3-2 [12/32]
『……』
「……」
――か、会話がない。
綾子さんはリンさんと二人っきりは息が詰まるとか言っていたけど、私は滝川さんと二人っきりの方が辛い。
いい印象なかったし、恐らく私が苦手としているの伝わっているようで。気まずい事この上ない。
人気がない廊下を歩きながら、時間が時間だから浮遊している霊はあちらこちらで見られた。浮遊している霊を見付けてはその度に力を使って滅する。
「瑞希は、その力嫌ってるのか?」
『ぇ、』
「明良っつうヤツも除霊と浄霊を使い分けてただろ、つまり真砂子と同じく除霊を嫌ってる」
『まぁ…出来れば浄化して輪廻に戻してあげたいとは思いますよ。存在自体を消してしまうのが除霊なので。私達が滅する結界術も除霊に当てはまりますからね〜視える人からしたらいい気分ではないですよ』
どうしてそう思ったのか尋ねてみたら、意外な返答が戻って来た。
「前に、学校の調査で、スプーン曲げは嫌いだと言ってたろ?」
滝川さんは何気ない私の言葉を覚えていたらしい。
失礼な話だが、人に秘密を暴いた後はもう興味も敵意もなにもないと思っていたから、まさかそう言われるとは。
「だから結界術もあまり好きでないのかなって思ってさ」
「で、どーなの?」と、訊く滝川さんの瞳には、探るような居心地の悪いものじゃなくて。これは…たまにリンさんがしている類の眼差しだ。
自惚れじゃなければ、私を知りたいと思ってくれているんだと思う。
仲間意識でも芽生えたのかしら――…って以前の私だったら鼻で笑っていたに違いない。でもどうだろう。今の私は嬉しいと思っている。心の変化に少しだけ戸惑う。
『どうですかね〜昔は嫌いでしたよ。この力のせいで迫害されたので』
「迫害って…」
大げさに言いすぎでない?と頬を引き攣らせた滝川は、すぐに考えを改めることとなる。
『よくあるじゃないですか。子供の世界で、あの子ウソついてるーとか』
「あー」
『それが彼等の親や保育園の先生にまで伝わって気味悪い子ねって』
――まぁそれは軽い方でしたけど。
苦々しい思い出を振り返って、無理やり笑って見せると、滝川さんに頭を撫でられた。次いで「無理すんな」っと言われて瞠目する。
そんな風に優しくされたら、ぽつりと喋ってしまうじゃない。
『その後、母からネグレクトを受けましてね』
「――っ、おまっ、」
『昔の話ですよ』
ひゅうッと息を呑んだ滝川さんが、立ち止まったので、振り返る。
『昔は母だけだったんです。父はいなくて……でも何処からかネグレクトを受けているのを聞きつけた父に助けてもらって、』
その父ももうこの世にいない事を知ってしまっている滝川さんは、ああもうっと自身の頭を乱暴に掻いて、
『!ちょっ、たきがわさんっ?!』
「お前…苦労したんだな」
足音を大きく立てて、瑞希の頭もわしゃわしゃ撫でた。
乱暴に見えて優しい手付きで。瑞希は上から感じる強い力により下げられた目線の先で、冷たい廊下を見ながら目を白黒させた。
下を見ていたから――…そりゃあ人間嫌いにもなるわな、と一人ごちた滝川さんがどんな面差しをしていたのか汲み取れなかった。
「もういいんじゃないか、俺が言うのもなんだけど…始まりは最悪だったかもしれねぇけどさ。俺もナル達も、お前さんを拒否したりしねーよ」
『――っ!』
「信じちゃあくれねぇ?瑞希を不安にはさせないし、拒絶もしないしさせない。大丈夫だから」
人間が嫌いだと、信じた者以外の人を寄せ付けない瑞希は儚さな見た目も手伝ってか危うく見える。放っとくに放っとけない危うさ。
真砂子や麻衣といてもふとした瞬間に見せる他者を拒絶する冷えた眼差しを、どうにかしてあげたいと思っていた。
きっと彼女の前では良く喋るナルやリンも同じ気持ちなんだろう。
彼女から生い立ちを聞かされた今、ずっと思っていたソレは一層強いものへと変わったわけで。同時に、こんな過去を持つ彼女の秘密を見世物のように暴いた自分を激しく責めた。最悪だ、そりゃあ拒絶されるわ。
仲良くなるには、みんなよりもマイナスなスタート地点にいると薄々察してはいたが。ここまでマイナスだと思ってなかった。
もう過去だからと言いながら人間嫌いな瑞希は、矛盾していると思う。痛みを痛いと感じない表情をしている瑞希に、滝川の方が痛みを感じた。
「試しに、滝川さんなんて他人行儀じゃなくて、ぼーさんって呼んでくれよ」
瑞希のパーソナルスペースの向こう側に飛び込むには、多少強引さも必要かもしれない。
意義は認めねぇっとカラカラとわざとらしく笑い声を立てた。
人の心に爆弾を落としといて、目的地である更衣室に向かうけろっとしている瑞希を、滝川は驚愕な事実を知らされると共にずっと疑問に思っていた数々に納得したのだった。
滝川の脳裏にミニーの事件の際に霊に同調していて魘されていた彼女や、人の手が入った物を食べるのを渋っていた彼女を――やっと理解できたのである。彼女に対して過保護な式神の心情も痛感した。
「(そりゃ、過保護にもなるわな)」
□■□■□■□
瑞希先輩のアドバイスをもとに、ナルが出した指令は――LL教室、二年四組、三年一組、更衣室の四か所にカメラを、その他、怪談の報告があった場所にマイクと計測器を設置すること。
「よしっと。こんなもんかな」
「……」
手分けして、体育館裏の駐車場に止めてある車から地道に運んで、一つマイクを設置した。
機材の設置は、瑞希先輩と明良さん、それとリンさんも手伝ってくれている為、重労働をあたし一人に押し付けられるなんて悲劇は起こらなかった。
あ、明良さんは瑞希先輩を差し置いて葉山と呼ばれたくないとか困った笑みを皆にくれたので、全員彼を下の名前で呼ぶことになった。有無を言わさぬ柔らかい微笑みは、先輩と通ずるものがあった。
「これで何か怪しい音がしないかチェックするんです」
「…はあ……」
どこか戸惑ったような曖昧な反応をしてる安原さんに苦笑を一つ。
こういった仕事をしていたら、疑うような反応だとか珍しくなかったし、それに比べれば安原さんの反応はマシだった。
「…最近の霊能者ってこんな機械を使うんですか?」
「あはは。うちは特別みたいです。それにナルは霊能者じゃないから。ゴーストハンターだって本人は言ってます」
「あ。知ってるそれ」
「珍し…普通、知らないですよ」
眉を上げたあたしに、今度は安原さんが苦笑してみせた。
ナルと出会うまであたしはゴーストハンターなんて知らなかったし、聞くこともなかったというのに。そういったものに興味もなさそうな安原さんが知っているとは、なんだかとっても変だ。
「うん……坂内……例の一年生がね、入学早々の進路調査で“将来の希望、ゴーストハンター”って書いたんだって。…まあ冗談のつもりだったんだろうけど」
と、一旦言葉を切った安原さんは、一拍置いて、「それでちょっとね」と、眉を八の字に下げた。
「…そっかあ。こういうことに興味がある子だったんだ……」
――納得。
「瑞希さんは霊能者になるんだよね…彼女も?機械を使って調査してるんですか?」
「先輩は霊視ができるから、機械には頼りませんよ」
先輩の話題に、自然と肩に力が入る。やっと綾子達に心を開いてくれているのに、また人を遠ざける先輩に戻って欲しくないから。
いくら先輩と親しかろうが、安原さんと云えど、瑞希先輩を傷つけるなら、あたし許さない。
ただ同じ学校の先輩だからという理由ではなくて、あたしにとって先輩はもう姉のようなそんな大切な存在になっているから。
親しいからこそ親しい存在からの拒絶は、きっと瑞希先輩を傷つける。まあ、あたしが許さなくても、彼女の式神が黙ってないだろうけど。
「安原さんは、瑞希先輩のこと信じてるんですか?普通、幽霊が視えるなんて言われたって信じませんよね」
「そう…かな。そうかもしれないですね」
「――信じてるってウソついたんですか」
知れず低い声が出た。目を丸くする安原さんの表情を見上げて、しまったと顔を顰める。
「瑞希さんが言ってる事がウソだとは思ってませんよ。霊がいるっていうのは…まあ正直、信じがたいですが」
「……」
「霊が視えるって言い出したのが例えばクラスメイトの一人だったら、僕は信じません。瑞希さんだから信じたんです」
それに、自分が怪現象を経験したからこそ、信じられたのだと彼は言った。
瑞希先輩だからと言われて、ストンっと中に入って首肯する。
確かにあたしも瑞希先輩が言ったら、信じられない事でも信じようって思うかも。あたしは瑞希先輩の人となりを知っているから、戯言だと流さないと思う。安原さんも同じ…なのかな。
「納得もしましたね」
「納得?」
「えぇ。僕等…初対面で互いに猫を被っているって気付いて仲良くなったんですけど、ずっと疑問だったんです。瑞希さんが頑なに人間が嫌いだと言う姿勢が、ずっと引っ掛かっていた」
安原さんは、お陰ですっきりしましたと一言笑って。
「さて!次はどこにいけばいいですか、親方!」
「え。えっと…“猫の鳴き声のする体育館”です」
場の空気を一変させるような明るい声と、すっきりしたと口にした安原さんのかんばせに、あたしの中でなにかが引っ掛かった。
「じゃ、ちゃっちゃと済ませましょう」
瑞希先輩の害になるようなモノというより…瑞希先輩の為の類のような隠された何か。尋ねようにも、踏み入ってくるなと引かれた境界線に、あたしは引き下がるしかなかった。
安原さんが隠した何かはきっと――…瑞希先輩にしか触れられないんだろう。関係ないあたしは土足で踏み入ってはいけない境域。
「やっぱり夜の学校って不気味ですからね。僕、怖いの苦手なんですよー」
――うそくさ〜。と、あたしもあわせて笑って。
安原さんって…心の境界線の引き方が、瑞希先輩と似ている。相手を不快にさせない上手な引き方。なるほど…猫被ってるって聞いて、安原さんが?って思ってしまったが、安原さんもまた本音を隠すのが上手い
「ところで親方ってなんですか〜」
「だって僕、立場的に弟子ですから。嫌ですか?じゃあ親分」
「いや、そーでなくて」
「あ。そーすると渋谷さんは大親分かな」
ぶっと噴き出して。
「似合いすぎるよー!やめてよー!」
「んじゃ、ま。大親分に怒られないうちに片付けちゃいますか!」
「ですね」
安原さんと仲良く作業へと戻ったあたしは知らない。
その夜、問題の自殺した生徒――坂内智明君と夢の中で出会う事を。呑気に笑うあたしには知る由もない事だった。
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