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「悲鳴――?」
松崎さんは、ナルと滝川さんと違って、ポルターガイストは地霊によるものだと言い張って朝から祈祷していたらしい。
らしいと曖昧な表現なのは、私と麻衣は朝方寝入ったので、その頃はまだ夢の中だったからだ。
霊を祓ったと思っている松崎さんは、聞こえてきた只ならぬ悲鳴に、サッと顔色を変えてた。何があったのかという気持ちと、お祓いが失敗したのだと突きつけられた悲鳴に、余裕だった表情を崩したのだ。
「何があった」
もちろんナルも表情を変えて、すかさずモニターの前にいるリンさんを振り返っていて。私はと言うと――…。
〈助けて〉
『っ、』
〈お姉ちゃん、視えてるんでしょ!助けてっ〉
〈あたし達、こんなことしたくないのにっ〉
姿が見えなかった子供の声が遠くから発信されて、いきなり放たれた甲高い声の数々に耐えられなくてくらりとよろめいたのだった。
〈礼美ちゃんが危ないの!!〉
「カメラの監視エリア外です」
カメラなどの機材はプライバシーを考慮して、危険視している場所にしか取り付けていない。
昨夜、ポルターガイストが起こった居間、礼美ちゃんの部屋、それから廊下を中心に取り付けている。だからナルに問われてリンはそう答えた。
悲鳴が聞こえた、ならば、それだけの危険が住人に起こっているって事で。
『台所です!』
焦って感じ取ったまま口走った。
何故、悲鳴の出所が判るのか?なんて誰もが考える余裕がなく、瑞希の声を訊いた途端に一番に滝川さんが部屋を飛び出して、滝川さんの行動に我に返った麻衣と松崎さんが慌てて出て行き、ナルも彼等の後を追った。
モニターで確認できないのだから、この眼で見ないことには把握出来ない。それに、早く現場に駆けつけなければ、怪我人が出てしまう。
《…行かねぇのかよ》
『行くわよ』
悲鳴の様子から、昨日の比じゃないくらいの只ならぬ様子だと窺えて、胸にじわりと焦燥感が広がって。
じわりじわりと…自分が必死に隠している秘密が白日の下に晒されるような予感に苛まれて、反応が遅れた。ジェットに言われて、ぶすっと返す。
《ヴァイスも〜》
リンさんはベースで待機するみたいなので、ぺこりと頭を下げてナル達を追って台所に向かう。
「っ、先輩っ…」
居間から少し離れた場所にある台所に辿り着いたら、我が目を疑う光景が広がっていた。
子供の霊達の様子から、危険にあっているのは礼美ちゃんなのかと思っていたのに、私の家よりも広い台所は朱く染まっていて。ガスコンロから高い天井までメラメラと火が燃えているのだ。
視界いっぱいに真っ赤な光景に、麻衣が泣きそうな顔で硬直していて。私は、麻衣の背中に手を添えて、視線を走らせた。
『香奈さん!!危ないので、下がって!典子さんっ!!』
燃え広がる火の側で、香奈さんと典子さんが震えていてたので、外に出るよう腕を引っ張る。お手伝いの柴田さんは、滝川さんが避難させているのを一瞥した。
香奈さんは、気丈にも麻衣の「消火器!消火器は!?」と叫ぶ声に己を叱咤させて、消火器を取りに松崎さんと出て行って。
一つは冷蔵庫の近くに置いてあったので、麻衣がソレを手にして、炎に消火剤を振りまいた。麻衣ってば、たくましい。
「典子さん、他に消火器は!?」
果敢にも白い煙を振りまく麻衣を嘲笑うかのように火は高く高く、燃え広がる。
ナルが元栓を閉じたのに、それでも炎の勢いは止められなくて――…滝川さんが、戻って来た香奈さんから消火器を受け取って、松崎さんと一緒に火を向けて消火剤を噴射させた。
それでも火の勢いは止まらない。
《……あれ、霊障だぞ?どーすんだ》
――わかってるわよッ!!
もくもくと白い煙が室内に充満しているのに対して、炎のいきおいは止まらず。メラメラと横にも縦にも燃えているのを見て、私は顔を歪めた。
柴田さんは怪我をしている。ちんたらしている暇はないのだ。
「ちょっと!なんで消えないのよッ!!」
「おいっ、元栓閉めたんだろ!?」
松崎さんと滝川さんに、ナルは歯切れの悪い返事をした。元栓は閉めたのに、火は消えてくれない。
当たり前だ。霊による現象――つまり霊障なのだ。霊障には、それ相応の力が必要になる。消火器なんかでは消えてはくれない。
「っおいッ!嬢ちゃん、邪魔だ」
私は近くにいた体の大きい滝川さんを押しのけて、前に出た。
滝川さんと麻衣、松崎さんの三人が必死に消火器を振り回しているのを横目に、滝川さんが持っていた赤い消火器の軌道をずらす。火の根源が白で覆われて視界が悪いのだ。
滝川さんは、消火しようとしている軌道をずらす瑞希を見て、火事現場でしか見られない火炎を前にして、柴田さんと典子さんはパニックになっているから――…瑞希も錯乱しているのかと舌打ちした。
『あなたこそ邪魔ですっ!!――ヴァイスっ!』
《は〜い》
『冷気を吐いて』
雪女であるヴァイスは、身体全体から冷気を出せるけど、それでは威力がありすぎるので、息を吐いてと指示を出す。その際、邪魔な滝川さんを一睨みすることも忘れない。
ヴァイスもヴァイスで、熱気が籠っている室内は、耐えられなかったので主の命令に、嬉々として息を火種に向けて大きく吐き出した。蒼の瞳を細めて冷たい息を吐くヴァイスの横で、ジェットはこれからの事を想像して目を鋭くさせていた。
消火剤とヴァイスの冷気が混ざり合って――…ぼううッっと派手な音を立てて、赤と白が消えた。
やっと火が消えて、安堵から静寂が流れた。予想していなかった出来事に、誰も口を動かせなかったのだ。私も、ほっと小さく息を零して、消火剤に塗れたコンロを見遣る。
コンロの周りは燃え広がった火のせいで真っ黒になっていて、天井も黒く変色していた。黒に消火剤だった白がべっとりとついており、掃除が大変そうだな…と他人事のように内心一人ごちた。
「おばちゃん、大丈夫か?」
「ええ……でも。こんな……こんなこと……」
火が消えて、パニックから戻って来たのか、今度は興奮して鼻息を荒く叫んで。茫然としていた全員の視線が、柴田さんに集まった。
「火なんて使ってません!勝手に火を噴いたんですよ!」
《そりゃ、霊障だからな》
「お湯を沸かそうとして、ヤカンをコンロの上に載せたら、突然火を噴いたんです!触ってもないのに!こんな火柱が立って」
「な……なんだってこんなことが起こるんです!?」
柴田さんに続いて、香奈さんもヒステリックに声を荒げた。
叫びたくなるのも判るので、何も言えなかった。ナルだけが違って、冷静に「元栓は閉めました。もう大丈夫ですから」と、淡々と言った。彼はこんな時にも冷静なのかと感心する。
松崎さんと麻衣は、未だ意識が飛んでいるのか茫然と突っ立たままなのに。
「でも、火なんて点けてないんですよ。点火スイッチに手も触れてないんです」
「ちょいと火傷したみたいだけど、大したことはない。おばちゃんの美貌にもさして影響なさそうだ」
ナルが香奈さんを落ち着かせている横で、滝川さんは柴田さんの顔の怪我を診ていて。
大したことないとの結果に、私も安堵する。女性の顔に火傷は作って欲しくないからね。麻衣も、ほっとしたみたいでここへ来て初めて笑顔を見せた。緊張から顔が強張っていたので、良かった。
「コンロが勝手に火を噴いた?」
「ええ。そろそろ夕飯の支度にかかろうと思って……その前にお湯を沸かそうとしたんです。ヤカンをコンロに載せたらいきなり」
「ガスの臭いはしませんでしたか」
「いいえ。臭いも、ガスが漏れるような音もしてなかったわ」
勝手に火が噴いたと話した柴田さんに、ナルが彼女の言葉を復唱した。
彼は一つ一つ疑問を消すために質問していき、彼等のやり取りを遠目から静観する私に、滝川さんからチラチラと視線が寄越される。
――…やっぱり、不審に…思ったよね…。
少しでも情報が得ようと私の一挙一動を見逃さないように、鋭い眼差しが滝川さんから突き刺さっているのを敏感に気付いて、ひやりと背筋が凍った。
霊よりも、火が噴く怪奇現象よりも、私は人の眼が怖い。拒絶されるのが怖い。…人が怖いと言っていた野狐のこと言えないかも。
バレるのを覚悟してヴァイスに頼んだけど、いざ隠し事が暴かれるのだと思うと――…非難されるのではないか、白い眼で見られるのではないか、拒絶されるのではないか、と…生きた心地がしない。
拒絶されたくないから、もう二度とあんな白い視線で見られたくないから、拒絶される前に、こちらから距離を取るのだ。
せめて、この場に麻衣がいなかったら良かったのに。もしも、滝川さんにしつこく詰問されて、答えなくちゃいけなくなったら、覚悟はするけど、麻衣には知られたくない。
滝川さんや松崎さん、ナルやリンさんなどは、言っては悪いが、知られても害はない。関わりがないから。だって、もし能力者だとバレたら、アルバイトを辞めれば、彼等に会うこともないのだから。
でも麻衣はそうはいかない。可愛い後輩だし、同じ高校だ。
「これはどういうことなの?祓ってくれたんじゃなかったの?もう大丈夫だって言ったわよね」
痛いほど突き刺さる視線に気付かないふりをして、ナルと松崎さんを睨んでいる香奈さんに目を向けた。滝川さんを頭から追い出す。
香奈さんが、ここまで怒っているのは……きっと松崎さんが祓ったから、問題ないとか豪語でもしたんだろう。容易に想像がついた。
「単なる事故かもしれません」
「そんなはずある?何かの弾みでコンロに火が入っても、天井まで届くような火柱が立つなんてことが、あると思う!?」
「それについては、専門家の意見を聞いたほうがいいでしょう。ガス会社の連絡先を教えてください」
ナルは、これにも冷静に対処した。
ふとナルの視線まで、チラリと一瞬寄越されて――…滝川さんだけでなく、ナルにまで不信感を植え付けてしまったのかと、ガクガク震えるのを己を叱咤して我慢する。
ガラガラと音を立てて隠していた扉が壊される恐怖を覚えた。
四つの双眸に、手に汗握っていたら、横にいた麻衣が、あっと声を上げたので、寄越されていた眼が逸らされて、威圧されていた肺がゆっくりと動き出す。
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