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昨夜の――…あの瞬間の、経験した事のなかった甘い時間の、


「返事は満足のいくものじゃないと受け取りませんから」


リンさんの声と表情が頭から離れてくれない。

忘れようと念じれば念じる度に濃厚なものへと形を変えて。生まれて初めて味わった甘い香りは、私を戸惑わせて狂わせる。



 第四話【第三段階】





カメラやマイクなどを設置した場所――ベースではなく計測する為に設置した場所を、ナルはスポットと読んでいる。

綾子さんとリンさんが持ってきてくれた機材達を無事に怪しい箇所に置いてから、ベースにてカメラの位置やテープの回収などスポットとベースを往復していて。

怪奇現象の数が数だけにスポットの場所は多く、歩くだけで疲労が蓄積されていたが――…誰かさんのせいで私は寝れなかった。明良さんと視た霊のグロテスクな光景を差し引いても、リンさんの暴走の影響は睡眠時間を奪ったのだ。


「霊が視えない!?」


ぼーさんの絶叫のお陰で、邪念が消えた。そうだった、数少ない私の友達――真砂子が到着したんだった。

もうお昼も過ぎ、おやつの時間帯になっても頭の中を占めていたリンさんとの出来事は、ぶんぶんと頭部を振って追い出して。仕事モードに切り替える。遅いとか言わないで。


「どーゆーことよ、真砂子ちゃん!」

「まったく視えないわけじゃありませんのよ。存在は感じますわ」


一人より二人の意見が一致すれば、信ぴょう性も増す上に人手は多い方がいいと。ナルが真砂子を呼んでくれたのである。


「まぁまぁ、今はたまたま不調なだけかもしれまへんし」

「…存在は感じるんですね?」


真砂子と同時刻に到着したジョンが場を宥める横で、ナルが再度尋ねた。確認作業。

私もまた存在は感じるが、姿は視えないと初見で言ったから。同意見なのかどうなのかはっきりとさせたいようだ。

ぼーさんや綾子さんはともかくナルにまで能力を疑われるのは真砂子も可哀相な為、チラリと寄越された視線にこくりと頷く。


「……えぇ。霊が沢山いることは判りますわ。でも……どんな霊なのかよく判りません。いつもはもっとはっきり見えるのですけれど……なんだかチャンネルの調整が合ってないテレビを見てるような……わかりますかしら?」


人によって性格が異なるように、能力もまたそれぞれ。霊視が出来ても、私は霊媒ではないし、真砂子とは視え方が違う。

彼女は普段妖怪は視えないらしいけど、私と一緒にいると視えるのと同じ。そこに何かいると存在を認めれば視えるらしい。感じてはいるようだった。

真砂子は感受性が強く、視えなくても霊の感情を鮮明に感じ取れる。私は直接霊に尋ねないと気持ちなど知れないが、真砂子は言葉を交わさなくとも受信できるのだ。故にただ視える私とは違い悪影響も受けやすい。

私にはモノに宿る思念は、負の感情が強ければ黒く靄がかかったような感じで、瘴気や邪気として視界が認識する。


「あたくし、もともと浮遊霊と話をするのは苦手ですの。場所や人に強い因縁を持っている霊なら大丈夫なのですけど……」

「まぁ。コックリさんで呼び出された霊じゃ因縁なんてのはないだろうが……またかよ真砂子」

「この間は特別ですわ!今回はまったく視えないわけでも感じないわけでもありません!」


彼女の性質を知っているから私は真砂子が視えなくても彼女に懐疑的な眼差しで見ません。

それに、あらかた霊は私とぼーさんが除霊した後だし、零れた霊はほとんどが力を手にした何かに喰われている。視えなくて当然だろう。ここで初めてこの場に来たのが私でもいないと断言すると思う。それほど現場は表向きクリーン。


「ハイハイ。結局アテには出来ないんでしょ?」

「あら、松崎さんにだけはは言われる筋合いございませんわ」

「あー!んっとにムカつくわねっアンタは!」

「松崎さんこそ、もう少し大人になられたらいかが?」

「(また始まった)」


くわ〜と大きく口を開けて欠伸をした麻衣に、私と修君の意識が向かう。外野は尚も騒がしい。……いつもか。


「眠れなかったんですか?」

「え?いやいや」


――うん。ちゃんと寝てたよね。

不意に修君と目が合った――…のは一瞬で。さっと逸らされてしまった。その反応に内心小首を傾げる。幽霊が視えると告白しても動じなかった修君、今更引いたとか…?とかはなさそうだけど他に逸らされる理由が見当たらない。



「――ただ…、」


暗い面差しで一旦止めた真砂子。気にはなる…とても気にはなるが、とりあえず修君への疑問は隅に置いて、意識と目線を真砂子に戻した。


「一つだけ……。特に強く感じる霊がいるのですけれど…」

「どういう霊ですか?」


質問したナルを始め瑞希、ぼーさんは瞬時に一人の生徒の名前を思い出して。続く気配に大人しく耳を傾けた。


「男の子です。あたくしと同じ年頃の…」

「って事は、十六歳ぐらいか」


今度はぼーさんがナルに代わり口を挟み、真砂子が頷く。


「えぇ。その子ははっきり視えますわ」


今この場に彼はいない筈だが、真砂子には感じられるらしい。スゴイな。流石だわ。


「強い感情を感じます。…なにか学校で辛い事があったのではないかしら」


麻衣が当たってると茫然と呟いたのを左耳が拾い、右耳は真砂子に集中。

そこまで言われれば勘のいい人間はピンとくる。その証拠に修君と視線が絡まった。今度は逸らされなくて、人知れずほっと胸を撫で下ろす。さっきのは何だったんだろう?新たな疑問が頭をもたげた。

恐らく修君は、真砂子が彼について喋り始めたのを不思議に思っているに違いない。だって彼は生きている。


「学校に囚われています。この近くにはいないのに、こんなに気配が強い……きっと自殺した霊だと思います。そんなに昔の話ではありませんわ」


そう答えた真砂子の瞳は、哀しみに満ちていた。

霊媒体質だからか、あたかも自分の感情のように感じてしまうのかもしれない。坂内君は自殺は未遂だったけれど、本人は死んだと思っているから、真砂子にもそう伝わっている。

彼が飛び降りた屋上から強い念をキャッチしている様子で。真砂子を悲しませる坂内君が恨めしい。生きてるから安心してと言えない私も恨めしい。


「…それはこの子ではありませんか」


またも意味ありげに寄越された視線にげんなりしつつ、形にしなくても理解してしまう自分にもげんなりと。彼の顔写真が掲載されている一枚の紙をナルに手渡した。

アイコンタクトだけでさらりと意思表示を交わした――阿吽の呼吸の二人に対し、リンと麻衣の眉が微かに眉間へと動いた。


「…この方ですわ。そう…坂内さんと仰るの」


若干不機嫌になった人がいるとも露知らずな真砂子は、ナルから渡された紙を覗き肯定した。気になったのか、真砂子の横から麻衣が顔を見せた。


「学校に恨みがある……というのは本当、かな。――リン、昨夜の様子はどうだ?」


“昨夜”のフレーズに、頬がリンゴに変身する。

あまり考えないように、思い出さないように努力していた――あの後、実は、私の反応を楽しむように妖しく笑っていたリンさんを止めてくれたのが、開けっ放しだったドアから登場したナルと修君だったのだ。

一部始終を見ていたのか?と訊きたかったが、羞恥心を更に煽られた私の頭は混乱の極みで正常に働いてはおらず。

しかも冷静に退場するかと思いきや、「邪魔したか?」なんて気遣うコトバを吐いたくせに、ベースに入り作業を開始したナルに、これにはリンさんも茫然としていた。とても珍しい表情だったと思うんだけど、観察する余裕はなかったからよく覚えていない。

甘ったるく噎せ返るような空気を払拭してくれたのには感謝。ありがたいと思うよ。でも、ホントあの時キャパシティーを越えて、冷静な切り返しが出来なかったから、とりあえずナルには見なかったことにして出て行ってほしかった。

代わりに頭を冷やすべく私がベースを出て、宿直室に行ったんだけど。寝てはない。何が起こったのか、情報処理に時間がかかったのよっ!


「温度に異常があった場所が何ヶ所かあります。特に低かったのは、三−一、ニ−四、LL教室です」


ぴくりと何かありましたとばかりに反応した瑞希にリンが心の中でほくそ笑んでいるなんて知らずに。淡々と説明するリンを頭から懸命に追い出そうとしていた。

ナルがリンに状況を訊いたのは、彼女が昨夜ベースを出て行ってから三十分もしない内に、安原修を連れてベースを後にしていたから。徹夜で作業していたのはリンだけ。


「映像に異常はありませんが、マイクに音が入っている場所が三ヶ所ーー美術準備室とニ−四、体育倉庫です」

「なるほど。初日から反応が出てくれるわけか」


途端に、眉間にしわを寄せたナルの雰囲気が宜しくない物だと肌で感じた修君が疑問符を飛ばして。


「あ…霊って普通、部外者が来ると一時的に隠れちゃうらしいです。シャイなんですって」


彼に一番近い場所に立っていた麻衣が説明していた。

ナルは一般人に説明するような性格じゃないし、ぼーさんも綾子さんも挙げられた箇所を画面越しに凝視していたから、必然的に麻衣が。

私がしても良かったんだけど……またばちりと合った視線を不自然に逸らされた為、メンタル的に根を上げたのです。どこまで踏み込んでいいのか立ち往生するこの感じ、あまりいい気分じゃない。

せめてもの救いは、修君の瞳が拒絶に染まっていなかったことだろう。


「最初から反応があるような霊は強いものらしいです」

「強い…?」


――警戒心が強い、とも言うけどね。

修君に気を遣い説明に付け加えなかった。私とは関わりたくないように見えたから。今日は私と喋りたくない気分なのかもしれない、そう自分を納得させて。沈みそうになる気分を上げる。

「仕事にかかろう」と、場を仕切るナルに深く頷いて見せる。


「原さん、校内を回って霊のいる場所をチェックして下さい。松崎さんは原さんに同行して可能な限り除霊を」


今いるメンバーの中で一番大人しくしていた明良さんが、そっと瑞希の横に立ったのを一瞥して。ナルの吐息がやけに大きく溶け込んだ。


「明良さんは瑞希と一緒に、原さん達と同じく霊の場所をチェックしつつ除霊をお願いします」

「えぇ。わかりました」

「ここには麻衣が残ります。こまめに連絡を入れて下さい。ここの霊は甘く見ない方がいい。十分に用心を。ぼーさんとジョンは今挙がった五ヶ所の除霊を頼む。終わったら原さんの指示があった場所に向かってくれ」

「ハイです」


綾子さん、ぼーさん、明良さんの順に指示を出したナルは一息ついて、


「僕とリンは不透明な場所の調査を続ける。安原さん、手伝って下さい」

「はい」


最後にそう締めた。

渋谷サイキックリサーチの面々にプラスして、綾子さんやぼーさんや真砂子やジョンに助力を求め、協力するのは最早定番な流れに落ち着いている。

綾子さん達がナルの手腕を認めているのと同じく、ナルも彼等拝み屋や霊能者を信じているから?

当たり前のようにリーダーをナルに、皆に指示を飛ばすナルの姿も様になっていた。渋谷サイキックリサーチの人間じゃない人達がいても違和感に思わないほどに。

それは人を頼らない不器用なナルがぼーさん達を信じてパーソナルスペースに入れているのだと物語っているように思えて。自分の事を棚に上げて、瑞希は口元に弧を描いた。


「麻衣」

「はいっ」


――いいよね。こう…一種多様な人間が集って一致団結するのって。

以前まではその輪に加わるのを嫌煙していた。まさかその輪の中に入る日が来るなんて夢みたい。


「サボって寝るなよ」

『(なんてフラグ)』


居眠りした方が、トランス状態に突入できるのではないかしら。例にも洩れず今回もジーンが麻衣の夢に出てきていそうだもの。とは、空気を読んで言わない。ジーンに口止めされてるのもあるけど。

ジーンってば麻衣に引っ張られるとか言ってたけど、ジーンも麻衣を引っ張って夢を見せてるんじゃないのか。

つかず離れずな距離で視界に入るリンさんの影に気付かないふりをして。

いつものメンバーが揃い、情報収集から除霊へと。いよいよ本格的に調査が始動する。全員気を引き締め、頷き合った。





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