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 結局眠る事が出来なかった。ベッドの上で何度も寝返りを打ちながら、先の見えない不安に何度も泣いてしまった。夜は必要以上にネガティブになってしまうから、とっとと寝てしまいたかったのに、私の脳はどれだけ部屋を暗くしても、どれだけ目を閉じても、決して意識を闇の底へと沈めてくれなかった。
 ぼんやりと白んでいく空を眺めながら、泣き腫らした目を擦った。太陽。吸血鬼の天敵の、太陽だ。朝がきたのだ。
 勝手な行動を取る度胸なんて無かった私に与えられた選択肢は、ひたすら部屋で時間を潰す事だけだった。太陽の光で段々と明るくなる部屋の中をぐるりと見回す。ベッドと小さな机と椅子だけの、実に簡素な部屋だ。机の上に古い本が置いてあったので開いてみたが、英文だったので内容は分からなかった。
 明るくなった空を見上げながら、段々と意識が微睡んでくる事に気付く。DIOの所為で朝方に寝るのは自分も吸血気になってしまったような気がしてあまりいい気持ちではない。だが、夜通し起きていたのだから仕方が無いのだと自分を納得させながら、瞼の重さに従って意識を手放す事にした。枕の柔らかさが心地良い。


 肩を揺すられて目を覚ました。身体が怠い。だいぶ寝てしまっていたのだろう。
 むくんだ瞼を擦りながら身体を持ち上げた。まだ覚醒しきらない目で揺すった主を見上げる。DIOだ。彼が起きているという事は、今はもう日が落ちているのだろうか。
 窓を見ると、確かにその先の景色は暗い。これではいよいよ生活リズムがこの吸血鬼と一緒ではないか、と内心自嘲した。
 DIOはベッドに腰掛けた。安っぽいベッドがギシリと軋んだ。私は枕を背もたれにしながら、DIOが腰掛けた反対側へと身体を動かした。(特に深い意味があるものではなく、単にDIOから距離を取りたかったのだ)
 DIOの背中が大きく開いた格好は、嫌でも首元の星形の痣に視線を向かせた。

「エンヤ婆が部下と連絡をとった」
「どうでしたか」
「部下の中にお前を知っている者はいなかったそうだ」
「……そうですか」

 そんなの当たり前だ。心の中で毒づいた。
 だって、記憶が無いなんて、真っ赤な嘘だ。私は自分が何者なのかよく知っている。ここがどんなところなのかも、目の前の吸血鬼がどれほどの悪人なのかも、よく知っている。
 まだ数人程返事が来ていない者もいるが、そいつらもあまり期待は出来ないだろうとDIOは言う。私はDIOに背を向けるように右向きに寝転がって返事をした。

「DIOさん」
「なんだ」
「……私は、これから、どうなりますか?」

 声が震えた。DIOはふむ、と一息吐くと黙ってしまった。私が尋ねるまで考えていなかったのか、ちらりと少しだけ振り返ったら、DIOは思案している様子だった。
 DIOがこちらを見た。私は咄嗟に顔を逸らす。DIOは何も言ってこない。この人との沈黙は、とても怖い。
 ふと、ベッドが軋んだ。反射的に音の鳴る方へ顔を向けると、DIOがベッドに乗ってこちらに近付いてきた。咄嗟に逃げようとベッドの右端へ身をよじるが、DIOの左手がそれを制止した。
 DIOが私を押し倒したような姿勢で見下ろしてくる。自分達の姿勢が、どう考えても男女のそれに及びかねない状態であることに、全身の熱が顔に集まってくる。我ながら馬鹿な事を考えてしまうものだと、自分で自分に呆れた。

「名前」
「は、はい」

 ひどく優しい声でDIOは私の名前を呼んだ。
 こんなときはどうすれば良いんだっけ。素数を数えると良いんだっけ。
 どんな反応や対処をすれば良いのから分からず、全身が縛り付けられたように固まった。今からこの男は私に何をするつもりなのだろう。心臓の音だけが喧しく耳の奥に響いている。
 DIOの口が緩やかな弧を描くと、そのまま開いて私に尋ねた。

「死にたくないか?」
「え?」
「死にたくないのか、と訊いている」

 DIOの真っ赤な瞳が私を射抜く。先程まで顔に集まっていた熱が嘘のように全身へと散っていくのを感じた。
 この質問の意図は、つまり、この男は、私を殺すつもりなのだろうか。
 DIOが、私を、殺す。
 殺される。死ぬ。私が、死ぬ。

「……し、死にたく、ないです」

 喉の奥から絞り出すように答えた。そんなの嫌だ。殺されたくない。死にたくなんてない。唇が震えているのが自分でもよく分かった。
 DIOはその表情を崩さない。そうか。短い返答と少しの間を置き、DIOは再び口を開いた。

「だが、私は何の役にも立ちそうにないお前をこのまま生かしておく意味は無いと思っている。それならこの首を馴染ませる為の糧にした方がよっぽど有益だとな」

 そう言いながらDIOは私の首をゆっくりと撫でた。温度の無い吸血鬼の指先が、私の背中に嫌な寒気をぞわぞわと走らせた。まるで金縛りに遭ってしまったかのように、私の身体は固まって動かせない。
 生かす意味は無い。この言葉に私が言い返せる言葉なんて無かった。スタンドも使えないただの女は、DIOにとっては私達のパンと同じだ。ただの食料でしか無いのだ。ただのパンが、食べる以外に何の役に立つというのか。
 いっそ、全てを吐き出してしまうべきなのだろうか。気違いだと思われるかも知れない。だが、ジョナサンのスタンドで調べてもらえば、私が嘘を言っていない事は証明出来るだろう。そうすればきっと生き延びる事が出来る。
 そうだ、正直に話してしまえば良い。これで例え彼らの戦いの結末が変わったとしても、私はこんな所で死にたくない。そう決心して、口を開こうとした時、DIOの言葉がそれを遮った。

「だから、賭けをしようじゃあないか」

 DIOはそう言うと、ポケットから何かを取り出した。それを見た瞬間、あまりにも分の悪過ぎる賭けではないかと、私は絶望する事になった。
 DIOが取り出したのは、石の矢だった。一見すれば鏃のみの使い物にならないそれが、この世界の物語に於いてどれ程の重要な役割を担っているのか、私はよく知っていた。
 そして、この矢がどんな人間を選ぶのかも、その条件を私が到底満たしてなんていないだろう事も。
 選ばれなかった人間が、どうなってしまうのかも。

「や、やめ、やだ、無理です、そんな、嘘」

 逃げようとする私の両腕を、DIOが片手で拘束した。DIOの右手の中で、鏃がくるくると回転をしている。身体が縄で縛られたように動かすことが出来ない。愉快そうに笑うDIOがこちらを見ている。
 首に矢が刺さる感触を最後に、私の意識は途絶えた。







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2014.11.12