拠が無い為、確信とする事が出来ないのが残念なところだが。(確信を持つ事が出来たら、今すぐにでも暗黒空間へ葬り去ってやるのに)

 一階の台所の冷蔵庫から鶏肉を取り出した。ペットショップに餌をやる為だ。あの鳥の世話は、俺がDIO様から賜った仕事だった。女を外に連れて行くついでに昼間の分を済ませてしまう事にしたのだ。
 女は台所の出入り口付近で手持ち無沙汰に突っ立っていた。俺の行動の意味が分からないのか、俺の手にある鶏肉の入った袋を凝視している。俺が女を見ると、女は慌てたように視線を逸らした。
 外は晴天だった。気温こそあまり高くないが、太陽のお陰で日向は暖かい。女を見ると、望みだった陽の光が目の前にあるというのに玄関から出ようとしない。来ないのかと尋ねると、言葉を理解したのかは分からないが、そろそろと小股で出てきた。

「門から外へ出なければ好きにして良い」

 女は小首を傾げていた。やはりこちらの言葉は分からないらしい。そのまま突っ立っていたが、俺がこれ以上の面倒を見る義理など無いので、無視をして門の方へ向かった。





 よく分からないまま外へ出る事が出来た。陽の光を浴びるのは何日振りだろう。外は少しだけ肌寒いが、日向は心地の良い暖かさだった。
 ヴァニラ・アイスは外に出てからは私の事を一切見ない。外に出る際に持ってきた肉の入った袋は、どうやらペットショップへの餌だったらしく、門の近くへ行くと口笛を鳴らし、それを聞いた大きな隼がヴァニラ・アイスの太い腕に留まった。突っ立ったままでいるのも座りが悪かった私は、ペットショップが肉を頬張る様子を横目にしながら、そろそろと玄関前の小さな階段に腰を下ろした。
 塀の向こうでは人の声や車の音が時々聞こえてくる。確か、DIOの館は街から少し離れたところにあったような気がしたのだが、朧げな記憶だからあまり自信が無い。いや、そういえば原作で一度所在がバレて別の館に引っ越ししていたんだっけ。
 門は少しだけ開いている。あそこから出て行く事を一瞬だけ考えて、すぐに止めた。ヴァニラ・アイスとペットショップのスタンドを前に逃げ切れる自信なんて微塵も無いし、万に一つそれが成功したとしても、その後の私に行く当てなんて無い。DIO以外に、この世界で私を知っている人間は居ない。
 駄目だ。ボーッとしていると、余計な考えばかりが浮かんでくる。私の悪い癖だ。治しようの無い癖だ。
 ペットショップの鳴き声が聞こえた。太陽が眩しい。この太陽の下に、父も母も居ない。友人も居ない。私が過去に起こしたどんな小さな出来事も、生きてきた僅かな時間も、この世界には無い。どんなにDIOと話しても、知っている著者の本を読んでも、服を着ても、食事をしても、どうしても地に馴染めない感覚が拭えない。
 ペットショップへの餌やりを眺めていたら、ヴァニラ・アイスの腕に留まっていたペットショップが突然、私の方へ飛んできた。身を強ばらせるよりも前にその隼は私の右足の上に留まった。服を隔てているが、鳥特有の固い足と爪が肌に食い込むようで、少し痛みを感じた。ペットショップはこちらをじっと見つめている。
 攻撃されたらどうしよう。真っ先に氷のスタンドが浮かんだ。人で無い分、その攻撃はきっと容赦が無い。ヴァニラ・アイスは恐らく私を助けない。
 ペットショップの瞳と私の目が交わる。何度か小首を傾げながら私の顔を見たペットショップは、再びヴァニラ・アイスの方へと戻った。遅れて私の心臓が、吃驚したと感想を話すように騒ぎ立て始めた。ペットショップが留まっていた右腿には砂がついていた。
 ヴァニラ・アイスが餌やりを終えるのを見て、館の中に戻る事にした。ひなたぼっこは心地良かったが、私には室内に引き蘢る方が性に合っているらしい。







|





2015.2.3
ペットショップ「あ?あのブス何?新人?先輩の自分に挨拶も無しか?ん?」