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その8 翌朝、海岸にて 忍足視点



さて、俺も行動開始といきますか。


*******



「何なんだよ、この空気は」



クロワッサンを片手に、岳人が潜め声で訊いてきた。
広さ100平米のオーシャンビューテラス、キラキラ光る海を眺め、コーヒーと焼きたてのパンの香りを堪能する。
朝食は俺たちの部屋でとると決めていたので、寝坊しているジロー以外の全員が集まった
俺の隣には、頬に少し叩かれたあとの残っている跡部。
岳人の視線がそこに集中していることに気が付くと、跡部は鋭い視線を向ける。

「ジロジロ見てるんじゃねぇよ」
「んだよ、機嫌悪ぃな」

雲一つない爽やかな朝だというのに、跡部は機嫌斜め。
俺はカフェオレボウルを両手で包み、元相棒へ尋ねた。

「岳人ら、ゆうべの騒ぎ知らんの?」

あんな大騒ぎになってたのに。

「だって、日吉が絶対出て行くなって」

岳人が指差すと、日吉はオレンジジュースをグラスに注ぎながら答えた。

「巻き込まれるとロクなことないですからね」

ガチャン…!宍戸が乱暴にフォークを置いた。
その横では鳳が小さくため息をつく。
巻き込まれ、ロクなことがなかったIn Keyコンビ。
日吉と岳人が取った選択肢は正しかったかもしれない。
ジュースを一口含み、少し離れたところに座る沙穂を顎でさす。

「あの鬱陶しい奴は何ですか?」
「ああ…」

クッションを抱いてシクシク泣いている沙穂。

「後悔してるんやろ」

跡部の”顔”を殴ってしまったことを。

「どうして跡部の”顔”を…私のバカ」
「ほらな」

日吉は驚いた表情で己の頬を指さす。

「跡部さんのアレ、安積がやったんですか?」
「色々とあってん」

しかし、と俺は続けた。

「跡部はシバかれて当然や」

わざと大きい声でそう言ってやると、隣で跡部が”フン”!と鼻を鳴らした。
その横顔に、耳打ちをする。

”あとで砂浜に来い”

跡部は視線を一度こちらに寄越し、涼しい顔でまたそっぽを向いた。
グラスに残っていた水を飲み干し、

「さて、と。ご馳走様」

俺は席を立つ。

「侑士、もういいのかよ?」
「うん。先出てるわ」

ポケットに財布とスマホを入れてシャツを羽織る。

「岳人ら、もうちょっとゆっくりしてるやろ?」
「うん。どこ行くんだよ?」
「ちょっと散歩」

めくれた襟を直し、

「沙穂」

名を呼ぶと、沙穂は顔を上げた。
濡れた長いまつ毛、黒い大きな瞳には青い空が映っている。
頭の上でふんわりお団子にして、うなじのおくれ毛もふんわり揺れている。
華奢な鎖骨も、昨夜見せた意志の強い眼差しも、全部好き。
ソファに座る沙穂と視線を合わせるため、しゃがみ彼女の瞳を覗き込んだ。

「俺は応援するで」

朝食を取ってた何人かが、俺たちを振り返る。

「忍足先輩」

ホッとして笑顔を咲かせる沙穂。
この可憐な笑顔のために一つ、確かめておかなアカンことがある。
大事なことや。

俺は立ち上がり、砂浜に向かった。



*************



午前10時、海水浴客が駅からパラパラと流れてくる。
その波をかきわけ、俺は砂の上を歩いた。
朝の海岸は犬の散歩をする地元の人々などがいて、穏やかな雰囲気。
海面を反射する光、潮の香り、海水浴場として賑わうのもあと数週間と聞いた。
9月に入るとこの海岸は遊泳禁止となり、人の姿もまばらになり、冬はほとんど人が立ち入らないという。
沙穂が美味しいと言っていた、七色のシロップがかかったかき氷の店。
その店の前に、探し人の姿はあった。

「バクさん」
「やあ、おはよう〜」

片手を上げ、近づくと地縛霊も人懐っこい笑顔で近づいてくる。
こうして見れば、生きている人間とほとんど変わらない。
同年代くらいの地元の少年が朝の散歩をしているように見える。

「あれ?一人?」
「沙穂は、もうちょっとしたら来るで」

そう伝えると、バクさんは照れたように笑った。
親しみのある笑顔に、俺は好感を持ち始めている。
同じクラスにいたら、同じ部活にいたら、友達になってたかもしれへんな。

「な、少し話さへん?」
「うん〜」

二人で砂浜に腰を下ろす。
どう話を切り出したものかと悩み、海を見つめる。
ふと、隣の地縛霊に目をやると、彼は今日の波のように穏やかな顔で光る水平線を見ていた。
幸せそうに。
彼は、沙穂への想いだけを抱いて、この海岸に自ら囚われているという。
たぶん、今この瞬間も、あの子のことを想っている。

「俺、バクさんのこと偉いと思うで」
「どうしちゃったの〜急に」
「いや、ホンマに」

昨夜、ベッドで目を閉じ波の音を聞き、考えたのだ。

”俺がバクさんやったら、待てるやろか?”

もう一度会えるかわからん女の子を待って、この狭い砂浜に縛られる覚悟ができるやろうか?
昼も、夜も、雨の日も、吹雪く日も、誰もいない海岸で、たったひとりで待ち続けて。
想い続けられればそれでいい、と笑っていられるやろか。
この波音だけを聞き、胸が締め付けられるだけの日々。
それが永遠に続く。

自分には無理やな、と思った。

「俺らに腹立たへんの?」
「立たないよ、どうして〜?」
「俺やったら、きっと耐えられへん」

会いたいと待ち続けた女の子が男連れで現れたら、心穏やかでは居られん。
昨夜、それを思い知った。
シーツのかすれる音、隣の部屋で沙穂が跡部に組み敷かれてるかもしれへんって思った時、

怒りで目の前が真っ白になった。
跡部に殺意さえ抱いた。

そんな醜くて恐ろしい感情が、自分の中にあるとは知らなかった。
無意識にバルコニーを飛び超えようとしていた自分に気が付き、怖くなった。
我を忘れるほど怒るなんて初めてやった。
腹が立つことがあっても、受け流したり、距離を取ったりしながら大体のことはコントロールできたし、自分は感情で流されるタイプではないと思っていた。
地縛霊は静かに口を開く。

「覚悟してたからね〜」

老夫婦と散歩する毛の長い犬が、こちらを見ている。
バクさんは犬に手を振った。

「会えるかどうかもわからなかったし、会えたとしても、大事な人ができてるかもしれない」

”だって、俺は死んでるし、沙穂ちゃんは生きてるもんね。時間の流れが違うし”と地縛霊は言った。

「いや、でも」

ふと、地縛霊は黙り込んだ。

「実は、沙穂ちゃんと再会したのは彼女の水着を拾った時じゃないんだ」
「というと?」
「その少し前に、あそこのベンチで」

砂浜を上がったところにあるベンチを指さし、

「男の子といる沙穂ちゃんを見つけたんだ。ほら、昨日、夕方に帰った彼」
「あぁ」

たぶん、幸村のことだ。
バクさんは打ち寄せる白い波へと視線を移した。

「運命だと思ったんだ。もう一度、会えるだなんて」

だけど、と地縛霊は表情を曇らせる。

「彼も同じことを言ったんだ、沙穂ちゃんに」
「え」
「”運命だと思った”って。君に会いたいなと考えていたところだったって」

ザザザザザ…ひと際大きい波が押し寄せた。

「気が付けば、彼を睨みつけていたよ」

横顔が寂し気に笑う。

「また悪霊に落ちそうで、怖くなって、その場から逃げた」
「バクさん……」
「でも、やっぱり諦めきれなくて、沙穂ちゃんのことを探したんだ。で、彼女の水着を拾った」

”なるほど”と背後でよく知った声がした。
振り返ると、跡部が立っていた。

「だから幸村は”用心しろ”と言ったのか」

にぎわい出した渚、女の子の視線を集める二枚目。
言いつけ通りやって来たらしい。

「ほら、跡部もここに座り」

俺は自分の隣をポンポンと叩く。

「海を眺めて愛について語ろうや」
「相当気持ち悪いぞ、お前」

憎まれ口を叩きながらも、跡部は俺の隣へと座った。

「ハハハ、いや〜まさしく青春の図だね〜」

バクさんが肩を組んできたので、俺も隣に座った跡部と肩を組む。
よほど嬉しかったのかバクさんは揺れながら歌を歌いだした。
なぜか、バカボンのパパの出身大学の校歌を。

「都の西北、早稲田のとなり〜〜♪バカだ、バカだ、バカだ、バカだ、バカだ、バカだ、バカだ〜〜〜♪ 」
「何なんだ、その歌は」
「あら?跡部知らんの?有名な大学の校歌やん」
「地縛霊、お前、生前の記憶がないんだろ。なんでそんな歌知っているんだ?」
「毎日ここを散歩してるオジさんから教えてもらったんだ〜」
「めっちゃ地元民から愛されてるやん、地縛霊やのに」

ハハハと、二人で笑った。
屈託のない笑顔がまぶしかった。
俺はバクさんのこと嫌いやない。
明るくって、人懐っこくて、幽霊のくせに何にも恨んでなくって……
ただ純粋に沙穂の事が好きで、その気持ちだけで存在している。

跡部、お前はうらやましいとは思わへんか?
俺は少し、うらやましい。
そんなバクさんに、俺が今から言おうとしていることは残酷なことかもしれへん。

やけど、言わずにはおられへん。

「忍足、俺に何か話があるんだろ」

駅の方角から次々と海水浴客たちがやって来る。
跡部はホテルへ目をやって、それから照り付け始めた太陽を睨んだ。

「もうすぐアイツらが来るぜ。聞かれたくない話ならさっさと始めろ」
「そうやな」

三人並んで座り、海を見つめる。
ひとつ、呼吸を置き、俺は切り出す。

「バクさん」
「はい〜?」
「ホンマに成仏できる?」

バクさんは俺を見た。

「沙穂の心を手に入れたら、好きになってくれたら死んでもいいって言うたよな」
「うん」
「それは、あの子が自分のことを好きになってくれたら、心残りなく成仏できるって意味やんな?」
「うん」

俺の質問に、地縛霊は幸せそうに笑ってうなづいた。
バサ!

「わ!」

その幸せそうな顔に向かい、跡部が砂を投げつける。

「っぺ!っぺ!こら、跡部っ!何すんねん」

口の中に入ったやんか!と抗議しようとしたら、鋭い眼差しが、俺の背後を射抜いていた。

「アイツはどうするんだよ。その場に放置して消えるつもりなんだろ、お前」

跡部は怒っている。

「泣かすなら手を出すな」

昨夜、焦れて沙穂を押し倒すという暴挙に出た愚か者ではあるが、本当のところは沙穂の気持ちを大切にする男。
傷つけて、泣かすだけ泣かして、放って死ぬんやったら近づいてくれるな、そう思てる。

「沙穂ちゃんには、俺のこと……」

バクさんは少し、苦しそうに笑った。

「早く忘れてほしい」

瞬間、耳を切る音と風。
跡部の手が俺の背中越しにバクさんの襟首を掴んだ。
俺はその手を制す。

「離せよ、忍足」
「冷静に話ししようや」

いつかの地下室でにらみ合った時のことを思い出した。
あの時は沙穂を挟んで”地球最後の男女になったら、どちらが選ばれる?”というアホな空想をしたが、今日は違う。

「沙穂は承知の上やで」

バクさんの襟首を掴む、跡部の手を引き離す。

「悲しい別れがあることは承知の上やんか」

それでも、この地縛霊の気持ちを受け止めたいって言うてるんや。

「沙穂は強いから心配せんでええ、大丈夫」

跡部のTシャツの、胸の部分へドンと拳を当てる。
奴が昨日、七色のシロップの染みを作っていた場所だ。

「お前に”大丈夫”って信じてもらえることが、沙穂にとって一番心強いことやねんで。信頼して、見守ってやってほしい」

これは、跡部に伝えたかったこと。
奴は、静かにうなずいた。

「じゃあ、俺らは他の話をしようや」
「他の話…?」

俺は、バクさんの方へ向き直って、真っすぐ目を見据える。

”人にとり憑くなんてできない”
”ましてにとり憑くなんて”

そう言っていた、優しい地縛霊。
ごめんな、心の中で詫びる。

「バクさん」

ごめん、酷いことを言う。
でも、嫌われてもいい、伝えておきたいことがある。

「沙穂のこと、連れて行かんといてや」

地縛霊の瞳が、揺れた。
傷つけた、と心が痛む。

「そんなこと、しないよ……」
「俺もそう信じたい。信じたいけど」

昨夜、顔を出した自分の醜い感情。
取り込まれそうになって、俺は思った。

「好きな子ができたら”もっと、もっと”って思ってしまうんは、仕方ないことやで」

自分を好きになって欲しい、手を握りたい、抱きしめたい、唇も瞳も、心も体も全部自分のモノにできたら。
どんどん欲張りになる。

「それって、自然なことやない?」

跡部が思い余って暴挙に出たように、俺も我を忘れて昨夜、あのバルコニーを越えようとした。
自分なんてちっとも信用できへん。
俺はそう思ったんや。

「沙穂が幸村に言い寄られてるとこ見て、頭に血が上って、悪霊に落ちるかもって思ったんやろ?」

俺の問いかけに、地縛霊の瞳がグラグラ揺れる。

「自分の気持ちをコントロールできへんようになったら、危なくない?」

彼は、沙穂への想いだけで、かろうじてこの世と繋がっている、不安定で危うい存在やから。

「バクさん、これだけは約束して」

沙穂のこと、一緒に連れて行かんといて。

「沙穂を必ず、俺らの元に返して。命を奪うようなことは……」

しないでほしい、と俺が伝えると、バクさんは砂浜へと視線を落とした。
ぽつり、口を開く。

「死んだら、どうなると思う?」
「え…」
「銀河鉄道が迎えに来るんだって」

寂しい声の地縛霊は、海を見つめた。

「さっきの歌を教えてくれたおじさんが、言ってたんだ。君にもいつか銀河鉄道が迎えがくるから、絶望せず信じて待つんだよ、希望を捨てちゃいけないよ、って」

雲一つない青い空を見上げる。

「だから、捨てなかった」

穏やかな瞳。

「沙穂ちゃんを好きだって気持ちを。はぐれないように握りしめて、この海岸で待ってた」

賑やかな浜辺に孤独な幽霊。

「もう、悪霊にはなりたくないんだ」

名前も、記憶もなくし、気が付いた時には彼は悪霊だったと言う。

「人を呪ったり、妬ましく思うのって、辛くて苦しい」
「バクさん……」
「人を好きだと思うのは幸せな気持ちになれる」

だから、囚われていたかったと彼は言った。

「自分の運命を呪う空しさや、生きてる人間を妬ましく思う醜さを……俺は知ってるよ」

バクさんは真っ直ぐに俺たちを見つめた。

「好きな女の子を、そんな世界に引きずり込みたい男がいるかい?」

俺と跡部は、首を振った。

「ごめん、バクさん」
「何で謝るの〜?」

傷つけるのわかってて言った。
それでも、言わずにはおれんかった。

「俺は、成仏できなくてもいいんだ」
「え、いや、でも沙穂は……」
「君たち、沙穂ちゃんが俺を選ぶと思っているの?」

バカだな、とバクさんは笑った。

「たぶん、それはない。君たちを差し置いて、それはない」
「え……」
「だから、彼女の心は手に入らない。でも、それでいい」

バクさんは目を細め、空を仰いだ。

「明日、東京に帰るんだっけ?」
「ああ、うん。そうやけど」
「忍足君、跡部君。君たちのどちらでもいい、東京に帰ったら沙穂ちゃんを大切にして」

キラキラ光る海岸線。
地縛霊は瞳を閉じて幸せそうに微笑む。

「もうここには来させないで」


********


そしてまた、想い続けるから。

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