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眼に視えない何かは、刻々と彼等に迫る。
第四話【不穏な気配】
『おはよ〜』
《――おう》
《おはよ》
寝ぼけ眼なヴァイスに苦笑し、我が家のリビングの扉を開けて室内に入った。
夜行性なんだから、何も私に生活を合わせなくてもいいのに。 そう思いながらも、合わせてくれる彼らに感謝。
《おい、今日も行くのか?》
『えー今日、休日だよ?ってやっぱ調査あんのかな…』
何が悲しくて、無償で調査しなくちゃいけないんだ…。
露骨に嫌そうな反応をジェットに返したけど、やっぱ行かなくちゃと思い直した。
《…怪我してんのにか?》
『それは…そうだけど…』
《――!瑞希様っ、今日も行くならヴァイスも連れてって〜?ジェットだけズル〜い》
『判った、判ったから…冷気おさめて』
吹雪なんて室内で見たくないし。
――プルルル
――プルルルルル
『あ、電話』
《誰だ、こんな朝っぱらから》
『はい、葉山です』
【谷山です。瑞希さんですか?】
『麻衣?どうしたの、朝から…なんかあった?』
【そうなんです! 瑞希先輩が帰ってから、いろいろあったんですよ。椅子がひとりでに動いたり、ジョンが祈祷してたら天井が崩れて来たんです!】
『……ぇ…』
ジョンに向かって天井が崩れたと、訊いて血の気が下がった。
――結局、昨日も結界を張り治せなかった、から…ジョンが……。
震えそうになった両手を必死に落ち着け、変わりにぎゅ〜っと受話器を強く握った。
『…ジョンは』
【ジョンは大丈夫です、怪我ひとつありません】
『そ、う……、良かった…。 それで、麻衣は昨日、校舎に寝泊まりしたの?』
【帰りましたよ〜。ナルが帰っていいって…。――瑞希先輩は怪我大丈夫でしたか?その、あたしが】
『心配してくれてありがと。でも、大丈夫よ。骨も折れてなかったし』
沈んだ声を発した麻衣に、そう微笑んで答えた。
一瞬、昨日病院で何も言ってこなかったリンさんの顔が脳裏に浮かぶ。
『今日も行くの?』
【はい、昨日の事が心配で…今から行こうかと思って、先輩にも電話したんです。これそうですか?】
『う〜ん…判った、私今起きたばっかだから…仕度したらすぐ行くよ』
そう言って、麻衣にまた後でと告げて電話を切った。
《結局、行くのか》
『まー気になる事もあるし、結界張り治してないしね…』
《はいはーい、ヴァイスも行くぅ》
『うん』
まさか、朝から行く羽目になるとは思ってなかったなーと、苦笑しながら仕度する。右足が悲惨なことになってるからか、仕度するにも普段より時間がかかった。
家を出る前に、日課になっている…渋谷君に瓜二つの少年の体に異変がないかの確認も怠らない。
――いつになったら…この少年は目を覚ましてくれるのかしら……。
男のくせに、やけに…整った顔を羨ましげに見て、溜息を吐いた。
□■□■□■□
『……』
――うん…。判るよ。整った顔見ると、見惚れるのは。
辿り着いた旧校舎裏の、駐車場で目撃したのは―――麻衣が、渋谷君の寝顔を近距離から…覗きこんでいるところだった。
変な瞬間に来てしまったな…。出るタイミングに悩む。
《おー、おっ?》
『――ん?』
どうしようか悩んでいる間に、渋谷君は起きたみたいで、麻衣が頬を染めているのが、遠目からでも判った。
同時に――彼女の背後から、滝川さんや松崎さん、ジョンの三人が、近寄って来ているのが視界に映ったので、私も二人に近寄る事にする。
『(ゴメンね、二人っきりにしてあげられなくて)』
可愛らしく頬を染めて、あわあわしている後輩を見て、頬を緩めた。
どうやらこの後輩は渋谷君に、惚れているみたい。青春だね。
『麻衣、おはよう』
「あ!瑞希先輩」
私を見て笑いかけてくれる麻衣。――彼女の笑みは太陽のようだ。 私は眩しそうに目を細めた。
『(……私とは大違い、ね…)』
「瑞希先輩っ、それッ!」
『あー見た目ほど痛くないんだよ?ギブスが大げさなだけで』
「でもっ」
『骨折はしてないし、そんなに痛みも感じないから安心して?』
私の足に目を留めた途端、麻衣の顔がみるみる曇ったので、慌てて身振り手振り説明する。
実際ギブスのお蔭で固定されてるからか、痛みもあまり感じないのだ。麻衣が気にする必要はないと告げる。
安心させるようにふわっと笑う瑞希を見て、麻衣は、それって痛すぎて痛みが分からなくなってるんじゃ……と、胸が罪悪感でいっぱいになった。
「おい、どうしたんだ」
『ん?』
「何がどーしたの?」
「実験室の機材だよ」
『機材がどうしたんですか?』
開口一番にそう言いだした滝川さんに、麻衣と一緒になって小首を傾げる。
麻衣は何か思い当たる事があったのか、そう言えば…と渋谷君を見遣った。…――機材がどうかしたのだろうか…?
疑問を持ったまま私は、答えを持っている渦中の渋谷君を見つめた。
「もう帰る準備?」
「そう」
「……冗談でしょ?」
「本気だから片付けたんだが?」
『……(真相に辿り着けたのかな?)』
「ちょっと、それどういう意味よ!」
「ほなら、除霊できたんでおますか」
「そんなわきゃ、ないよな?」
――それで、機材を片付けたのか。
鼻で、馬鹿にしたように笑う滝川さんに白い視線を向けて、渋谷君を見た。
渋谷君は、外野に鬱陶しそうに前髪をかき上げた――…整った顔した人って…無駄に色気が醸し出されるよね。
「起きぬけに騒がないでくれ。……さっき寝たところなんだ」
渋谷君のその仕草に、やられた麻衣の顔は真っ赤に。
家で未だに目を覚まさないあの少年も…このような仕草をするのだろうか……。
無愛想な全く同じ顔の人間が二人もいるって……ある意味面白いかな。 瑞希は家にいる渋谷君と全く同じ顔した少年を脳裏に浮かべて――…そう思案した。
「げ。徹夜かあ?」
「……帰るって、なんで?」
うわ〜っと顔を顰めた滝川さんの横で麻衣が、当然の疑問を口にした。
「事件は解決したと判断したから」
『――!』
《…やっと真相に辿り着いたか、遅かったな…あの餓鬼》
「除霊したのか!」
「してない」
渋谷君の口から出た発言に、驚愕した一同、――そのメンツから代表して、滝川さんが驚きの声を上げた。
その声音には、いつもの蔑みや妬みなどの負の気持ちが一切感じられない、純粋な驚きの声。
私の隣で、溜息を吐き出しながら遅かったとか、あの餓鬼使えないとか言っているジェットに苦笑しながらも――…私は、やっとこれで終わると安堵の息を吐き出した。
――これで、怪我人を出さなくて済むわね…。
驚きで目を瞠目させている皆に――渋谷君は何ら問題はないと涼しげな顔をして、「――リン」と、彼の有能であろう助手を呼びつけた。
渋谷君に名前を呼ばれたリンさんは――…名前だけで渋谷君が何を言いたいのか分かっているみたいで…ワゴン車の中から資料らしきものを取り出して、車から出て来る。
それを当然のように受け取る渋谷君。
「何だ?」
「床下に設置した位置センサのグラフ」
「――これが?」
「旧校舎は、昨日、半日で○・二インチ近く沈んでいる」
「なにぃ!?」
「……見ても分からねよなー、やっぱり」
「どういうことよ、それ」
「だから、建物が沈んでいるんだ。――地盤沈下」
彼らが見せてくれている書類は見ても、私には分からないだろう。そう思って、説明の為、それらを広げて見せてくれている渋谷君と、それを我先にと見ようとしている滝川さん達を遠目から眺めて――…私は口角を上げた。
やはり、渋谷君は真実に辿りついたみたいだ。
ジェットを見たら、彼は心底バカバカしいとでも言いたげに、鼻を鳴らしていた。
私は鼻を鳴らす式神を一瞥して――、私と同じように少し距離を取って、彼らを見ている渋谷君の優秀な助手に近づく。
『リンさん、おはようございます。…――昨日は、送って頂きありがとうございました』
《おい、こんなヤツにお礼なんて言わなくていいだろーが》
「瑞希さん!――おはようございます」
私から声をかけたのがそんなに嬉しいのか――…目が合った瞬間、リンさんは、ふんわり微笑まれて、いいえ、大したことはしていませんよなんて、言われた。
リンさんの滅多に拝めない微笑みに、何て返していいのか分からず、私は困惑気にぎこちない笑みを贈る。
――って、ジェット〜!私がリンさんと話している時は、近づいて来ないでよッ! 彼の近くには…式がいるんだから……。
不機嫌さを隠さずに近寄ってくる我が式神に、口元がひくりと痙攣して――…、だけど、来るなと視線で牽制をする。
ジェットは瑞希の視線を受けて、舌打ちした。
「説明訊かなくていいんですか?」
『あー…、訊いても専門的な事は分かりませんから』
それに…一連の事件は地盤沈下による事故だと、私は当の昔に知っている。
結局、旧校舎に結界は張れずじまいなんだから――…早く、原因解明を校長に行って、校舎を壊して欲しい。これ以上怪我人が出ない様に。
「……そうですか」
機械でありとあらゆる角度から調査する渋谷君らのやり方は――私は、今までしてきたことがないし、これからもしないだろう。――畑違いだ。
そう思考しながらも、リンさんと会話を続けていたら――…時折、滝川さんの大声が聞こえたが、とりあえず話は纏まったのか、滝川さん、松崎さん、ジョンの三人は、その地盤沈下の話が本当なのか確かめてくると何処かに姿を消した。
資料はそこにあるのに…どうやって彼らは調べるのだろうか。…土地の力を感じる力がある訳でもないのに。
――まぁ…いいか。私には関係ないしね。
原因解明されて、校舎の中に置いてある機材を車の中に片す作業が残っている為――…残された瑞希、麻衣、渋谷君とリンさんは、ここ数日で見慣れた旧校舎の中へと体を向けた。
「くれぐれも、カメラを壊すなよ」などと、皮肉たっぷりに麻衣に視線を向けたまま、渋谷君から放たれた言葉に、麻衣が憤慨しているこの見慣れてしまったこの光景も―――……機材を車に戻したら終わりを告げる。
ポッカリとはいかなくとも、少し出来た心の隙間から吹きぬけるこの風は――…なんて言う名前の感情なんだろう。
持て余した気持ちに戸惑う瑞希と、やっと終わると安堵していたジェットは、二人仲良く一つの懸念を忘れていた。
幸か不幸か――…事件は終わらない。
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