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 結論から言うと、私はDIOの館で生活する事になった。
 生活、と言ってもそれは、実質休戦であると共に軟禁されたようなものだ。DIOは私を攻撃出来ないし、念写も出来ない。それに対して、私は自身の事について口を割らず、だからと言ってDIOに対しては何も出来ない。
 互いに何も出来ず、何もせず。だが、それでもピンと張りつめた糸のような緊張感は消えてはいない。
 そもそも、スタンドの発現によって私が殺される危険というのは無くなったらしいが、あのDIOが言う事なんて信用は出来ない。殺さずとも監視の目は入れるそうだし、場合によっては承太郎達が旅に出たとき、私が彼らを始末する為に駆り出される、なんて可能性だって否定出来ない。
 DIOの考えている事が分からないから、彼が私に対して今後どんな事をしたりさせたりするのかなんて、想像は出来ても予想は出来なかった。

「今はその言葉を信じてやる事にしよう。だが、わたしはとても気まぐれでな。それを努々忘れる事が無いよう、お願いしたいものだ」

 あの時、しばらくの沈黙の後、DIOはそう言った。背筋がぞわりと凍ったが、一先ず窮地を脱した事に関しては、安堵の息が細く漏れた。
 大丈夫。きっと大丈夫。何度も自分に言い聞かせた。こうして生きているのだから、きっと、何とかなる。気休めにしかならないが、それでも願わずにはいられなかった。

 ひとつだけ、ほぼ確信に近い予想(あくまで予想なのだが)を持っている。
 恐らくDIOは、自分のスタンドが時を止める能力を持っている事にまだ気が付いていない。もし、ザ・ワールドの能力を認知していたら、あの時だって、時を止めたら攻撃が通じるのか試していた筈だ。私のスタンドも、時が止まった中では、きっと何も出来ない。
 DIOが能力を認知するのはいつだっただろう。確か最後の戦いの半年だったか1年前だったか、とにかく切りが良い時期だった気がする。ということは、まだ原作の戦いまではいくらかの猶予はある。
 私のスタンドがどんな能力を持っているのか、私自身はまだ分かっていない。康一くんやトリッシュのスタンドのように、自立した意志や言葉を話すわけでもないし、そもそも私のスタンドは人の形を成していない。何かをきっかけに(それこそ時と場合によっては承太郎のような、自らの命の危険が迫っている中で)能力を知覚するしか無い。
 原作に描かれていた時期に入るまでに、自分のスタンドをしっかりと認識しておく必要がある。自分を守れるのは自分だけだ。私以外の人間は誰も私を守ってなんてくれない。私以外の人間は誰も私を守ろうなんて思わない。
 DIO曰く、私が点滴を打たれる前、スタンドは暴走状態だったのだそう。蚕の繭のように私を包み込み、外側の一切を遮断したような、まるで殻に閉じこもったような状態だったそうだ。(この話を聞いたとき、スタンドが精神の具現化だという話がすとんと自分の腑に落ちた。殻に閉じこもって周りを受け付けないだなんて、正に私そのものじゃあないか)
 私は三日三晩スタンドを暴走させた後に意識を無くし、その時漸くスタンドを解除したらしい。DIOと会話にならないような会話(とDIOは言っていた)をしたらしいが、私自身全く記憶に残っていなかった。DIOに対して様々な罵倒の言葉を浴びせていたらしく、今自分が生きている事が不思議でならなかった。本当に、全く覚えていない。
 顔を蒼白させながら謝ると、DIOは、スタンドが暴走した事による副作用のようなものだろうと笑っていた。

「貴様のスタンド、名前は無いのか?」
「え?」
「名前だ」
「無い、です、けど」

 DIOは本を読みながら尋ねてきた。私はベッドに寝転がせていた身体を、まるでロープで吊るされるように重々しく起き上がらせてDIOの方を向いた。
 DIOが起きている今は、当然だが夜だ。しかも真夜中。
 というか、どうしてこの部屋にいるのだろう。監視のつもりだろうか。昼間は部下にさせてたのだから、そのまま部下に任せてくれていた方が気が楽だったのに。DIOと違ってヴァニラ・アイスは部屋の中まで入ってこなかった。

「つけないのか」
「いらないです」
「だが呼ぶのに不便だろう」
「呼びません」

 私の言葉にDIOは納得がいかないように片眉を吊り上げた。
 原作に登場するスタンド使いは、皆例外無くスタンドに名前を持たせていた。漫画なのだから、登場人物の能力に名称を付けるのは当然だ。区別の為には固有名詞が無ければ不便だし、読者に関心を持たせたり印象づけたりする役割もあるだろう。
 だが、それはあくまで物語の登場人物として必要なだけだ。私は登場人物ではない。『私のスタンド』として私が認識しているだけで充分だ。
 だが、物語の登場人物である吸血鬼は、能力に名前が無い事に納得がいかないらしい。

「何の本読んでるんですか?」
「これか? ジョン・スタインベックの『East Of Eden』だ」

 確か映画があったな、とDIOは呟いた。
 旧約聖書に登場するアダムとイヴの息子達をモデルに描かれた物語だ。映画は、確か昨年観た気がする。内容はあまり覚えていない。

「じゃあそれで良いです。スタンド名。長ったるいのは嫌なのでエデンで」
「安易な決め方だな」
「考える必要も無いので」
「創世記の理想郷の名か。良い名ではないか。貴様には勿体無い程だな。フフ……」

 DIOが何に対して笑っているのかは分からない。知ろうとも思わなかった。くつくつと喉を鳴らす吸血鬼は、私が名前を付けた事には満足したらしく、本へと視線を戻すと再び黙読を始めた。椅子から立ち上がる様子も無い。
 どうしようか少し迷った後、我慢が出来なくなった私は口を開く事にした。

「あの」
「何だ」
「もう寝たいんですけど」
「寝れば良いだろう」

 いまいち会話が成立しない。一から十まで説明するように話さないといけないような事を言っているつもりは無いのだが、恐らくこの吸血鬼は分かっている上でわざとそう応えているのだろう。その証拠に、口が微かにだがにやついている。意地の悪い化物だ。

「逃げるつもりも無いんで、1人にしてくれませんか」
「随分と不遜な態度じゃあないか」
「誰かがいると落ち着けなくて寝れないです」
「電気なら消しても良いぞ」

 そうじゃあ無いのだけれど。でもこれ以上食い下がっても私が疲れるだけに終わりそうだ。溜め息をつきながら私は毛布を被った。電気は良いのかと言うDIOの声が聞こえたが、聞こえない振りをした。こんな事にエネルギーは使いたくない。
 毛布の下で、こっそり手の平から自分のスタンドを少しだけ出してみた。どろりとした液体だ。こうして手の平にあるとハンドクリームのようにも見える。温かくも冷たくもない。
 能力の認知、ここから逃げる方法、情報の保守、その他諸々。私が死なない為にやらなければならない事が、たくさんある。







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2014.12.29