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空気が変わった。


『甘美に咲乱れ…水鳥、羽搏き散り魅せる睡蓮鳥』


庇われるのは嫌だと思われるのは百も承知。

それなのに動いたのは、アレを受けたらやっと立ち上がった一護は、石田のように大きな怪我を負ってしまうと感じたから。


『――水鏡』


一護を狙った一撃を睡蓮鳥で受け止めた際に、喜助から借りていた帽子のつば越しに両目を大きく見開く赤髪の男を捉え、独特な眉毛をした赤髪の男――恋次と呼ばれていた男の様子が、あたしに違和感を知らせてくれた。

あたしの片眉がぴくりと動く。


――なんだ?

あたしに攻撃を止められたのを驚くというより、あたしの顔に驚いている…といった方がしっくりするようなそんな表情。次の一撃に備えていたあたしは少し拍子抜けして、剣を持つ腕の力が緩んだ――…、


「獅子寺隊長…?…いや…んな筈は」


その瞬間。思いもしなかった方向から風を感じ、柄を握る拳に力を入れた。じわりと手の平が嫌な汗をかいていた。

恋次と同じく警戒しておかなければならなかったもう一人の男に、殺気もなく近寄られ、反応が遅れた。


『――!』

「っバカな事を申すなッ!越前さんが…姉様なわけなかろうッ!」


ルキアの必死な様子に彼女を心配して振り返ろうにも、赤髪の男との間に立った頭に髪飾りをつけたソイツは。

帽子の鍔越しで見たその男は、月明りの下でも整っているのが見て取れて。冷淡な面差しの奴だと感想を心の中でそっと零す。

男は、赤髪の方にいたルキアを一瞥し、誰に呟くでもなくなるほどと一人ごちた。涼し気なルックスに合った声音だった。威圧感も込められているように感じる声だから、緊迫したこの空気の中で聞くと冷や汗が垂れる。

胸の中に妙な引っ掛かりがあるのに疑問が頭をもたげたが、ゆっくりと絡まった男の眼に既視感を抱き、言葉を無くした。妙な感覚の答えが知りたくて、あたしも、じっと彼を見つめる。


「カンナか」


何処からくる感情からなのか呼吸が止まる。


『っ、ぇ、』

「白哉兄様ッ!そやつは姉様ではありませんっ!」


悲鳴のようなルキアの叫びにあたしは我に返って。男の瞳に吸い込まれていたのだと知った。

同時に、頭に変な髪飾りを付けている黒髪の男が、ルキアの兄だと知らされて。脳裏を何度も見ていた夢の男の姿が過った。

いつも顔には靄がかかってぼんやりとしか分からないのに、なんでだろう。目の前の男がそうだと頭の中で誰かが囁いていて。不思議と、顔の輪郭も、身長も、肩幅も――…夢から覚めればほとんど記憶に残らない夢の映像の彼と、目の前の男の姿がぴたりと一致するとあたしの記憶が訴えている。

やっと会えたという感動も、ずっと苦しめていた夢の元凶に対しての恐怖心も、全くなくて。チラリと男の肩越しにルキアと彼女の兄貴だという男を交互に見遣る。


「カンナなのか」


――そうだ石田も言っていたじゃねぇか。

夢のお陰で、彼とあたしが知り合いだったって言うのは察せられた。恐らく、聞き覚えのない名字を呟いた恋次という名の男もまた、見たことも訊いたこともないが、“あたし”と知り合いなのだろう。

ならば、名前を知られていて当然。あの夢の中で、“あたし”と、“彼”は、特別な関係だったようだし、知らない方が不自然だ。

冷静にそう思考を繰り広げてみても、どくんッと大げさに脈打つ心臓は止められなかった。どくどくどくと音を立てて、彼はあたしの名前を紡いだだけ。それなのに激しく反応するあたしの心臓が憎い。

“彼”が知っている“あたし”は、越前カンナじゃない。つまり、“あたし”じゃない。


『なんであたしの名前を知ってんだ』


言外にお前など知らないと込めて。

大切な義妹を痛めつけた元凶を――あたしは睨み付けた。どうやら赤よりもこっちの黒髪の男の方が地位が上のようだ。力量もこの男の方がはるかに上。

勝てるだろうか…と、冷や汗滲む中、勝利への道を導き出そうと思考を転がす。

赤髪に向けていた剣を、音もなく近寄る男へと向ければ、彼の歩みは止まった。ぴくりと不機嫌そうに寄せられた眉が、あたしには悲し気に下がった風に見えたとしても絆されない。絆されてはいけない。

この手の中には、一護とルキア、石田の命がかかっている。勝てなくても、せめて彼等を安全な場所へ逃がさなければ。特にルキアを。


「カンナ」


そうか、と一人ごちた男の声が、静かにあたしに耳朶を打った。

何故だか、隙だらけのあたし達に攻撃してこない赤髪の男を視界の端に捉えつつ、混乱しそうな脳に逃げ道だけ考えろと指令を送る。


「私が分からないのか」

『……』


お前など知らんと言いたかった――…途中まで紡ぐつもりだった唇は、最後まで動いてくれず。掠れた音だけ間抜けにも出てしまう。

どうしてだろうか、その姿を見ると、その声を聴くと、胸の奥からじわりと温かいなにかが広がって満たされるのは。懐古の念と言えば、物足りない。もっと思い出さなければと焦るのも、目の前の男のせい。

ぐだぐだ考えるのは性に合わない、そう一考し、振り回されているような気になり、イライラも広がった。知らないっつうの。知らないままでいたい。これ以上あたしを乱すな。戦いに集中できねぇ。


「カンナ」

『っ、それ以上近付くな』

「…、」

『それ以上近付こうってんなら、攻撃されてもいいと判断する』


いちいち攻撃するなどと言わなくてもいいだろうに。相手は敵だぞ。敵に情けは無用じゃないか。

言ってしまった後に、まるで子猫が毛を立てて外敵から身を守ろうと必死になっているようじゃないかと気付き、顔を歪める。自ら弱いのだと告白してしまった。

威嚇された男が反応を示さないのが、あたしをさらに苛立たせる。冷静になれ。


「カンナ」

『っうるさい!名前を呼ぶなっ!』

「カンナ」


剣を構えるあたしを嘲笑するかの如く。

瞬きしたほんの一瞬に、手の平が温かいナニカに包まれて――…それが何かを確認する前に、近距離で男の顔面を目視し息を呑んだ。

じっと見つめられれば見つめられるほど呼吸が出来ない。

近距離で見つめられ、何か返さないといけない気がしてるのに、口から洩れるのは吐息だけで。まともな音は出せそうにない。

彼は敵で、石田と一護をあんな風にした男なのに。冷たい眼差しの奥に焦げるような熱を見付けてしまい、自由な筈のあたしの体は身動きが取れなかった。白哉と呼ばれた男に集中しているから、手の中にいる睡蓮鳥の重さも感じない。

感じるのはそう、あたしの手を包む男の両手のあたたかさだけ。いつの間にか被っていた帽子も地に落ちて、視界が彼一色になっていた。


「私を見ろ」


――どうしてそんな目で見るの。

唇を撫でる指の感触まで生々しく、知らない彼のその指に既視感を抱いた。


「カンナ」


ぶわりと今まで見てきた夢の記憶が次々鮮明によみがえる――…。


「私が分からないのか」


揺れ動く栗色の瞳孔に、白哉は目を細めたのだった。

彼に支配されているような感覚から救ってくれたのは、刀同士の音。ひゅうッと息を呑む。

動揺から帰って来た恋次が一護を押している、その光景に蒼褪めた。後ろに庇っているからと油断していた。油断?違う、白哉という男に惑わされて一時でも忘れてしまっていた。自分を恥じた。


「アレが気になるか、この私よりも」


逸らされた彼女の視線を辿って見えたオレンジに、白哉の目尻がやや吊り上がる。

あの面差しに似たような男を白哉は知っていた。そいつもまた、義妹に慕われ、カンナとも仲が良かった。何度嫉妬したことか。

離れる男の指先が名残惜しいと思ったのは、一種の気の迷い。


えっと反応した時には既に遅かった。


「鈍いな」


近くにいたはずの男は、一護と対面していて。茫然とした一護の身体から赤い液体が噴き出した。

何が起こったのか分からないって顔をしていた。あたしも視角からの状況だけじゃ、思考が追い付いてくなくて。

冷ややかに放たれる白哉の言葉に耳を傾けるしか出来なかった。あたしは、一瞬でもあの声が心地いと感じてしまったのを悔いる。


「倒れることさえも」



一護ッ!


カンナとルキアの悲痛な叫びが交差した。ルキアは義兄の名を鋭く呼んだ。

ただでさえ一護は怪我を負っていたのに、一撃だけでなく、あの男トドメに二撃目も繰り出しやがった。


「どうした、恋次」

「いえ…この程度の奴に隊長が手を下さなくても…オレ一人でもやれました」

「そう言うな。私とていつも見物してばかりでは腕が錆びる」


最初の一撃も、見るのがやっとだった。

恋次という男がどの攻撃まで見えていたのかは知らんが、さらりと言われたソレは、あたし達を見下したものに感じて。格の違いは歴然としているのだと、証拠を叩きつけられた気分だ。

圧倒的な強さを前にして、初めて味わう苦痛と悔しさ、そして恐怖。

地に臥せった一護が気になるのに、彼等をただただ茫然と見つめた。ルキアが一護に駆け付ける足音と泣いているかのような…声音に、自分で何をやっているんだと叱咤する。

ルキアは一護に近寄る前に、恋次に止められていた。…本来は、あの男とルキアは仲間だったのだろうか?旧来の雰囲気が二人から感じ取れる。


「よく見ろ!あのガキは死んだ!!」


恋次に捕まれているルキアとカンナは、呼吸を止めた。信じたくない。

見えている光景から目を背けようとしたカンナとは違い、ルキアは怒鳴って。何度目か分からない、カンナははッと我に返って自嘲した。


「死人の為に、てめーが罪重くする必要がどこにあるよ!?」

『…罪、だと?』


あの男は、ルキアが尺魂界へと帰れば死ぬのだと言っていた。

ルキアが罪人扱いされているのと関係があるのは、考えずとも理解できた。ルキアをそんな状況に追いやってしまったのが、あたしも少なからず原因があるのも、痛いほど理解できた。


「わかってんのか!?今、あいつにてめーが駆け寄って触れるだけで、てめーの罪が二十年分は重くなんだぞ!?」

「それが何だ!!一護は…私が巻き込んだ…私の所為で死んだのだ!私の所為で死んだ者の傍に私が駆け寄って何が悪い!!」


ああ…だからルキアは誰にも助けを求めず、一護にも別れを告げず、外へ出たのか。彼等が此方へ来ていたのを察知して、あたし達から意識を逸らすために。

守られていた、守ろうとしていた彼女に守られて、守るつもりで中途半端に乱してしまった力足らずな自分に怒りが込み上げる。





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