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その9 わたしを口説いて




色男、跡部景吾から学びました。


***********


太陽が頭の真上で照り付ける、カラフルな水着や浮き輪でにぎわう砂浜。
私は、美しい地縛霊を真っ直ぐ見つめた。

「バクさん、今日一日、私をメロメロにしてください」
「は?」

はいはい、日吉君。
そんな目で私を見ないで。

「それが一晩悩んで出したお前の答えか」
「そうです」

バクさんは昨夜、私へ言った。

”一瞬でも、沙穂ちゃんの心が手に入るなら、好きになってくれるなら……死んでもいい”

愛の告白に心が揺れた。
そんなことを言われたのなんて生まれて初めてだったし。
男性から情熱的に求められてキュンとした。
何より、バクさんはイケメンだし。ここ、重要。
私があなたを好きになることで、あなたの心が満たされるなら

「私を口説いて」

心を揺さぶってほしい。

「私の心が欲しいなら」

海をながめて、これでいいんだ、今のままでいいだなんて満足していないで、

「口説いてみせて」

そう、優しくね。

「メ…」


め?


「メロメロ…」

胸を押さえ、ヨロめくバクさんを宍戸先輩が支える。

「おい!地縛霊っ大丈夫か?」
「だ、ダメだ…死ぬ…」
「お前、もう死んでるだろ!」
「はははは」

笑いながら忍足先輩が宍戸先輩の方をポンと叩いた。
未だかつてない爽やかな笑顔を振りまいて。

「ツッコミがなってないで、宍戸ちゃん」
「し、宍戸ちゃん?」

キャラがおかしい。
透明感があるのに口当たりが重い、という海洋深層水のような忍足先輩が、レモン水のように爽やかなのである。

「ボクがツッコミっちゅうモンを教えてあげよやないの」
「ぼ、ボク?」

なんだかおかしい。
急なキャラ変更に戸惑う宍戸先輩へ”そうそう、本場仕込みの突っ込みをレクチャーしたる”と親指を立て、ウインクをする忍足先輩。

「ツッコミっちゅうんはな…1、おいて」

右手を自分の胸の前において、

「2、ひいて」

グッと引き、

「3、放つ。お前、死んどるがな!!!!!」

忍足先輩のツッコミが胸にクリティカルヒットし、バクさんは2、3メートル後ろに吹っ飛んだ。
ひ、ひえええええ!バクさんが幽霊じゃなければ死んでいたと思う。
砂浜に沈んだバクさんに駆け寄り、宍戸先輩が忍足先輩へ非難の目を向ける。

「なんてことすんだよお前!」
「ツッコミの伝道師として指南してやっただけやん」

さっきまでシリアスな話してたんがアホみたいやで、と忍足先輩は肩をすくめた。
そう言えば、朝早く出かけていたようだったけど……

「これぐらいしたってええやん。な?跡部」

名を呼ばれた跡部は、私の顔をしげしげ覗き込む。

「口説いてくれだの……お前、そんなこと、どこで覚えてきたんだ?」

私は人差し指を跡部へと向けた。

「跡部から学んだのよ」

突然のハグだの、突然迫ってきたりだの、昨日は散々跡部に振り回された。
が、まあ悪い気はしなかった。
ドキドキした。
だって、跡部の顔が好きだし、少なからず彼に異性として好意を抱いている。
そう、私もまんざらではないのだ。
からかわれて遊ばれてるだけなんだろうけど、いちいち真に受けて深く考えたりせず、

「駆け引きなら、楽しもうって気持ちを切り替えたの」

弄ばれるのは癪だけど、恋の駆け引きなら楽しみたい。

「でも、力ずくで迫られるのは趣味じゃないのよね、優しくささやかれる方が好き」

私がそう言うと、跡部は”なるほど”と不敵に笑った。

「心得ておくぜ」

跡部は砂まみれのバクさんを見下ろす。

「おい、腰抜け幽霊。”誰か捕まえてくれ”とか”もう来させるな”とか甘えたこと言うんじゃねぇ」

バクさんの腕を引っ張って立ち上がらせ、背中を押した。

「甘い言葉がお好みだそうだ。リクエストに応えてやれよ」

跡部はスッと手をかかげ空を指差す。
頭上には太陽と青い空。
周りにいた海水浴客の視線が、自信満々でポーズをとる美少年へ集まる。
こんなポーズ、シチュエーションを選ばずキマってしまうのが跡部景吾。

「日が暮れるまで自由行動だ」

向き直って、跡部は私を見つめる。

「ここで待っている」
「え……」

”待っている”

跡部に言われたのは初めてかもしれない。
とても、心強い。

「うん」

大きく、一度だけうなづく。

「行っておいで」

忍足先輩が私の背中をトン、と押した。
振り返ると、鳳君が小さく手を振ってくれた。
宍戸先輩は何も言わない。

「はぐれたら迷子センターだからねっ」

はい、ジロー先輩。了解いたしました。
日吉は相変わらずツンツンして、私を視界に入れようとしない。

「ウス」

ウス、樺地君。
私たちはお互いの顔を見つめてもう一度うなづく。

「バクさん」

名前を呼ぶと、バクさんは両手で顔を覆った。

「口説くなんて、考えたこともなかった」

情けなくって可愛い声を出す。

「上手く、できるかな」
「してみて」

私は手を差し出す。

”してみせて”

「私の心が手に入ったら、好きになったら、死んでもいいんでしょ?」

跡部仕込みの誘惑術を使い、ウインクをひとつ。

「私のこと、口説いてみせてよ」

ガッ!
冷たい手が私の手を掴んだ。
一歩、引き寄せられる。
出会ってから一番素敵な瞳がそこにあった。
幽霊とは思えない、熱い目をした男の子。

「君のことが好きだ」

私の心に直球を投げ込む。
ぎゅうっと冷たい手が私の手を包む。


「必ずかえす」


バクさんは跡部たちにそう言って、私の手を引き、海水浴客の波に飛び込んだ。

***********



「さらわれて行ってもたな」

俺がそう言うと、跡部はフンと鼻で笑う。

「幸村にしても、地縛霊にしてもモノ好きな奴が多くて理解に苦しむ」

”お前もその一人やろ!”とツッコんでやりたかったが、傷心の男には出来るだけ優しくするべきだ、と右手を引っ込めた。
沙穂が去り、華が無くなった集団が砂浜に取り残された。
俺はため息をつく。

「野郎ばっかり浜辺でむさ苦しい」

ビーチには眩しい足をした女の子たちがいっぱい。
すぐそばでは、可愛い女の子三人組が俺たちに熱い視線を送っている。
彼女たちに笑顔で手を振る。

「きゃあ」

黄色い声を上げる女の子たち、いい反応。
真ん中の子の足が一番タイプかも。

「たまには他の女の子と遊んでみる?」

ニヤリと笑い、レギュラーたちの反応をうかがう。
”この軟派野郎”と、硬派代表宍戸が俺を睨む。

「俺はパス。行くぞ長太郎」
「はいっ!」
「宍戸、ビーチフラッグしようぜ!昨日のリベンジだ!」
「オレも参加する〜!」

岳人とジローも硬派チームに加わる。
すぐに他の女の子に乗り換えない、意外と義理堅いヤツらだ。

「日吉は?」

俺が視線をむけるとツーンと顔をそらし、”硬派に遊ぶ会”の輪にスッと加わった。
で、残されたのは俺と跡部の二人だけ。

「どうする?声かけてみる?」

右の子なんか気が強そうでお前の好みやない?
それとも、彼女たちに声をかけるのはやめて、もう少し砂浜を歩いてみる?
好みの女の子がおるかもしれへんで。

「おい」

跡部が三人組に声をかける。
日本人離れした顔立ちの跡部に、女の子たちの目がハートになっている。

「お前らヒマだろ?」

ヤツは百戦錬磨の瞳で微笑んだ。男の俺が見ても艶っぽい表情で。
え、マジで?ホンマにいくとは思わへんかってんけど……。

(沙穂をさらわれてヤケになってるんか?)

女の子たちは嬉しそうにうなづく。
すると跡部はスッと沖を指差した。

「往復50本」

は?

「泳ぎ切る体力はあるか?」

跡部はキラキラ光る水面を目を細めて見つめる。
クエスチョンマークを頭上に飛ばす女の子たち。
きっと、跡部はある女の子を思い浮かべている。
その子はたぶん、跡部にこんな事を言われたら、挑むような瞳を返し、砂浜を蹴って、水しぶきをあげて……

海に飛び込む。

”アメリカンバイソン”とか罵られながらも。

「お前、重症やな」

それも相当、と俺はため息をつく。
そして、目をパチクリさせている女の子たちに笑顔をむけるんや。

「50本、泳げる?」

俺も相当なもんやけど。
三人組は顔を見合わせて”ヤバそうなのはゴメン”と逃げていった。
跡部はまだ、眩しそうに海を見つめている。

”ここで待ってる”

地縛霊にさらわれて行ったあの子。
日が暮れたらきっと一人でかえって来る。
あの寂しい幽霊と別れて俺たちの元へかえって来る。

俺たちはここで待っている。

あの子のかえりを待っている。

********


仲間の輪を抜けて、海岸の端までやってきた。

「沙穂ちゃんが泳いでる姿を見たいな」

冷たい手で頬を撫でられる。

「何往復しましょうか?」
「は?」

ポカンと口を開けたバクさんの顔を見て、ハッとする。
し、しまった!つい、いつものクセで。
”口説いて”と言いながら自ら雰囲気を壊してます。
あはは、と笑って誤魔化す。

「私、泳ぐの下手ですよ」

芸術、料理、運動のセンスゼロの可愛いだけが取り柄の女の子です。
水泳の時間に”まるで酸欠のフナだな”と呆れていた体育教師の顔を思い出す。
23メートル付近の悲しい出来事でございました。
カナヅチではない、ただ泳ぎが下手なんです。

「永遠の恋も一瞬にしてさめちゃうかも」

見事な”フナ泳法”に。
バクさんは熱い瞳で私を見つめる。

「見たいんだ」

バクさんは私の手を握って歩き、波打ち際で立ち止まった。

「バクさん?」
「手を前に差し出してみて」
「え?」

いいから、と目で促され、言われた通りに海に向かって手を突き出した。
なにかあるんだろうか?
私は手を前に突き出したままブンブン振り回す。

「あ……」

隣のバクさんに目をやると、壁に手をあてるようなパントマイム。
いや、パントマイムじゃない。
バクさんの目の前には見えない壁がある、本当にこの砂浜から出られないんだ。

「この一年、ここから海を眺めてた」

再び、冷たい手で頬を撫でられる。

「晴れた日も、荒れ狂う波の日も、俺がずっと穏やかな気持ちでいられたのは」

体温はなくとも、私の胸を熱くする言葉。

「君のおかげだよ」

甘い声。

「沙穂ちゃんがいなかったら、俺はずっと悪霊だった。もしかしたら、人をとり殺していたかもしれない」

”ありがとう”と優しい幽霊は言った。
彼が人を殺めなくて本当によかったと思う。
バクさんは、見えない壁に手をあてて私を見た。

「この外で自由に泳ぐ君が見たいんだ」

真剣なまなざしに応え、私は羽織っていたパーカーを脱ぎ準備運動を始める。

「往復50本くらいチョイっと泳いできます」
「へ?」
「見ててください」

波を蹴り、海へと入る。
今日の波も穏やか。
なるべく遠くまで泳いでバクさんに手を振ろう。

バクさんが行けないところまで。

息継ぎの瞬間に視界に入る空は青かった。
振り返って砂浜を見ると、20メートルほど先でバクさんが笑顔で手を振っていた。
よかった、私の下手な泳ぎにガッカリしていないみたい。
青い空をバックに手を振る彼、爽やかで、あの砂浜に囚われている幽霊だとはとても思えない。
浜に戻ったら、彼に伝えたいことがある。

私が彼のためにできること。

彼の愛の告白を聞いた時から私の心は決まっていた。
私にできることは少ないが、いや、少ないからこそ迷いはなかった。
彼のためにできることをしよう。心は決まっている。
私も手を振り返そうとした瞬間だった。

ビキ!

「あ!」

足がつった!と思った時には海の中だった。
ゴボゴボゴボ…!
目の前が泡で真っ白で、どっちが上なのか下なのかわからない。
口から、鼻から水が入り込んでくる。
必死で手を伸ばす、が、上下感覚を奪われ、助けをどこに求めればいいのか分からずもがく。

息が、息ができない!!

苦しい、助けて、怖い

死にたくない!!!!


ゴボッ、白い泡が小さくなっていく。
海面に揺らめく光の網が見えた。
光のさす方へ手を伸ばそうとするが、力が入らない。
こんな終わりを迎えるとは。

私の体が沈んでいく、

薄れていく意識の中、

『ここで待っている』

跡部の声を思い出していた。



帰りたい、みんなのところに帰りたい




そこで、意識が途絶えた。







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