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 エンヤ婆は、思ったよりもずっと小さなお婆さんだった。だが、私よりも小さい身長に反して、その眼光の鋭さと言葉の強さは、さすがあの下衆な殺人鬼を生んだ母親なだけあって、恐怖を感じるには充分だった。DIOに向かって捲し立てる英語も、言葉の意味こそは分からないが、きっと私は歓迎なんてされていないのだろうと容易に確信出来た。
 途中、エンヤ婆がDIOに向かって話していた言葉の中から「ニジムラ」と聞こえた。エンヤ婆がこちらを見たので反応してしまった事を見抜かれてしまったのかも知れない。すぐ顔に出してしまう自分の馬鹿正直さを恨んだ。
 しかし、花京院の名前が出なかったところを見るに、もしかしたらまだ花京院はDIOと出会っていないのかも知れない。彼らの会話に出てこなかったと言うだけでは早合点だとは思うが、きっと今は原作の話が始まるよりもずっと前なのだろう。そういえばエンヤ婆以外にDIOの部下は見当たらない。単に擦れ違ってないだけの可能性も否めないけど。
 DIOがプッチと会ったのが3部原作のどれくらい前なのか分かっていれば、と自分の記憶力の悪さを恨んだ。分かっていたとしても、何かが出来るわけではない事くらい理解はしているけど。

「Here's Your room.」

 二階の小さな部屋へ案内された。他の部屋に比べて幾分か質素な扉を開くと、埃の臭いが鼻についた。きっと誰も使っていない部屋なのだろう。そっとベッドに腰を下ろすと少し埃が舞った。
 ベッドに腰掛けた私へ、埃っぽい部屋を見渡しながら、鬱陶しそうな顔でエンヤ婆が近付いてきた。

「Never take a self-centered action.」
「え、あ、」
「Never!」

 エンヤ婆はゆっくりと、強い口調で言ってきた。言葉の意味を全て理解する事は出来なかったが、つまり、この部屋から出るなと、何もしてはいけないと、そういう事なのだと思う。明らかな敵意に気圧されながら、とにかく私は頷いた。
 部屋を出て行こうとしたエンヤ婆に、稚拙な英語でお礼を言った。私の行動にエンヤ婆は僅かに目を丸くしたが、それ以外に何か反応を示す事無く部屋を出て行った。

 ようやく1人になれた。肺の中に溜まっていた二酸化炭素を絞り出し、深く息を吸った。そして、そのまま埃臭いベッドに倒れ込んだ。鼻がくすぐられて、くしゃみが出た。きっと身体に埃が沢山ついた。でも、そんな事はどうでも良かった。
 たった2日間なのに、その内容の濃さに精神が疲れきっていた。あまりにも非現実的すぎるのに、何度頬をつねっても私の脳は痛みを感知した。未だにこれが現実だと心のどこかで受け入れられないのに、五官が嫌という程に私の脳へ、これは現実なのだと信号を送り続けてくる。
 ごろりと寝返りを打った。剥き出しのマットレスだけでは寝心地に違和感を覚える。飛行機で散々眠った所為で眠気は来なかった。しばらく時差ぼけに悩むかも知れない。昼夜が逆転する生活なんて今更だけど、あの吸血鬼と同じ生活リズムにはなりたくないと思った。
 きっとDIOはこの後自分の部下に私のことについて尋ねていくのだろう。部下の誰かが、私の事を知っていると思っているのだろう。知っている人間なんているわけがないのに。この世界中に私の事を知っている人間なんて、1人もいないのに。
 部下に訊いた後の私の処遇についてDIOは話さなかった。スタンドも使えず、有益な情報も持っていない、そんな人間を生かしたままここに置いておいてくれるような性格とは思えなかった。

「うあ〜……」

 思わずそんな呻きが漏れてしまう。両手で顔を覆った。
 絶望だ。あまりにも絶望的だ。どうして会ってしまったのがDIOなんだ。これがジョースター家やSPW財団だったら、いや、登場人物でなくても、とにかくDIO以外ならきっと、対応がどうであれ、命が脅かされることなんて無かっただろうに。
 このまま私は死んでしまうのだろうか。そもそも、どうしてこんなところに来てしまったのだろう。私が何をしたと言うのだろう。人に誇れる生き方こそしてこなかったが、こんな理不尽な仕打ちを受ける謂れも無いはずだ。
 じんわりと涙が出てきた。怖くてたまらない。どうして私が、なんていう何処にもぶつけようが無い切なさすら感じる。
 嗚咽が喉を絞める。一寸先は闇だなんてよく言ったものだ。明日死ぬかも知れないなんて、自分の命がこんなに惜しくて堪らないと感じる日が来るなんて、思いもしなかった。
 様々な後悔が脳裏を過った。両親の顔も浮かんだ。まだ大学だって卒業してないし、親孝行もしてない。死にたくない。殺されたくない。化物の餌なんて真っ平だ。でも、私が何を思おうと何の意味も成さない。どうすることも出来ないのだ。私が何をしても、全部無駄なだけなのだ。

「Hey.」
「……え? あ」

 ベッドの上で丸くなるように座って泣いていたら、ノックの音に気付かなかったらしい。目の前に布の山を抱えた男が立っていた。特徴的な格好だったからすぐに察しがついた。この人は、ヴァニラ・アイスだ。
 ヴァニラ・アイスは抱えていた布の山を乱暴に私の横に放り投げた。シーツや毛布だった。埃が空気中に舞うのが見えた。

「It's yours.」
「す、すいません。えっと、せ、せんきゅー」

 ヴァニラ・アイスは私の声なんて聞こえていないと言わんばかりにさっさと部屋を出ていってしまった。出て行く前に私を一瞥する目は、少なくとも私を歓迎する目ではなかった。盲信的にDIOを敬愛しているキャラだったから、私が邪魔なのだろうと、そう思った。
 とにかく、あれもこれも考えたって仕方が無いと、ベッドの埃を大まかに払ってシーツを敷いた。シーツからは洗剤の良い香りがした。
 電気を消して、再びごろりとベッドに寝転がった。やはり眠気はこない。何度か寝返りを打った後、再び身体を起こした。カーテンの隙間から窓の外を覗くと、ポツポツと僅かに街の灯りが見えた。よく耳をすませば人の声も聞こえる。首都が眠らないのは日本もエジプトも同じらしい。
 廊下の方からは色んな足音や声が聞こえてくる。DIOの部下は今どれくらい集まっているのだろう。そもそも今が原作からどれくらい前かも分からない。でも遠からずこのカイロは戦場になる。それに巻き込まれたとき、私は一体どうしたら良いのだろう。それまでにアパートに帰る方法が見つかっているのだろうか、それとも、この世界で生きなければいけないのか。この世界で。誰も私の事を知らない、この世界で。
 この世界には、私の味方も居場所も、なにもない。そう気付いて、孤独感にまた泣いた。







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2014.11.6