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次に機材の設置などを行う。
ナル達もまた一歩一歩あなたに近付いている――…。
第三話【第二段階】
開口一番に、
「ホテルじゃない?!」
と、叫んだ綾子さんに、麻衣と私は苦笑した。
女性にとって死活問題だよね、ホテルじゃないのって。特に化粧をしている綾子さんにとっては不便だろう。ゆっくりも出来ない。なにせ霊がうろうろしている場所なのだから。
滝川さんが札を書いてくれるだろうけど、気持ち的に安心できない。だっていわば敵陣にいるのと同義なのよ。おちおち寝れない。
「おまけに暖房も切れてる!」
私達に経費を払うのを渋っているのが節々と肌で感じられる。
ぷるぷると震えている綾子さんから、私と麻衣は揃って後退した。
「こっちはわざわざ東京から三時間もかけて来てやったのよ!?調査の間中、暖房の壊れた宿直室に泊まれっての!?」
「綾子うるさい」
どかーんと一発。大きな声を出して文句を垂れる綾子さんに、思わず耳を塞いだ。きーんと頭に響く。
麻衣を応援するように何度も頷いてみせると、綾子さんのこめかみが苛立たし気に反応した。
「あんた達にゃ、わかんないでしょうけどね〜。そりゃーキッツイ道のりだったわよ、えェ?あのせっまい空間にリンと二人っきりにされてごらん――三時間ッ!!!」
少し離れたナルと話し込む本人には聞こえない小さく囁かれた文句は、麻衣を同情させるには十分だった。迷惑そうな眼差しが、憐れむものへと変わる。
「息詰まる一戦だわよまさに!!」
鼻息を荒くする綾子さんが話題にしている当の本人――ナルに現状を説明されているリンさんを見遣る。
今日も今日とて全身を黒に染めたリンさんはきっちりとしていて、普段と変わりない様子。
日本人が嫌いだと私は知っているから、無言な空間も苦には感じないけれど。事情を知らず、とげとげしい空気を放たれた綾子さんからしてみたらたまったもんじゃないのかもね。密室で三時間――心労もひとしおね。
『ははは、お疲れさまです?』
「あんたを尊敬するわ。あんなのと良く会話が続くわね」
『ははは』
「で、でも…あたし達マシな方だよ。真砂子が来ても一部屋に四人だもん。男連中なんかジョンと明良さん入れたら五人一部屋だよ、六畳に」
「うぇ〜っ」と顔を顰めた綾子さんに深く同意する。
私も一部屋に、五人もいるなんて耐えられない。女ならまだしも、男が五人一部屋って。絵的にもきついよね。
はッと顔色を変えて、私を見る彼女に、小首を傾げる。
「明良さんって――…あんたのトコの?」
『はい。私的な用事で今回は参加することになりました』
「私的な…って大丈夫なの?」
滝川さんと同じく心配してくれる綾子さんに、自然と笑みが零れる。
彼女がチラリと修君をその瞳に移した為、その眼球の動きで彼女がなにを心配してくれているのか伝わった。
『大丈夫です、修君――安原修って言うんですけど、修君には簡単に説明しましたから』
自分の名前を拾った修君が滝川さんの横から視線が絡み合う。空気を読んで綾子さんにぺこりと頭を下げてくれて、綾子さんもまた目礼していた。
学校から生徒が目に付く時間帯は、あまり出歩かないでと言われているから、ゆっくりと話す時間はあった。
その都度説明をするのも面倒だった為、霊が視える事、一族の説明、式神が三人いるなどを打ち明けた。
この道にいない云わば一般人に話すのは初めての試みだったので、手の震えは止まらなくて。そんな怯えを感じ取ったのか知らないけど、修君はそうなんだといつも通り笑って見せた。
驚かないの?と問えば、驚いたよ。と言われて。
信じるの?と訊けば、信じるよ、瑞希さんの事だからね。寧ろ納得したって言われて。拍子抜けしたのは、ほんの数時間前の出来事で。まだ信じられない。
人間に迫害された過去があるから、簡単には信じられなくて。
でもふと気付いたの――…もしかしたら、友達になってくれた人達を心の中で信じてなかったのは、私の方かもしれない、と。
修君は、不思議な力を持つ私ではなくて、私自身を見てくれているんだと初めて知った。歩み寄るのは勇気がいるし怖いけれど、一歩踏み出すのもいいかもしれない。
渋谷サイキックリサーチで働くようになってから、少しづつ変わっている――変われていると――…リンさんやナル達を見渡して、そう一考して。ふとクラスメイトの五十嵐優花の姿が脳裏を横切った。
やり取りが聞こえたリンさんが顔を上げ、じっと見つめられて戸惑う。
「失礼します」
『――明良さん』
なにか言いたげな眼差しのリンさんから救ってくれたのは、明良さんだった。
建て付けが悪そうな音と共に登場した彼は、ベースにいる人間をぐるりと見渡して、最後に私に向かって呆れた溜息を一つ寄越した。
『意外と早かったですね』
「帰宅途中でしたから」
《やっほー瑞希様、ヴァイスもいるよーん》
明良さんの背後からたわわな胸を揺らして、ヴァイスが姿を見せた。
文字通り、彼等に目視できるように顕現している。揺れる胸と一緒に銀髪もさらりと揺れた。相も変わらず色気がスゴイ。初めて彼女を見る人は、その整った容姿と胸に、圧倒されるのよね。
ヴァイスは雪女だから、コートなんて要らないわけで。
だけれど、顕現してる以上、不審に思われない程度の厚着――セーターは毛嫌いしている為、ヴァイスの姿は長袖のワンピース。生足だけど暖色のボルドーとブーツを身に着けているのがせめてもの救いか。
――んー見てるだけで寒そうな恰好。
『お疲れ。どうだった?』
《外れ》
「詳しくは帰って報告致します」
今回の呪いっぽい依頼も、外れね。
無駄骨だったねと苦笑して、明良さんからも苦笑を貰う。ヴァイスは拗ねていたけど、どこか嬉しそうなのは、行った先で雪が降っていたかららしい。明良さんにこっそりと教えてもらった。
「例の物も持ってきました」と、小声で耳打ちされて、首肯。
式に渡した手紙には、これまでの経緯と手に入れた呪祖の紙を入れていたのだ。
呪詛を憎む明良さんなら来るだろうと思った。ホントは言わないでおこうかと思ったんだけど、教えなかったら教えなかったで怒られそうなので巻き込むことにした。コレは我々には関わらない案件なのは明白なのにね。
『ゴメンね』
「気にしないで下さい。これは私も譲れませんから、それに暴走しないよう見守るのも私の務め」
『それどっちの意味で言ってます?』
――暴走って、ヴァイスを指してるんじゃないよね。
朗らかに笑ってるけど、焦点が私からズレない。
「とにかく、目撃数が多すぎて機材が足らない」
明良さんは、所長のナルに挨拶をして、ナルが次に取る行動について喋り始めた為、騒いでいた綾子さんもヴァイスも閉口して所長を見つめた。
「明日、原さんに霊視してもらって霊の存在を確認する。いると判ったら、ぼーさん、松崎さん、ジョンの三人で除霊にあたる」
「私達は?」
淡々と紡ぐナルに、戸惑った様子の明良さんが口を挟む。
何を言ってんだと――…全員の視線が彼に集中して。次に私に集まった。
「浄霊ではなく除霊ならば私達がしても同じでしょう?」
「――瑞希」
にやりと勝機は自分の手にって感じで、勝ち誇った笑みを浮かべるナルと、疑問符を飛ばしている明良さんに、頭を抱えた。
『助手としての立ち位置でいたかったから』
「と言いますと?」
『結界師としてここにいるわけじゃないから、術を使うのは控えてたの』
「なるほど」
「瑞希、山田さんはこう言っている。今回くらいは除霊を手伝ってもいいんじゃないか?お前の願いも訊いてやっただろう」
それを言われると反論の意を唱えられない。
坂内君とケンカして明良さんを引っ張り出している手前、ナルの“お願い”を呑むしかなかった。くっ無念。
『分かった、分かったわよ!』
「最初から素直にそう言え」
むかぁ。
「彼女、彼の前だと年相応ですねぇ」
「そうみたいですね。私も驚いています」
怒りで震える拳を握り締めている私を見て、明良さんと修君がこそこそと喋っていたなんて知らない。
「瑞希と山田さんも除霊にあたってくれ」
『現段階ではボヤ騒ぎがあった更衣室と…放送室が気になるわ』
「その二つは瑞希に任せる。他は気になる場所はあるか?」
『まだ確認してないけど、保健室』
「山田さん、保健室をお願いしてもいですか」
細い双眸を更に細めて頷いた明良さんから、黒、青、黄色の数珠を受け取った。
これで何が起こっても、テイルとジェットを呼び出せる。ヴァイス一人で大丈夫だしぃと言ってる雪女に一つ笑って、左手に嵌めた。やっぱりこれがないとしっくりこないわ。
「瑞希と山田さんが加わってくれるなら、楽になるな」
『無理やりでしょーが』
「何か言ったか」
『気のせいじゃない?』
吹雪のような眼力を、冷ややかにスルーする。隣にいた明良さんが苦笑していた。
「二手に別れて除霊してくれ。曖昧なものについては僕とリンとで調査を行う」
外はもう薄暗く、後二時間程立てば、あたりは真っ暗になるだろう。霊や妖怪が蠢く時間帯へ近付く。
闇が濃くなる前に、散策は終えていたい。私や明良さんならば問題ないだろうが、妖怪の前で他の人はとても無防備だ。まあ妖怪がいるとは思えないが、あの犬がいるから油断は禁物。
「麻衣はここで情報の中継と整理。ただし、なにかあったら報告するように」
「なにかって?」
きょとんと小首を傾げる麻衣に、
「第六感のオンナ、なんだろ?こないだ潜在的なEPSどか言われてたじゃねえかよ」
「あそっか。忘れてたー」
滝川さんが、呆れて付け加えて。
「え。じゃあ谷山さんもただの人じゃないってことですね」
「いやいやそんな、照れますなあ〜」
「まっ。忘れててもしょうがないか。この間の事件はたまたま役に立っただけだもんねー」
それを耳にした修君が感嘆の声を上げ、綾子さんがからかうように“たまたま”を強調して続いた。
「そういう誰かさんもたまには役に立ってみようよー」
麻衣が、ふと気付いたように綾子さんから修君を振り返ったので、
「あれ?そー言えば、安原さん。帰らなくていいんですか?」
私も気になって、修君を見遣った。
言われるまで、帰る素振りがないの気付かなかった。もう暗いし帰った方がいい。
「うん。僕みたいなのでも雑用くらい出来るかなと思って、一応泊まるようにしてきたんですけど」
「六畳間に男六人……うんわぁ運動部の合宿並…」
「御心配なく…寝袋借りてきましたから」
ふふふと抜かりないと滝川さんに返す修君に対して、私とナルは顔を見合わせて顔を顰めた。
一般人を庇えるほど現段階では余裕がないのだ。修君が邪魔だとかではない。利用するにしても、責任はついて回る。
「安原さん、残って下さるのは有り難いですが泊まり込みは止めた方がいい。危険です」
「もちろん足手まといになるようなら言って下さい。帰ります」
彼は引き際を心得ている。
ナルが此方を見るので、いいんじゃないかなと頷いて見せる。修君は無茶なんてしないし、危険なら引き返せる勇気を持っているから――彼をあまり知らないナルの決断を手伝うように、首肯した。
なんの問題もないと無言で瑞希に背中を押されて、
「…それでは手を貸して頂こうかな」
ナルは、修君のお手伝いを歓迎した。
目配せで通じるナルと瑞希、それから人間嫌いな瑞希から信頼をされている安原修と彼女の姿に、ほんの少し面白くないと感じたリンの胸中は誰の目にも留まらなかった。
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