12







 日が沈んだ。今日もまた太陽が沈んで、夜が来た。
 目を覚まして部屋を出ると、エンヤ婆がいた。昨日連れてきた名前について、他の部下に尋ねた結果を伝えに来たのだろう。

「DIO様。昨日の小娘について、他の者に訊いてみましたじゃ」
「ほう」

 結果は、誰一人としてあの女を知っている者は居なかったと言う。恐らく嘘を吐いている者も居ないだろう、という事だった。まだ呪いのデーボと自分の息子から返事が来ていないらしいが、その2人と知り合いという可能性は低いだろう。虹村かホル・ホースあたりが知っているのではと予想していたが、どうやら違うらしい。
 では、あの女はどうしてわたしを知っていたのだろう。やはり子供を作った時の女のどれかからなのだろうか? 確か一人日本人が居た気がするし、それなら合点が行く。
 いや、だがそれではスタンドやわたしの首から下の事については説明がつかない。スタンドに関しては彼女の周りに能力を持った者が居たとしても、わたしの身体についてはわたしか部下以外から知り得る事は無いはずだ。
 茨のスタンドで記憶を覗く事は出来るだろうか? 記憶喪失の者に試した事が無いから分からないが、やってみる価値はあるかも知れない。
 エンヤ婆があんな小娘にかまけてはいけない小言を漏らしている。単なる好奇心だと言うと、まだ何か言いたそうな顔をしていたが渋々納得はしてくれたようだ。





 名前に使わせている部屋に来た。
 ノックをしたが反応は無い。呼びかけても同様だった。扉を開けてみると、埃の臭いが鼻についた。今まで誰も使っていない部屋だったのだろう。アイスに掃除をさせておくべきだったかも知れない。
 名前はベッドで寝ていた。呼びかけて起こそうと試みるが、中々起きない。そういえば飛行機の中でも揺するまで起きなかったな。仕方が無い。
 わたしは再び呼びかけながら、今度は肩を揺すった。すると、寝惚けた声を出しながら名前は目を覚ました。
 わたしがベッドに腰を下ろすと、名前は反対側へ身体をずらした。安物のベッドだが、寝ている人間が動かないと座るスペースが出来ない程小さいというわけではない。単にこの女が私を避けたいだけなのだろう。
 部下に名前を知っている者が居ないという旨を伝える。名前はわたしに背中を向けて寝転がってしまった為、その表情は分からない。ボインゴ程ではないが、この女も塞ぎがちな行動を取る事が多いような気がする。
 ふと、名前が声をかけてきた。声だけで、身体は背を向けたままなのでその表情は分からないが。

「……私は、これから、どうなりますか?」

 これから。
 ふむ。記憶を無くしているということで、名前の情報元ばかりを気にしていたが、こいつ自身を今後どうするかという事は深く考えていなかった。スタンドが使えるわけでも、天国に行く為の何かを持っているわけでもない。信頼出来る友になる可能性も捨てきれないが、それなら同じ場所で会ったあの神父見習いの方が可能性を感じる。
 殺す必要は無いが、生かしておく理由も無い。さて、どうしたものか。
 名前と目が合った。怯えた様子で目を逸らされた。こうも怖がられると、加虐心のような気持ちが沸々と湧いてきてしまう。悪戯心というものだ。少しからかってみるつもりで、わたしは名前に近付いてみた。
 わたしが近付いてくる事に気付いた名前は、案の定身を捩って逃げようとした。すかさず両手を身体の両脇に置き、それを制止させた。顔を青くさせるのかと思ったら、仄かに紅潮させたのに驚いた。飾りっけは無いが、こいつも一応女であるらしい。
 よくよく見ると、小刻みに身体は震えている。そういえば、人間が恐怖で身体が震える理由は、素早く対処出来るように筋肉に熱を帯びさせる為らしい。生きる為の防衛本能と言ったところか。
 ふむ。こいつの生きる為の能力がどれ程のものか、試してみるのも良いかも知れない。
 出来るだけ優しい声音で名前を呼ぶと、名前が震える声で返事をした。

「死にたくないか?」
「え?」
「死にたくないのか、と訊いている」

 わたしの質問に、自分の命の危機を感じたのか、染めていた頬は見る見る内に色を失っていった。弱い者の表情がコロコロと変化していく様は見ていて面白い。
 名前は弱々しい声で死にたくないと答えた。予想通りの答えだ。その答えが、果たしてこれから行う賭けに見合うだけの覚悟と精神力から出てきたものなのか、楽しみだ。

「だが、私は何の役にも立ちそうにないお前をこのまま生かしておく意味は無いと思っている」

 意地の悪い事を言いながらゆっくりと名前の首を撫でてやると、名前は情けなく涙をボロボロと零していく。この様子では矢を刺しても駄目かも知れない。適当に遊んで血を貰ってしまった方が良い気もしてきた。まあ、女1人くらい、後でいくらでも補えるか。
 賭けをしようと、私が矢を取り出すと、名前は涙でぐしゃぐしゃになった目を大きく見開いた。その目は、矢に対して明らかに明確な恐怖を示していた。まるで、私がこれから何をするのか分かっているような。

「や、やめ、やだ、無理です、そんな、嘘」

 知らない者から見たらただの変哲も無い鏃でしかない筈の、これの持つ意味を知っているような態度だった。わたしの身体の事だけではなく、この矢の事も知っているとなれば、増々こいつの記憶が気になる。
 この矢が何なのか知っているのか。尋ねようとしたら逃げ出そうと暴れ始めたので、左手で両手を拘束しながら茨のスタンドでその動きを塞いだ。
 矢を刺す前にまずは茨のスタンドで(可能性は薄いが)こいつの記憶を探ってみた方が良いかも知れない。そう思い、矢を仕舞おうとしたら突然矢が右手から飛び出し、名前の喉を貫いた。

「ぁがっ……」

 しまった。これで名前が死んでしまったら試すものも試せない。咄嗟に拘束を解き、喉に刺さった矢を抜いた。
 首から血を噴き出す名前は意識があるのか無いのか、目を大きく見開いて口から血を吐きだしながら小刻みに震えている。ベッドの真っ白なシーツと枕がみるみると赤くなっていった。
 こうなってしまったら賭けの結果を待つしか無い。駄目なら駄目で、奇妙な一件だったと記憶の隅に留めておく事にしよう。
 ベッドから降り、名前を見下ろした。身体の震えは止まったが、血は流れ続け、その目には生気が宿っていない。矢が独りでに飛び出したから、もしかしたらという期待を抱いていないわけではなかったが。
 どうやら駄目だったようだ。仕方が無い。
 後処理をアイスに任せようと思い、部屋の扉に手をかけた。

「いたい……」

 振り向いて、声が聞こえた方向を見る。気のせいではない。声は、明らかに死んだと思った名前の方から聞こえた。
 ベッドに近付く。名前。試しに名前を呼んでみる。涙で濡れた目が、瞬きをした。口が微かに動き、痛い、と呟いた。まさか。
 呼吸を確認しようと、名前の口元に手を伸ばした。
 その時、名前の身体が揺らめいたように見えた。それとほぼ同時に、名前の周りを鮮やかな、まるで貝殻の真珠層のような色の何かが覆い始めた。迂闊に手を出さない方が良いと判断したわたしは、その液体のような固体のようなそれが何を始めるのか見守る事にした。背後にザ・ワールドを出現させ、万が一の事態に備える。
 真珠層の色のそれは、あっという間に名前を完全に覆い尽くすと、楕円の形に落ち着いた。その形は、まるで蚕の繭のようだった。
 試しに、その繭のようなものにザ・ワールドの手を伸ばしてみた。すると、丸みを帯びていたそれは、わたしのスタンドが触れようとした部分に突然鋭い針を突起させ、その右手を貫いた。反射的に手を引っ込めると、何事も無かったかのように針は消えた。スタンドが貫かれた事により血を流している自分の右手を眺めながら、思わず笑みが溢れてしまった。
 賭けの結果は火を見るよりも明らかだった。
 名前にスタンドが発現したのだ。







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2014.11.20