3-4 [14/32]
術者と式や式神は繋がっている。
使役する術者が、彼等の居場所を把握しているように、また逆も然り。
まあ何が言いたいかというと、私と同じく人間を嫌っている雪女のヴァイスが人の案内をするなんて。一体どういう風の吹きまわしかしら。いや彼女の気まぐれが起こした奇跡なのかもしれない。疑うのは良くないわ。
疑念に洗脳されそうになって頭を左右に振って思い直す。
『どうかしましたか?』
ナルが寄越したのだとしたら、ヴァイスに頼らなくとも、リンさんなら式を飛ばして私を見付けられるだろうに。
リンさんは、ちょっとした用事を使い魔に頼むのを嫌っているのかな?
明良さんとヴァイスが早々に去った為、妙な沈黙をどうにかしたくて口早に。じっと見つめて来るリンさんの黒目が怖かったなんてそんなんじゃないから。
『私に用があったのでは…』
言外に、ナルに呼ばれたのでしょうと込めて。
ちゃんと通じたリンさんが首を左右に振ったので、疑問符が飛び交う。ならば、リンさん自身が私に用だった?
「いいえ。瑞希さんが心配だったんですよ」
『……』
私と同じくらい呪いに憎しみを抱いている明良さんの他にも、身近に人間が行う負の感情を嫌う者がいる。言わずもがなジェットとヴァイスだ。
妖怪が故に、負の感情――特に憎しみは大好物な二人だけれど、あの事件を境に“呪い”を毛嫌いしている。自惚れじゃなければ、私が嫌っているから、私の視界に入らないように気にしてくれているんだと思う。
悪夢に魘されて、彼等の前で理性を失って何度も暴れてしまってるから。お恥ずかしい。
因みに、新参者のテイルは知らない。薄々察してるかもしれない、面と向かって聞かれないから、其処等辺は分からない。
初めて会った時テイルは確かに野狐だった。けれど、私の式神にして…徳を積んだから?いやナルを守ってと頼んではいたけれど、一つや二つで……まぁこんなこともあるんだなと無理に自分を納得させよう。
人型が取れるようになった時には、テイルは既に善狐となっていた。
白の毛並みに、唯一黒だった尻尾は――…はちみつ色に変わって、更に可愛らしくなっていたのである。犬猿の仲であるジェットが、容姿だけなって鼻で笑ってたのも記憶に新しい。
『?リンさん、綾子さん達起きてました?』
深夜に、女性陣の部屋へとリンさんが尋ねるなんて思えなくて、怪訝な眼差しになる。
「宿直室には行ってません。ベースから二人が何処かへ出かけるのを見かけたんです」
『そうなんですか』
――ん?それなら尚の事、リンさんが私を探していたのに疑問を感じる。
明良さんと一緒にいるって知ってたんなら、心配してわざわざベースをナルに任せ、探しに来るかしら?あのリンさんが。謎である。
「瑞希さんは前科がありますから、心配するのは道理でしょう」
知れず疑問符を飛ばしていたらしい。胸の中で浮かんだ謎は、リンさんが答えてくれた。
前科って人聞きの悪い…ナルも同じことを言っていたのはリンさんから移ったんじゃないの?と、在らぬ疑いをかけちゃう。リンさんは何かと心配し過ぎだ。
私が前回偽名を使用し囮になるつもりだったのは否定出来ないが、引き摺りすぎでしょう。昨年の案件を引き合いに出されても困ります。リンさんはナルだけを心配してればいいのよ。
「ナルから訊きました。何やら私的な用事であの方を調査に加えたのだとか、…本当に今回の件に関係ないのですか?確証があるまで無言を貫いていた過去を振り返ると、全く関係ないように思えないんですよ」
プライベートと仕事に境界線をはっきりと引いてる瑞希さんにしては、珍しいですね。
鋭い指摘の後に、私がそう思うくらいです。ナルも疑ってると思っていいでしょう。そう立て続けに付け加えられて、言葉に詰まる。
「無言は肯定と受け取ります」
すっと細められた片目から逃れようと、暗闇の方へ向く。
ここで立ち話をするのもなんだし…誰に言うでもなく言い訳の如く一人ごち、ベースに戻ろうと足を向けた。この季節だ。外は寒い。リンさんだって早く室内に戻りたいだろう。
私と明良さんはそのつもりだったから防寒してるけと、リンさんは上着一枚で、コートやマフラーはしてなくて。見るからに寒そうだ。というか見てる私が寒い。
「今度はどのような危険に首を突っ込むつもりで?あの人も巻き込んで……まさかあの人を巻き込まないといけない状態になるのですか?」
リンさんは、明良さんを名前で呼ばない。なんでだろう。
あの人と彼が口にする度、リンさんと明良さんの二人の間に見えない壁が現れる。リンさんとしては名字で呼びたい、対して明良さんは名字で呼ばれるのを危ぶんでいる。
“山田”の名字は、ありふれているから、明良さんの考えすぎだとは私も思うわ。でも明良さんの危惧してる内容も最もだから、明良さんが名前呼びを推奨しているのを止められない。
『……』
冷淡な目元が段々と鋭利なものとなって、放たれる音吐にも鋭さが宿っていた。
二度ほど、リンさんから説教をされた際ですら、こう…厳しい色などなかった――そう一考して、子供が親に悪戯が見つかって叱られるのを恐れているようなそんな心境と類似している。
視線を彼から逸らしているのにも関わらず、漂う威圧感に、滑らかな言葉は出てこなかった。「瑞希さん!」っと、呼ばれ、肩がびくんと反応する。
あれこれ考えすぎて、リンさんの追撃を上手く躱せない。
リンさんもまた、ナルと同類の人種で――…気を抜くと、隠したい秘密や気持ちを吐露しなければならない状況に持っていかれる。頭の回転が速く、勝負師と通ずるチャンスを逃さない性質を所持している。
――ナルもだけど…リンさんのこういう所、苦手だわ。
『ナルから聞いたのでしたら、知ってるでしょう。個人的な感情で動いているんです。これは私と明良さんの意地――…だからリンさん達には関係ありません』
踏み入って欲しくないパーソナルスペースを理解していながら、敢えて触れて来る。そういった所、苦手。
坂内君の件は、リンさんが心配するようにはならない。確かに、呪いが完成されれば危険だけれど、私も明良さんもいる上に、行ったのは素人だ。なんとかなるでしょう。楽観的に考えてるんじゃないわよ。
生きている坂内君に、呪いという行為がどれだけ愚かなのか、分かって欲しくて。
理解して反省して、そしてちゃんと生きて欲しいから。
最終的に、ナルとリンさんに迷惑をかけちゃうのは明白。それでも、それだけは譲れない。
迷惑をかけるのを想定して、起こりうる危険については、ちゃんと考えている。互いに喰いあう霊達が、強い力を得た場合の危険性もね。故にリンさんが心配するような事にはならないと――ナル達を危険に晒すつもりもないと言いかけて。
「心配してはいけませんか」
リンさんに途中で遮られた。
外れない視線がとても強く、誰を“心配”しているのか、私が思い違いをしていると口舌なく訴えていて。間抜けにも中途半端に開いていた口を、閉めては開けて、結局出て来なくて閉めた。
「助手としての私ではなく、ただの林興徐として心配してはいけませんか」
――心配って…私の心配をしてたの?
『…迷惑です』
ナル達と仕事をするようになってから、他人との距離が近くて。ほんのり温かくなる胸が思いの外心地よくて、戸惑って。
最初は、心配されるのは慣れなくて、くすぐったい感覚が嬉しくて――…でもやっぱり怖かった。人を拒絶している私が、人から心配される環境に慣れてしまったら?怖い。
震える身体を腕で抱きしめて、本能から後退した。
『私は人間が嫌いなんです』
いつの間にか、私達はベースに戻っていて。会話に夢中な二人は、椅子に座らず突っ立たまま向き合っていた。
「私だって日本人が嫌いです」
心地よく感じる人の温もりから腕をガードして逃げる。
リンさんを打ち消す為に震える唇を懸命に動かす私を追ってリンさんが間を置かず喋るではないか。何を言うか考える時間を要さないとはまるで私がどう答えるか予想していたかのよう。
「貴女が教えてくれたんですよ。日本人を許せないのならそれでいい、けれど個人との付き合いに持ち込むのは私の為にならない――私も今ではそう思えるようになりました。瑞希さんのお陰です」
一歩近付かれて、
「人が嫌いなのでしたらそれでもいい、ですが…それを私個人との関係に持ち出さないで下さい。私をちゃんと見て下さい」
『っ、わ…わたしは…人間がきらいなんです…』
一歩下がる。
『きらいなんです』
何度も何度も、自分に言い聞かせる。
『放っといてください』
「嫌です」
『っどうして』
近寄るリンさんの黒い瞳から、感情が読めないのが怖くて。
怯える私をリンさんは逸らすことなく、手を伸ばせば触れられる距離まで近付いた。後退ろうとして右足がカタンッと椅子に当たる。
「以前…私にとって瑞希さんは大切な存在になってると、屋上で言ったのを覚えてますか」
もう昨年のことになる。
『覚えてますけど…でも、だからって。心配されるのは慣れません。だから…今回の事も気にしないで下さい。危険な事に巻き込みません、約束します。そうなる前に動いてるわけですし…』
彼女は誤魔化し方が下手になっているのを、自覚していない。白状しているのも同然だという事をいつ気付くのか。
お世辞にも冷静とは言えない瑞希さんは、揺れる瞳でリンを見上げている。
感情のコントロールが人より上手く見えて、実は感情を外へ出すのが苦手な彼女が、暴かれるのを恐れて震えている。揺さぶりに成功しているとリンは勝利を確信していた。
「ですから心配してるんでしょう」
『明良さんがいますから別に』
知らない間に膨れた恋の蕾は、彼女を過保護対象として消さずに育てると決めてから、それはそれは見事な花が咲いた。
瑞希さんが気になって仕方なくて、視界に入れなくても瑞希さんが近くにいれば全身で彼女を感じて、気分が高揚して。彼女がお休みの日はどことなく調子が出なくて。
日本人を嫌悪していた自分が、大事に育てた恋の花を、彼女自身が手折るのも目を逸らすのも、リンは許せなかった。
日本人嫌いを越えて自分の中に入って来たのは瑞希さんの方だ。今更、放っておいてと言われて、そうしますなんて距離は置けない。
自分を見て欲しい、この気持ちを知って欲しい。あわよくば、彼女も自分と同じ気持ちになって欲しい。自分と同じ景色を見て欲しい。同じ時を刻んで、同じ場所で生きて欲しい。
「好きなんです」
無駄だと言うのにチラチラ後ろを振り返っている瑞希さんを、そっと抱きしめた。彼女の後ろはもう壁だ。逃げられまい。
「好きなんです。好きな子が危なそうな事をしていたら心配するに決まってるでしょう」
『な、に…言って…、』
ずっとこうしたいと思っていた。好いた女性を腕の中に閉じ込めたい男の願望は、日に日に増していて。
彼女は当たり前だが男の体と違い、どこもかしくも柔らかくて、甘い香りがして――…力を入れたら折れるんじゃないかと焦ってしまう。くらりと眩暈がした。
こんなに細いくせに、人と関わらず独りで生きようとしている。なんてバカで愛おしい人なんだろう。
「瑞希さん。私は貴女を女性として好いています」
何時間でも抱きしめていられるけど、付き合ってもないのに抱きしめたままなのは、強引に抱きしめといてなんだが…気が引ける。
彼女は身長が平均よりも低いから、自分の視野では、小動物にしか見えなくて。うるうる見上げないで下さい。理性が白旗を上げそうです。
好きでもない男に抱き寄せられて嫌がらない瑞希さんが悪いんです。責任を彼女に擦り付け、自分を正当化させて。抱きしめる腕の力を緩め、逃げる素振りがない瑞希さんの頬を撫でた。
瑞希さんには不思議な吸引力がある。惹きつけて離さない彼女の魅力に吸い込まれるように、唇に目線がいきそうになるのを――…彼女が『リンさん』と、止めてくれて。我に返って、悟れないように反省する。
『私、未成年です』
「瑞希さんは結婚できる歳です。私は真剣なので交際する分には何ら問題はありません」
――リンさんの頭は…正常なの?
出逢って早々から突き放す言葉を吐いて、散々拒絶の姿勢を見せていた私を好きだなんて。
麻衣とか綾子さんとか真砂子とかには見せない優しさや微笑みを私にはくれるから、少なからず好いてくれているんだろうと察していたけど。それが恋愛感情だなんて思いもしなかった。
何故か含み笑いをしている明良さんの姿をぽんっと思い出し、明良さんはこうなると推測していたのではないかと気付き、この場にいない明良さんを恨んだ。こういった空気は苦手なのだ。それも相手がリンさんって。
「将来的には結婚に辿り着きたいと思っていますが…まだ早いでしょう」
『ってそうじゃない』
リンさんは身長が高いから、目を見る為には顔を上げなければならず首が痛い。
異性に抱きしめられるのも、熱が籠った瞳で頬を撫でられるのも、初めてで。服越しに感じるリンさんの体温が生々しくて、鼓動が速く脈打つの。カッと顔中と言わず全身の血液が沸騰した。
リンさんのペースに乗せられまいと頑張ってみるが、
『リンさん、私はリンさんの事は――…、』
「瑞希さん。返事が訊きたくて想いを告げたわけではありません」
事態は好転しなくて。とても歯痒い。心臓が他人のかと疑う程、融通が利かず勝手に激しく脈打っている。
リンさんの腕の中は恥ずかしいのに嫌だとは感じない。人肌って落ち着くって言うもんね。べ、別にそんなんじゃないもんね。
し〜っとリンさんの人差し指が、私の唇に充てられて、頭が爆発しそう。リンさん、あなたはリンさんですか。
「林興徐として瑞希さんの心配する資格を私に下さい」
もうね、なにがなんだか頭が混乱して、彼が何を言ってるか考えるのを脳が放棄した。こくりと頷くしか出来なかったのである。
ぐるぐると視界が回りそうだったし、頭の中もぐるぐると回っていた。脳のキャパシティーを超えていた。元凶は考えなくても分かる、リンさんだ。リンさんのペースから脱却が叶わないのは、リンさんから溢れ出ている大人の魅力のせい。クラスメイトにはない色気に、くらくらする。
普段はクールで全く笑わない癖にこんな時に笑わないで。ふわりと雪解けのような微笑みを見せないで――…目を奪われるからッ!
「返事は満足のいくものじゃないと受け取りませんから」
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