その7 焦れる音 鳳視点 ライバルは”永遠の片思い”を覚悟した地縛霊。 ********* 「気持ち良いな」 広々としたバルコニーへ出ると、夜風がシャツの中を踊った。 濡れた髪をタオルで拭きながら空を見上げる。 無数の星がそこにはあった。 ベガ、デネブ、アルタイル、夏の三角形を探す。 「無人島を思い出すなぁ」 あの島より数は劣るけど、それでも東京じゃ考えられないくらいキレイな星達。 明るい場所じゃ全体をとらえにくいサソリ座も、はっきり見える。 心臓の部分の赤い星、アンタレスを目印に探すと分かりやすい。 ミネラルウォーターのキャップを開け、一口ふくむ。 「長太郎」 振り向くとタオルを持った宍戸さんがいた。 「俺、風呂入って寝るぜ」 「あ、はい。お疲れ様でした。おやすみなさい」 お辞儀をし顔を上げると、宍戸さんは部屋をジッと見ていた。 「どうしたんですか?」 「落ち着かねぇ」 「は?」 「部屋が広すぎる…」 跡部さんが用意してくれた部屋は、9階のジュニアスイート。 家具やファブリック、照明に至るまでジョルジオ・アルマーニのインテリアコレクションで統一されたシックな部屋だ。 「二人しか泊まれねぇなら、無駄だと思わねぇか?このスペース」 寝る場所があれば十分なのに、と宍戸さんは言う。 このホテルは全室スイートが売りなので、寝室以外にリビングルームなどが対になっている。 俺は、最上階のル・ロワ スイートを指さす。 「跡部さんの部屋はもっと広かったですよ」 「あいつは狭い部屋にいるとイライラしてくるからな。広すぎるくらいが丁度なんだろ」 たしかに、そんな場面を見たことがある。 安積さんの部屋に行ったときだ、イライラしていた。 「縛られることが嫌いなヤツだからな」 「だからバクさんと反りが合わないのかな?」 「なるほど」 顔を見合わせ、俺たちは笑った。 どこまでも自由で柔軟な思考の跡部さんと、狭い海岸に住み着いている地縛霊じゃ、考え方の違いがあるのは仕方がない。 「宍戸さんはバクさんのこと、どう思います?」 「地縛霊のことか?いい奴だと思うぜ?」 「いい奴?」 「悪い奴じゃねぇだろ」 すごく、宍戸さんらしい考え方だ。 「何笑ってるんだよ、お前」 「いえ!笑ってないッス!」 そうだ、宍戸さんの人類の分類パターンは、 ”いい奴””悪い奴””知らない奴” この3種類だった。 「俺は宍戸さんのそういうところ尊敬してます」 「はあ!?な、なんだよ急に」 「そうですね、悪い人じゃなさそうですよね」 ”人にとり憑くなんて、もうできないよ” そう言って笑っていた様子は嘘をついているようには見えなかった。 「安積さんのことは?」 「安積?ああ、成仏させてやるって意気込んでたな」 い、意気込んでた? 「助けてやりたいんだろ」 宍戸さんはシャンパンゴールドの大きなソファへ腰を下ろす。 バルコニーの向こうに広がる星空を見て、宍戸さんはつぶやいた。 「安積なら、きっと大丈夫だ」 信頼しているのだ、安積さんを。 「お前も、あの地縛霊のこと助けてやりたいだろ?」 「それは…」 YESである。 自分にできることがあるなら協力してあげたい、そう思う。 「だったら、安積に協力してやれよ」 うなずくことが、できなかった。 バクさん、あの地縛霊は安積さんとの関係に生産性のある発展を望んでいない。 彼は安積さんを好きでいられたらそれでいいと言った。 さらに、本音もポツリと漏らしている。 彼女の心が手に入れば、死んでもいいと。 情熱的なセリフだが、正直ひどいと思う。 夕立のように心を乱すだけ乱して、彼は安積さんを置き去りにするつもりなのだ。 ドンドンドン! ドンドンドンドン!! 激しいノック音が響いた。 「な、なんだぁ?」 「隣の部屋からですね」 「隣って…」 安積さんがひとりで泊まってる部屋だ。 俺は宍戸さんと顔を見合わせ、ドアへ向かう。 二人で廊下に飛び出すと、そこには… 「なにやってるんだお前ら…」 困り顔の忍足さんと樺地と、隣の部屋のドアを叩いている跡部さん。 俺と目が合うと、忍足さんがこめかみをかいた。 「沙穂が、俺らの部屋のキー持ったまま帰ってもて」 そういえば、カードキーを盗んで跡部さんに追いかけられてたっけ。 「フロント行けばいいじゃねぇかよ」 「夜中に忍び込むつもりなんだぞ、鍵を取り返す」 「お、おお。そうか」 跡部さんににらまれ、宍戸さんはたじろぐ。 「安積!キーを返せ!」 「こらこら、跡部。時間も時間やから、もう少し静かに…」 「ここを開けろ!」 忍足さんが止めるのも何のその、の跡部さん。 もともと人の言うことを聞くタイプではないが、どうにも様子がおかしい。 俺の言いたいことがわかったのか、忍足さんが肩をすくめた。 「機嫌悪いやろ〜」 「はあ…」 「なぁんか、”らしく”ないねんよなぁ。嫌やわぁ」 お疲れ様です、俺は心の中で呟く。 そこで扉がわずかに開き、お風呂上りらしい濡れた髪の安積さんが顔をのぞかせる。 「ああ、ごめんごめん。忘れてた、返すわ」 ポイっと廊下にカードキーを投げた。 「じゃ」 片手を上げ、安積さんがドアを閉めようとする、が、すかざず足を差し込み跡部さんが阻止した。 扉を閉めようとする者と、こじ開けようとする者の図。 「ごごごごごごめんって〜!」 「ごめんですんだら警察はいらねぇんだよ」 「返そうと思ってたのよ〜でも色々考え事してて!本当だってば!あ、ちょっと入って来ないでよ!」 跡部さんはドアをこじ開けて部屋の中へと入り、 「あ…」 バタン、と扉を閉めてしまった。 数秒、その場に俺たちは立ちつくしていた。 一番最初に我に返ったのは、忍足さんだった。 ドアノブに手をかけるが、オートロックの扉はビクともしない。 忍足さんが青い顔をして叫ぶ。 「ああああああアカン!今の跡部と沙穂を二人っきりにしたらアカン!」 「え…」 「余裕ないからな、あいつ」 余裕がない?跡部さんの様子がおかしく見えたのは余裕がないからなのか。 頭を抱える忍足さんを、宍戸さんは怪訝な顔で見た。 「二人きりにしちゃマズイって、半殺しにでもされるのか?」 宍戸さんの質問に、忍足さんは首を振る。 「それやったらまだええけど、この状況やで」 扉の向こうを見て、顔を歪ませる忍足さん。 この状況やで、とは? 男女がホテルの一室で二人っきり、という妙に生々しい文字が頭に浮かぶ。 「まさか」とつぶやいて、俺は忍足さんへ視線をやる。 「跡部さんが、そんなバカなことしますか?」 「昼間、幸村に沙穂を連れていかれて以来、あいつは変やで」 「変…」 「目の前で揺れられて、焦ってるねん。さらにそこに地縛霊の愛の告白ときてる」 「焦ってる…」 いつも余裕しゃくしゃくな態度で、理知的な跡部さんからは想像できない。 戸惑っていると、忍足さんが俺の手元を指さす。 「鳳、お前の部屋からバルコニー伝って沙穂の部屋行けるか?」 「え」 「とりあえず案内してくれ」 言われるがまま、カードキーを差し込んで自室の扉を開けた。 部屋に入る前に忍足さんが樺地へ「悪いけど、フロントに言ってキーもらって来てくれ」と頼んで、うなずいた樺地はエレベーターホールへと走っていく。 「宍戸は樺地が戻って来たら、キーで中に踏み込んでくれ」 「何か分からんが、了解した」 ”長太郎、安積を頼んだぞ”と宍戸さんに背中を押され、忍足さんに強引に腕を引っ張られ、部屋の中に入る。 バルコニーへと出て、隣の部屋を覗き込む。 「こ、これは無理じゃないですか?」 「意外と高いな」 真下のプールを見て、忍足さんがうなった。 そりゃそうだ。ここは9階だ。 飛び移れば隣に行けないこともない距離だが、失敗したら死ぬ。 「鳳、お前行けや」 「え!落ちたら死にますよ!?」 「下はプールやし、大丈夫やろ」 「大丈夫なわけないじゃないですかっ」 「いいから飛べ、鳳!」 めちゃくちゃを言うな、この人、と呆れていたら。 「っし!声がする」 人差し指を立てて、忍足さんは耳を澄ます。 隣の窓は開けっ放しで話し声が漏れ聞こえてくる。 『す、すみませぇん、もう二度と忍び込もうとしませんのでぇ』 ショボショボの安積さんの声だ。 この様子だと、たぶんいつものように正座で説教されているんだろう。 俺と忍足さんは顔を見合わせてホッと胸を撫で下ろす。 『ああああ!デジカメのデータは見ないでぇ!』 『この盗撮のデータは没収だ』 『堪忍ぇ〜〜〜〜!!!!』 泣き叫ぶ安積さんの声を聞きながら、考えすぎだったかな、と頭を掻く。 『キーは返したんだからもういいでしょ!さっさと出て行っ…でででででででででえ!』 悶絶する安積さん、 「鍵盗んだお仕置にアイアンクローされてるんやな」 「跡部さん、容赦ないなぁ」 俺は食らったことはないが、安積さんいわく、相当痛いらしい。 いつものように教育的指導のコミュニケーションをとる二人に安心をした。 忍足さん、思い過ごしですよと口にしようとしたら、隣の部屋の叫び声がピタっと止んだ。 真剣な跡部さんの声が聞こえた。 『お前、本当にあいつを成仏させてやる気か?』 『いてててて、え?あいつってバクさんのこと?』 しばしの間。 海から潮風が吹いて、俺と忍足さんのシャツの中を踊る。 二人で再びバルコニーから身を乗り出し、のぞき込む。 隣の部屋はベッドサイドの灯りだけついているようだ。 薄灯りの部屋から安積さんの声。 『…うん』 フワリ、安積さんの部屋のカーテンが風に舞ってバルコニーへ躍り出た。 『バクさんの気持ちに、こたえてあげたいの』 潮の香りが俺のシャツの裾をさらう。 食い入るように隣の部屋を見つめる、忍足さんのシャツもはためいている。 『私のこと好きでいてくれる気持ちが、嬉しかったから』 そんなの俺だって、と口にしてしまいそうで呑み込んだ。 『好意を向けられたら、応えるのか』 跡部さんの声が、苛ついている。 『あいつは死んでるんだぞ、ずっと一緒にいられない』 『わかってる』 『明日には消えちまうかもしれないヤツなんて、やめておけよ』 跡部さんもそこが引っかかっているんだ。 『どうして?ひと夏の思い出でもいいじゃない』 安積さんの声がきっぱり言い放った。 『思い出って大事でしょ』 だって、と彼女は続ける。 『あんなキレイな顔の男の子に”好き”って真正面から言われたら、心揺れ動くに決まってるじゃない!』 『何ぃ?』 『正直、幸村さんに言い寄られた時もグラグラだったわ』 幸村さん、やっぱり安積さんに言い寄っているんだ。 氷帝陣が目を離した一瞬の隙に、女子マネージャーを連れ出した立海の部長。 というか、安積さん、 「正直者やなぁ、沙穂。清々しい」 忍足さん、感心してる場合じゃないですよ。 『明日、バクさんがいなくなっても、それでもいい』 それでもいい、意志の固い安積さんの声に胸がズキンと痛んだ。 置いてけぼりにされた彼女が、海岸で泣いている姿を見たくない。 『もう一度会えるか分からない私のことを、ずっと待ってた彼をひとりぼっちにしたくないの』 フワフワと、白いカーテンが夜風に舞っている。 『バクさんは、地縛霊のままでも幸せって言ってたけど』 私は、と安積さんは続ける。 『私は、それが本当の幸せだと思えないの』 彼の気持ちにこたえてあげたい、と安積さんは言った。 俺は、今、隣の部屋の跡部さんが考えていることが何となくわかる。 どうして今日出会ったばかりの男のために、安積さんがそこまで心を砕かなくてはならないのか。 しかも彼は、”好きでいられたらそれでいい”や”心に触れられたら死んでもいい”などと訳の分からないことを言う。 跡部さんは怒っているんだ。 バクさんが、安積さんを”大切にしたい”だとか”幸せにしたい”と考えていないことに。 安積さんはバクさんをひとりぼっちにしたくない、と言う。 だけど、彼はそうではない。 バクさんは安積さんの側にいて、彼女自身と真剣に向き合うつもりはないのだ。 心が通えばそれで満足で、満たされれば、この世から消えてしまう。 彼は死んだ人間で、安積さんへの想いだけで、やっとこの海岸に繋がれているだけの幽霊だから仕方ない。 仕方がないが、 大切にしないなら近づかないでほしい。 たぶん、そう思っている。 「沙穂」 忍足さんが身を乗り出し、隣の部屋の中を目を凝らして見つめている。 風が止んだ。 ベッドサイドの灯りに照らされ、窓辺の白いカーテンに人影が映っていた。 「跡部」 ベッドに腰掛ける安積さんらしき影へ、跡部さんの影が顔を寄せる。 ドサッ… 沈黙。 微かに、シーツのかすれる音がした。 (え…) ヒュっ、と息をのむ音。 見たことのない鋭い目つきで、忍足さんがバルコニーから身を乗り出す。 「あいつ…」 低い声でうなり、手すりに手をかた。 隣の部屋へ飛び移ろうとしている。 「お、忍足さん、ここ、9階ですよ…」 制止しようと、シャツの袖を引っ張った、その時だった、 パン!と、乾いた音。 『何すんのよ』 安積さんの声が、怒りで震えていた。 『出ていって!』 ドカ!ガン! 誰かが壁に激突した。 よろよろと跡部さんらしき影が立ち上がる。 『いてぇな。何しやがんだ』 『何しやがんだ?それはこっちのセリフだわ。からかうのもいい加減にして!』 からかう? 俺と忍足さんは顔を見合わす。 『昼間もそうだし、本当に意味が分かんない。たまにちょっかい出して、私で遊ぶのやめて!』 怒りが収まらないのか、安積さんはベッドの上で仁王立ちで跡部さんを見下ろす。 『あれはどう意味だったのか、とか一々考えて、私ばっかり振り回されてバカみたい!』 『安積、いや、からかってるわけでは…』 『バクさんはちゃんと伝えてくれた』 安積さんの影はポカポカと跡部さんの影を叩き、奥の方へと声が移動して行く。 俺はバルコニーを出て、自室の出口へと向かう。 廊下へ出ると、宍戸さんと樺地がキーを持ってフロントから帰ってくるところだった。 安積さんの部屋の扉に、ドンと何かがぶつかる音がした。 音の大きさからして、跡部さんが出口まで追いやられているのだろう。 『お別れするときは悲しいと思うけど、助けたいの』 扉が開いて、跡部さんが部屋から追い出される。 意志の固い瞳で、安積さんは言った。 「見守ってて」 ガチャリ、と閉じられた扉を跡部さんは、何とも言えない複雑な表情で見ている。 片手で顔を覆って呆然とし、振り返ってやっと俺たちに気付いたようで、 「なんだ、お前ら、まだいたのか」 その場にいた4人全員が”は?”と口を開ける。 信じられない。尊敬する部長ではあるが、ひとこと言わせてもらいたい。 あなた、さっき、後輩の女子を押し倒していましたよね?と。 セクハラですよ、と。 こっちはそれで慌てたり、我を忘れてI can flyしようとする先輩を止めたり、フロントまでキーを取りに走ったりしてたというのに。 ワナワナ震えていると、忍足さんが俺の肩を叩いた。 「どんまい」 9階から飛ぼうとしてたアンタに言われたくない!という言葉を必死で呑み込む。 多少ショックを受けているようだが、跡部さんは「さっさと寝ろよ」といつものように上から目線で言って、上の階の自室へ戻っていく。 忍足さんもさっきまであんなに怒っていたのに、もうすっかり冷静になって「日焼けしたとこがヒリヒリする」とか言いながら去っていった。 振り回された感でどっと疲れた俺は、廊下の壁に額をつけてもたれかかっていた。 「何かよく分らんが、長太郎はよくやったぞ。な?樺地」 「ウス」 宍戸さんと樺地が気遣ってくれるが、疲労感が半端ない。 「早くベッドで寝たいです」 「そうか、そうだな。ゆっくり休め」 そこでハタと宍戸さんは気が付いた。 「おい、長太郎」 「はい?」 「お前、キー持ってるか?」 「あ、中だ」 まさかのインキー。 時刻は午前0時、二人して部屋の外に締め出された。 その場に崩れ落ちた宍戸さんの一言で、今夜のお話は終わりにしようか。 「アイツらの喧嘩に巻き込まれるとロクなことがねぇ」 はい、まったく。 prev / next 拍手 しおりを挟む [ 目次へ戻る ] [ Topへ戻る ] |