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 館での生活は、驚く程穏やかだった。まるで、原作の戦いなんて無いのだと思ってしまう程には。
 ここの夜は、とても静かだ。アパートで暮らしていた頃は、大通りに面していた事もあって、車の音が煩く、学生が多かったから深夜でも人の声はよく聞こえてきた。あの喧噪が遠い過去のように思えて、寂しさを感じないと言ったら嘘になる。
 館で出会う人間も、私の事を歓迎こそしなくとも、邪険に扱うような事は無かった。
 そもそも、この小さな部屋に軟禁状態の私は、館にどれくらいの人間がいるのかを分かっていない。私の監視に関しても、ヴァニラ・アイスかエンヤ婆しか見た事が無かった。
 一度だけホル・ホースと鋼入りのダンを見た事はあった。ホル・ホースには英語で何かを話しかけられすらした。咄嗟にすいませんと日本語で話したら、日本語なら少しだけ話せると片言で言われて驚いたのは記憶に新しい。
 あと、エンヤ婆から生活の為の着替えを渡されたとき、マライアがどうこうと話していたので、マライアも館にいるのかも知れない。服は私の趣味とは全く違うものだった。 貰えるだけでも充分有難いので、贅沢を言うつもりは無い。
 そういえば、教会で目を覚ましたときに私が着ていた服はどうなったのだろうと、私の腕から点滴が外れた頃にDIOに尋ねた。曰く、石の矢が首に刺さったときに血で汚れてしまったから処分したらしい。ついでに倒れている間に私を着替えさせたのは誰かも尋ねたら、ヴァニラ・アイスだという回答が返ってきた。死にたい。
 捨てられた服はただの寝間着だったので、愛着も何も無かったのだが、私が暮らしていた世界との唯一の繋がりが断たれてしまった事に、ほんの少しだけ寂しさを感じた。

 そろそろ寝ようかとベッドを整え終えた時、ドアをぞんざいにノックする音が鳴った。普通なら失礼に当たるだろうこんな時間に尋ねてくる奴は、1人だけだ。

「さて、話す気にはなったか?」

 DIOは、こうやって真夜中に定期的に私の所に来ては、暇を潰すように、本を読みながら尋問をしてくる。私はその度に、ベッドの上で眠気眼を擦りながらノーと返事をする。いつの間にか、このやり取りが恒例になっていた。
 DIOとの会話は窮屈で億劫で嫌いだ。だが、私の知らない言語に囲まれているこの国で、唯一私の母国語を有しているのがこの男だ。ホームシックで狂ってしまいそうな精神を、崖っぷちで何とか繋ぎ止めている要素の1つだということは、認めざるを得ない。

「話すときはちゃんと言います」
「信用出来んな」
「まあ、それは仕方ない、ですけど」

 私はベッドの端に座りながら、口をモゴモゴとさせて視線を床に落とした。ベッドに潜っても良かったのだが、そういう気分でもなかった。
 不思議な事に、DIOは私の出生やあの教会に居た理由についてはあまり突っ込んで訊いてこない。興味が無いだけなのかも知れない。それか、記憶が無い振りをしていたから、都合の悪い立場に立たされている身なのだと都合良く勘ぐってくれたのかも。どちらにせよ、説明し辛い経緯を言わずに済むのだからこれで良い。
 視線を床からDIOへ移した。いつの間にか部屋に置かれていた椅子はDIOの座りやすそうな大きな椅子に変わっていた。どう考えてもこの部屋でくつろぐ事を前提としたそれに私の顔が自然と顰められた。DIOは変わらず本を読み続けている。ふと、間違い探しのように、先日此処に来た時のDIOと違う部分がある事に気が付いた。

「この間のは終わったんですか?」
「何がだ」

 私はDIOが手にしている本を指差した。

「本、この前とは違うので」

 相変わらず英語表記のタイトルは何と書いてあるのかは分からない。学生時代にもっと英語を真剣に勉強すべきだったと思うが、意味の無い後悔だ。思えば学生時代に私は何か一つでも真剣に取り組んだものはあっただろうか。いや、そんな事虚しくなるだけだから止めよう。閑話休題。

「ああ、アレはもう読み終わった」
「読むの速いんですね」
「まあな」

 早く読めるに越した事は無い。知識はあればあるだけ良い。DIOはそう言いながら再び本へと視線を戻した。その言い草に何故か、そういえばこの男は幼い頃貧しい暮らしをしていたのだと思い出した。ヒエラルキーの底辺のような環境から這い上がってきた男だからこその言葉だったからだろうか。
 気品を感じさせるその所作には、そこに居たという過去は微塵も感じさせない。

「日本語の本って無いんですか?」
「何だいきなり」
「部屋に閉じ込められて寝るか起きるしかやる事が無いと暇で気がおかしくなりそうなので、気を紛らわしたいなあと」
「外に出れば良いではないか」
「は?」

 この言葉に私は目を丸くした。軟禁しているんじゃなかったのか。少なくとも、この男の部下達は私を、決して手洗い以外でこの部屋から出そうとはしなかった。
 私の様子など露知らずなDIOは、変わらず本を読み進めている。

「出たら駄目なんじゃないんですか」
「この部屋から出てはいけないなんて言った覚えは無いが」

 外に出ても良いとも言われていないのだが、いや、止めておこう。これでは互いに揚げ足を取り合うだけだ。

「あなたの部下は良しとしてなかったようですが」
「そうか? わたしの元から逃げないようにとだけは言ったが」

 そりゃあ、そんな言い方をしたら、あの忠実な部下達(特に美味しそうな名前の方)は徹底してその命令を完遂しようとするだろう。逃げないようにということは即ちこの館から、この部屋から出さない事に捉えられてもおかしくない。天然なのか部下を理解していないのかわざとなのか、私には判断出来ない。

「外は……言葉分からないので、いいです。それより、何か暇を潰せるものがあると、嬉しい、んですけど」
「要求ばかりしてくるのだな」
「う、す、すいません……」
「だが……、そうだな、交換条件としよう。貴様がわたしに有益な情報を何か一つ話してくれたら、貴様の要求を一つ呑んでやる」

 DIOのその言葉に、私の眉根が押し上げられた。断りたい交渉だったが、これ以上暇に首を絞められるのも辛かった。それに、気になっていた事を確認する事も出来る絶好の機会でもある。
 慎重に、脳内でどう尋ねようか言葉を逡巡させながら、私はゆっくり口を開いた。

「……じゃあ、ひとつ、だけ。まず訊きたいんですが、DIOさんのスタンドって、能力は何ですか?」
「それを貴様に教える事が、私へ有益な情報を言う為にどうしても必要だというのか?」
「えっと……それは、その……えーっと」
「それでは教える筋合いなど無いな」
「……もしかして、まだ、能力を知覚してない、とかじゃ」

 DIOの眉がピクリと反応した。図星だったのだろうか。赤い瞳が本から私の方向へ、ゆっくりと移動してきた。
 栞を挟んで本を閉じ、こちらを見据える為に座る姿勢を正した。正した、と言っても足を組んで傲慢な態度でこちらに向き直っただけだが。でも、たったそれだけの動きで畏縮してしまうのは、DIOの持っている力なのか、私が臆病なだけなのか。

「……それはどういう意味だ?」
「え、あの、だって、私に攻撃してきたとき、DIOさん、私に殴り掛かっただけじゃないですか。ま、まさかスタンドの能力が、殴ったり蹴ったりするだけだなんて言いませんよね? 人の形してるスタンドなら、誰だって出来ますし」
「……あの場で能力を使う必要など無かったからだ」

 倨傲な態度のまま、腕を組みながらDIOは言う。若干の間が、違和感として私の脳に伝わる。
 たぶん、嘘だ。DIOの能力なら絶対に試す。誰だってそーする。俺だってそーする。私の頭の中の虹村形兆も言っている。
 DIOを相手に鎌をかけられる自信は無いが、兎にも角にもやってみるしかない。というか、ここまで言ってしまった以上はこのまま行くしかない。逸る鼓動を抑えながら、私は口を開いた。

「…………私、DIOさんの、スタンド能力、知ってます、って言ったら、どうします?」
「……ほう?」

 私の言葉に、DIOは興味深そうな笑みを浮かべた。
 相手からしたら、どう考えてもハッタリとしか思えない言葉だ。例え、DIOのスタンド能力が既に開花していたとしても、それを知り得る方法なんてそう簡単には見つからない。
 DIOは、どんな反応をするのだろう。

「まるで予言者のような事を言うのだな。私の部下にも一人似たような能力を持った者が居るが」
「……予言、てことは、やっぱりまだ能力を知らないって事、ですかね?」

 一瞬の沈黙の後、DIOの口から小さく舌打ちの音が聞こえた。私は、まさか本当にDIOに鎌をかけることが成功するとは微塵も想像していなかったので、予想外の出来事に少しだけ心が躍った。少し顔をしかめる目の前の化物が、今だけ普通の人間に見えたような気がした。
 それと同時に、怒りを買ってしまったかも、という恐怖も感じた。自分のスタンドで防げるかも知れないが、スタンドの慣れや戦いの経験の有無を考えると、あちらが圧倒的に有利だ。
 DIOがこちらを睨んだ。思わず身体が強ばる。

「……まあ良い。確かに私のスタンド、ザ・ワールドは他のスタンド使いのような固有の能力と言えるものは無い。それは認めよう。精々人を殴り殺せるだけのパワーがあるくらいだ」

 精々なんて言い方をしているが、そのパワーは物語で登場するスタンドの中でも特に力が強い方だった気がする。DIOの謙虚な姿勢は巡り巡ってむしろ嫌味だ。
 だが、これで知りたい情報を得る事が出来た。こちら側の損失も無い。ストレスはかかったが、得た獲物に比べたら些細な問題だ。
 DIOはまだ自分の能力を知らない。これはたぶん、私にとって大きなアドバンテージだ。ここから逃げる為の、若しくは、出来る事なら……。

「タロットの暗示では何か強い力を得るらしいがな」
「……まあ、そう、ですね。すごく強い能力です。少なくとも、私は勝てません」

 承太郎は勝つんですけどね。心の中だけで呟いた。

「……で? 貴様が知っているというわたしのスタンド能力とは一体どんなものだと?」
「……あー、えーっと」

 DIOの能力の認知を確認したいという事で頭がいっぱいだった為、この後の事を一切考えていなかった。投げかけられた質問に対して、あからさまに動揺が顔や身体に出てきている事が自分でも分かった。
 仮に、ここで私がDIOに能力を教えたとして、本来DIOが気付くよりも早い時期に能力に気付かせたとして、そしたら不味いのではないのだろうか。例えば、原作よりもずっと長い時間能力を発動出来るようになってしまうとか、私のスタンドが通用しなくなって情報を念写で引き出されてしまうとか。

「……あ、あまり、私が言っちゃうのは、良くないかと」
「それは貴様の言葉がハッタリだという事か?」
「い、や、そういう、事じゃなくて、えーっと、何かを学んだり習得したりするときって、人から言われるより自分で気付いた方が身に付きやすいっていうか、自分の能力を最大限発揮出来るようになる、と、思うん、です、が……」

 我ながら苦しい言い訳のように感じる。受験勉強じゃないのだから他人から教えて貰おうが自分で知ろうが大差無いのではないか。スタンドは謎が多いから分からないけど。ああもう自分でも何を考えているのか分からなくなってきた。
 怖くてDIOの方を見る事が出来ない。暴れ回る心臓を枕を抱き締める事で誤摩化そうとしたが、体内に響き渡るそれを誤摩化す事は全く出来ていない。
 DIOの方向から溜め息のような、息を吐き出すような声が聞こえた。反射的に私の肩が跳ねる。震える両手の力を枕にぶつけるように握りしめながら、DIOの方へと目を向けた。DIOは、少し呆れたような、嘲るような目をしていた。

「……この数日で随分と口が達者になったものだ」
「そ、それはどうも……」
「褒めてはいないが」
「す、すいません」

 一先ず納得してもらえた、ということだろうか。それ以上の追及は無くなったのでそう捉えて良いのだと思いたい。
 自業自得な所が大きいが、やはりこの男との会話は嫌いだ。大嫌いだ。

「だが、先程掲示した条件としては、それだけでは有益な情報とは言えないな」
「う……そう、ですね…………じゃあヒント、だけ」

 私は枕を横に起きながらDIOに向き合った。DIOはいつの間にか胸の下で腕を組むのを止め、今度は興味ありげに膝の上で手を組み、身体の重心を前に傾けるような、少し身を乗り出すような姿勢になっていた。自分の事だからか、尊大な態度こそ変わらないものの、先程までとは全然違う姿勢に少しだけ意外に思った。

「……じ、『時間』に、関係、してます。時間。これは、有益な情報、ですよね?」

 言ってから後悔した。ほとんど答えを言っているような気がしたのだ。もっと曖昧に、上手く誤摩化せる言い回しがあるような気がした。私の脳じゃ咄嗟に思い浮かべられなかったからどうしようもないが。
 DIOは私の目をジッと見つめてきた。黙っていれば端正な顔立ちの男に見つめられれば、私だって緊張する。目を逸らしたら怪しまれるかも知れないが、嘘は言っていないのだからと、私は真っ赤な視線から自分の視線を外した。

「……嘘は言っていないようだな」
「う、嘘じゃないですもん」

 もんってなんだ、もんって。
 自分の発言に一人で寒イボを立てていると、DIOは考え込みながら部屋を出て行った。こんな真夜中(ちなみに今は夜中の2時過ぎだ。DIOがこの部屋に来たのは日付が変わった直後だった)に、普通の生活リズムで暮らしたい人間を付き合わせた事を謝罪しないのは、もう今更な事なので気にしていない。
 DIOが居なくなった途端、急に眠くなってきた。あの男が居た事でガンガンに働いていた交感神経が活動を止めたのかも知れない。私は電気を消してベッドに潜った。この2時間だけで寿命が10年は縮んだような気がする。

 後日、DIOが日本語で書かれた本を何冊か持ってきた。太宰治の『人間失格』や夏目漱石の『こころ』、ドストエフスキーの『罪と罰』など、絶対に悪意を持って選んだとしか思えないラインナップだった。私を自殺に追い込みたいのかと尋ねたら、勘ぐり過ぎだとにやついた顔で言われた。







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2015.1.17
ここからちょっとずつギャグっぽい描写混ぜていこうと思ってます。
シリアスな描写だけを期待してた方いらっしゃったらごめんなさい。いや今までのってシリアスなのか?