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「ヒトガタを用意してだなんて何事かと思いましたよ」


ベースで寝ずの番をしている人間を除いて、起きているのは恐らく私と明良さんだけ。

同室の綾子さんと麻衣の目を盗んで抜け出してきた体育館裏にて、明良さんの手元にはヒトガタに切り取られた呪符の束。


『ゴメンね…また巻き込んじゃった』


坂内君によって広まったヲリキリさま――…全校生徒全員と断言してもいい数の生徒が、知らずに一人の人間に呪いをかけている。

呪いをかけられた人間を救うには、呪いを返すしか手段はなく、呪いを返した先で降りかかる災いを、生徒の代わりのヒトガタが引き受ける。苦肉の策で出した答えはそれだった。

時間も力も使う為、明良さんに手伝ってもらおうと思ったのだ。


「気にしないで下さい。除け者にされる方が悲しいです」


「呪いは私も許せませんからね」と茶目っ気たっぷりに付け加えて。明良は、瑞希の心配を吹き飛ばした。

明良の目元に描かれる笑い皺は、再会する前には見られなかった。当たり前だ。再会する前は確か彼は二十後半の歳だったから。仕草一つに月日の長さを感じて切なくなる。そして憎しみもまた増すのだ。


「自殺未遂をした生徒が呪いの主犯者なら、ソイツに全て返すの如何でしょう」

『いや…それは流石に、』

「人を呪わば穴二つ。私はその生徒を助けたいとは思いません」


時に優しく時に冷たい明良さんが、また怖いこと言う。

彼は他人には容赦ない。懐に入れたら甘くなるんだけど、そこまで持っていくのに長い時間がかかる。この特色は一族の血から受け継がれてるのかな?自分にも似ている為、親近感を抱いた。


「瑞希様が助けるとお決めになったので、仕方なしに手伝わせて頂きますが……他者を巻き込んで呪わせた生徒に私はいい印象が持てません」

『分からなくもないわ。でも…』

「分かってますって。直希様も生きておられたら、瑞希様と同じ決断をなさるでしょう。やはり貴方たちは親子ですね」


私はついて行くだけですと微笑む明良さんは、盲目的というかなんというか。当主への忠誠心が強いから、たまに反応に困る。


「さて。どうしますか?人数が人数ですし…髪の毛を失敬するの大変ですよ。後、どのタイミングで返しますか」

『生年月日と名前だけで大丈夫でしょう。ナルが気付いたタイミングかな…ナルも多分返すと選択するだろうし、その時身代わりのヒトガタ制作も手伝ってもらおうかなって』


他人任せで申し訳ないけどと笑えば、明良さんの片眉が器用に上がる。


『全て終わらせた後だったら、絶対文句言われるわ』


あれでいて除け者にされるの嫌うから。他者が知っているのを自分だけが知らされてないのは、面白くないらしい。ナルって意外と子供っぽいところがあるよね。


「あの方は陰陽師ではないと窺ったような気がするのですが…」

『あ、そっか。話してなかった』


リンさんが道士なのだと説明して、彼が納得したところで話を戻す。


『二人だけだったらヒトガタに力を入れるだけで、手一杯だったね』

「渋谷さんに話さなくていいのですか?」

『文句は言われないように、ちゃんと準備するから大丈夫。問題ないわ』

「やれやれ。隠れてヒトガタを制作するのは骨が折れますねえ」

『いいじゃない、これも修行の一環だと思えば。それよりも私はこの状況が気持ち悪くて仕方ない』


ヲリキリさまを行った生徒の名前と生年月日を記入しながら、うんざりと顔を上げて、そちらへと促す。

えぇと頷いた明良さんもうんざりと顔を顰めて。

私達が見上げた先には――…およそ人とは思えない魂の形をした者同士が互いを呑み込もうとしている。“共食い”だ。視角的にキツイ光景は、太陽が姿を消した瞬間から始まり、皮肉にも呪いの種類を私に知らしめた。


『私、初めて見る』

「私もですよ。中々にグロテスクですね」

『しばらくご飯食べれない』

「同感です」


視えるが故の苦労を、しんみりと語る。

ぐちゃりと訊きたくない噛み砕く音も、視角を閉じて敏感になった聴覚が拾ってしまうのだ。吐き気が。


『犬神も蠱魅も蠱毒から生まれる事もあったわよね』

「えぇ」


犬を使ってなされる呪術も、蠱毒と一纏めされる場合もあるわけで。肯定の返事に、頭痛が激しくなった。“犬”に、聞き覚えも見覚えもあるではないか、最悪だ。


『報告されてる現象の中に、犬の霊もあってね』

「……あちゃ〜その様子だと瑞希様実際に視ましたか」


否定してほしいと雰囲気で察したが、ゴメンね。後で知っとけば良かったってなるより、マシでしょう。旅は道連れ、ちょっと違うか。明良さんが心の準備をする前に肯定してあげた。


『まだ魂の集合体って感じで理性は見られなかったけど』

「時間の問題ですね」

『滅するにしても…タイミングに困る』


呪いを返すとして、妖怪へと生まれた存在は、核となる呪いに従って対象者もしくは術者を喰べてしまう。

呪いを返す前に滅したら、術者に反動があるに違いない。逆に、呪いを返した後に、滅しようにも…これもまた術者に降りかかるリスクが高い。――進行具合によるわね…現状では後者の方法が望ましい。


『まあそれは様子を見て判断するとして。どうしよう、明日真砂子が来るのよ。大丈夫かしら。アレを見て平気でいられるかな?』


霊同士の共食いなんて見るもんじゃない。


「はあ…瑞希様にも友達が出来るようになって…歳を取るもんですね〜。この明良、感動致しました」

『なに言ってるの、明良さんまだ若いじゃない』


私の父と同世代のくせに。感動から涙を拭う仕草をしてる…実際涙出てないでしょ。父は二十歳で親となったから、明良さんは現在四十歳手前だ。


『明良さん、いい人いないの?結婚して子供がいても私驚かないわ』

「私は復讐に生きてましたから、それに…血を残すつもりはなかったので」


隣で喋りながら作業している彼は、薄茶色の髪をふわふわと揺らして、暗い影をかんばせに落とした。暗闇でもその様子が不思議と視界に映る。

まばたきした次の瞬間にはいつもの細い眼差しに戻ったため、特に突っ込まない。


――血、ねぇ。

その危険性は考えもしなかった。結婚なんて私には縁がないだろうから、私の思い描く未来予想には一つも出てこない文字だったから。

そうだわ。結婚したら子供が出来て、結界師の血も残ってしまう。

一族を滅ぼそうとした人間が誰か突き止めてない状況で、子供を残すのは得策じゃない。狙われてしまうかもしれないものね。幸せな家族を作りたいなら復讐を諦めるべきだ。明良さんに幸せになって欲しいという気持ちはある。

復讐の道から逸らしてあげるのが私の務めなのだろうけど――…唯一の生き残りの彼にどうしても縋ってしまう。

優しい明良さんに甘えてしまう。厄介だ。


『いい人いなかったの?明良さんならより取り見取りでしょう』


一族特有の色素が薄い髪質をしていて。優し気な容姿で、女性にモテる。悪く言えば優男。加えて、明良さんの物腰の柔らかさが、女性の眼に優良物件として留まるだろうにさ。勿体ない。


「いませんでしたよ」


我が高校よりも人数が多い為、書かなければならない名前の数も馬鹿には出来ない数だ。


――今夜の分はここまでにしよう。

坂内君が行った呪い――蠱毒のせいで、私も明良さんも疲労している。

より強い魂が生き残る、まさしく弱肉強食の空間化で。弱い“餌”となりえそうな霊を滅して回ったから、力を使いすぎていて。最悪な事態が訪れても対処できるように力は温存しておきたい。

本日はスーツ姿で登場した明良さんは、シャワーを浴びたのだろうジャージ姿だった。私はこれからシャワーを借りる予定。


「瑞希様こそどうなんです?恋多き年頃でしょう」

『明良さんってばオジサンくさい』


一気に恋バナムードになってるー。

いやいや恋バナを展開させるような場所じゃないわね。ここ体育館裏だった。夜中のが付く。


『私もそれどころじゃなかったわ。恋人とか考えてもなかった』


明良にとって瑞希は娘のような存在。

彼女の父がいない為その思いは以前よりも強くなったと自分でそう自己分析をする。一般的な父親像と違う点は、自分は彼女が選ぶ男性なら喜んで送り出せるだろうところだ。

去る事に渋ったりはしない。寧ろ大歓迎。

昔からこの子は、他人に拒絶されて、可哀相だった。それがどうだ。成長した彼女は、今度は自分から他者を拒絶しているではないか。悲しい事この上ない。

再び巡り合えた彼女は、既に一人前の結界師で。当主にふさわしい実力と聡明さを持っていた。それさえも悲しいと心が涙を流す。


「あ、」


彼女の事が心から好きで、彼女の為ならたとえ火の中水の中――…と言ってくれる骨がある男になら、瑞希様を任せられる。彼女が望む復讐を遂げた後、支えてくれる人がいい。

そこまで一考して、ふと明良の脳裏に一人の男性が通り過ぎた。


「いるじゃないですか」


思考に没頭していたからと言い訳したい。

自分の耳で自分の声を聴いた瞬間、口走ったのだと悟った。あぁしかしこのまま喋っても別にいいか。瑞希様が一歩進むだけで笑顔が溢れる未来へと近付いてくれる。


「リンさんでしたっけ?あの方の瑞希様を見る目は――…、」



グットタイミング?明良にとってはバットタイミング。

近付く妖気に、明良さんは中途半端に閉口した。ヴァイスだろうとヒトガタと呪符をポケットの中に入れ、明良さんと同時に立ち上がる。明良さんは胸ポケットにヒトガタを仕舞っていた。

思えば夜中に二人でしゃがみ込んで、一心不乱に書き物をしてる光景って異様よね。私達の遥か後ろには、見たくもない霊達の攻防戦が繰り広げられているわけだし。不気味だ。

教室とか空き部屋とかなかったのかと問われると、迷わず答えられる。鍵がないの。

私達に友好的じゃない教師陣に頼んでも恐らく無理だろう。余計な検索をされる。松山を思い出して、気分が急降下した。


《呼ばれて飛び出て》


キラキラと光線を飛ばす元気な様子の我が式神と、彼女に腕を引っ張られて無理やり連れて来られたっぽいリンさんが角から現れた。意外な組み合わせだ。


《ヴァイスだよ〜》


――リンさん、この時間でもスーツって。

黒服に皺が付く程の強い力でヴァイスが握っている。なんかうちの式神がすみません。中々そこから手を離さないのを見て流石にヤバいかなと慌てる。


《この人、瑞希様のこと探してたからさ〜優しいヴァイスが連れてきてやったの》


私の心配を知りもしないヴァイスに説明されて。リンさんが上品にえぇと頷くので、保護者としてヴァイスを叱るタイミングを失った。

探してたって……私にどんな用が。

あれ?この時間帯に起きてるってコトは、リンさんが寝ずの番だったのかしら。別に意外でもないけど、ベースを空けるなんてしないだろうから、ナルも起きてるのか――そこまで一考して、ふむと頷く。

ナルの命令で私を探していたのかな。そう考える方が自然で納得がいく。

ふふんと胸を張って褒めて欲しそうにチラチラと視線を寄越す式神を無視できなくて、とりあえずありがとうと言っておく。興奮から赤くなってる頬が、雪のように白い肌に映えている。…雪女だけに。


「さて」


リンが表情も変えずに、明良を一瞥した為――みんなでベースへと戻ればいいのにと瑞希に思われそうだと内心苦笑しながら。

「私は外を一周見回りして来ますから、瑞希様は先に戻っていて下さい」と、ヴァイスに目配せする。見た目を裏切る子供っぽい彼女はここぞという時は空気を読んでくれる。

とは言え、瑞希様のこととなると我を見失う彼女が、リンと二人っきりにさせたい明良の心情を汲み取ってくれるとは、驚きで。彼女も彼女なりに主を心配しているのかもしれない。

自分が離れていた間、幼少期の頃よりも過酷で辛い日常を送っていたようだし。過保護になるのも頷ける。

自分が知らない瑞希様を、ヴァイスとジェットは知っている。だからこそ、二人は瑞希様を人間には渡さないと思っていた。考えを改めなければ。少なくとも、一人は違うようだ。


「私は彼をお勧めします」

『――…、なっ、』


思惑を悟られないように、笑顔の下にそっと隠して。

リンに聴こえない虫の音くらい小さな音量で、瑞希様に耳打ちをするのを忘れない。一瞬何を言われたのか分かってなかった彼女は、瞬きして明良を見上げて――…耳まで赤く染めた。


――うん、微笑ましいな。

若いっていいですね〜なんて、年寄りくさい感想を一人ごちる。


「瑞希様、すみません。ヴァイス借りますね」

『ぇ、ぁ、あ。うん』


見回りは口実だと勘付いている瑞希様の耳たぶは、未だ真っ赤で。ほっぺたはリンゴのように可愛らしい色に彩られている。

このような表情は、過去の瑞希様には決して見られなかった――まあ小さかったからってのもあるけどね。悔しいのは、彼女が幸せに満ちた笑顔を……一族総出で見守れないところか。

瑞希様が欲しかったら私を倒してからにしろ――…なんて一度は言ってみたいセリフだ。なんて、瑞希様には内緒だ。

自分が言うのもアレだが、過去に囚われている瑞希様が、しがらみもなく幸せに微笑んでくれるのはいつになる事やら。きっとそれは、私の役目ではなく、この真っ黒な男なのだろう。

ヴァイスが毛嫌いせずに道案内をかって出たところを見て、少なくともヴァイスは瑞希様とそういう関係になるのを許しているようだと推測した。






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