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『あ、終わったみたい』
瑞希に促されて真砂子も給湯室を後にした。
人だかりから離れた椅子に座る瑞希の隣に、ちょこんと座る。眼下では、滝川さんと麻衣が騒いでいて。
「…おー。すっげー、ぜんっぶスカ」
「もー!だから言ったじゃないさー!」
リンさんとナルの二人だけが神妙な顔をしている。
「…やはりな」
「なにが」
「麻衣は潜在的にセンシティブだ」
真砂子と綾子さんの噴き出した音が綺麗に揃った。
「センシティブう?麻衣が!?こまやかな、感受性の強い?」
「センシティブ。サイ能力者。ESP。超能力者」
納得してませんって感じの表情をした綾子さんに分かりやすくナルが先を続けた。
「道理で馬鹿の割りに鋭いと思った。今回、変な勘を発揮したのも偶然じゃないかもしれない」
私の視線の先で、麻衣がムッとしているのが見えて、思わず苦笑した。
「千回のランに対してヒットがゼロ。千回ぐらいやるとほぼ正解率は確立通りになるはずだ。確立は四分の一、二十五パーセントは当たって当然なんだ。これより多くても少なくても普通ではないことになる」
「じゃあなに?麻衣は超能力者ってこと!?」
「そういうことになるかな」
リンさんが外野の騒音を気にも留めず、広げた機材を纏めている。
資料室に戻るのか、それらを持って立ち上がったリンさんと視線が合いそうになって、慌てて下を向く。って、そこで無意識にリンさんを目で追っていた自分に気付き、更に慌てた。え、え。
数秒リンさんから視線を感じて、鼓動が速くなる。チラリと斜め上を見上げ、リンさんがもうこっちを見てないのを確認して、誰にも気付かれないように安堵の息を零した。
「それで今回、見事な第六感を発揮してくれたわけか」
「今回、たまたまってことでしょ。能力者なんだったら、なんで今まで役に立たなかったわけ?」
落ち着いてくると今度は謎のイライラに襲われる。
『(なんで私がこんなにどぎまぎさせられてんのよ)』
「そうかあ?麻衣は鋭いと思ってたぜ、俺は。前回、森下事件で結構役に立ってたからな。ホラ、井戸に落っこちたときにさ」
『(…別のこと考えよう。落ち着くのよ、瑞希)』
「あれあの家の過去を見たんじゃないのか?」
「なんや過去視みたいですね」
麻衣は夢を通して――トランス状態で、霊の類を視る事が出来るみたいで。ジーンは、彼女の意識の元で能力の使い方を教えていると言っていた。
森下家での過去夢に麻衣は意識を同調していた。未熟な内は、同調するのはあまり勧められないんだけど。私が代わりに教えるわけにもいかないから、そうも言ってられないわよね。
力にムラがあるから、ジーンでさえ引っ張られるって笑ってたし…。
「それとガス管が火を噴いたとき、子供の姿を見てるだろ。あの時すぐに礼美ちゃんの部屋に行ったらあの子はちゃんといたてことは――…麻衣が見たのは霊じゃねぇの?」
滝川さんの自信を持った声音に、納得がいってなかった綾子さんを始め真砂子とジョンも押し黙り、沈黙が私達を包み込んだ。
「ぼーさん見てないようで見てるな」と、静寂を突き破ったのは、くすりと笑った所長様で。
珍しく顔面の筋肉を使っている所長に呆然としていた綾子さん達は気にならなかったのか――あー多分、麻衣の超能力の方が衝撃だったと見える。滝川さんだけがおちゃらけた様子で、「まあねん」と返していた。
「……と、いうことはナルちゃんも」
「変だと思っていた」
瑞希を含めた全員の視線が自分に集中し麻衣はうッと怯む。
あの時確かに子供の姿を見たけど、あれが霊だと言われると素直に喜べない。えぇぇあたし幽霊視ちゃってたのー!?……ここで働くようになってから霊を視る機会は増えたのは、とりあえず横においといて。
はッとあることに気付いて、顔を上げる。先輩の栗色の瞳と絡まった。
「幽霊って…瑞希先輩、あの時あそこにいたのは…あ、あああたしが見たのって」
『もちろん霊よ』
「やはりそうか」
『因みに、今だから言うけど…』
驚きから顔が凄いことになってる後輩からナルを見遣り、言葉を濁す。ナルの眼力が増したので、言うわよと手で制した。
『麻衣が井戸の中で見たのは、母親の意識と同調して過去を見た云わば過去視。麻衣が必死に子供を追いかけてた時、あの場に私もいたわ』
「――えっ、…でもあの時いたのは……えっ、えっ。(あたしの妄想…ナルもいたよね……え、)」
『麻衣ほど鮮明に同調しなかったけど』
それなら、優しく笑うナルを見られてないかなと麻衣は胸を撫で下ろした。
夢に出てくるナルは優しく笑う。全体が柔らかい雰囲気で、あんな風にナルも笑えばいいのにと思ってる……だから、あんな夢を見るのかもしれない。妄想が詰まったアレを身近な先輩に見られると恥ずかしい。
麻衣の複雑な思いを見透かしているような栗色が、ふんわりと慈愛の笑みを見せた。
「瑞希ちゃんは…」
「そんな事も出来るのか」
滝川さんの言葉を奪ったナルと、最後まで言えなくて肩を落とす滝川さん。
滝川さんはジョンにそっと肩を叩かれていたて。それを見た綾子さんが仕方ないわねって笑った音がした。
『出来ないわけじゃないけど、あれは麻衣の力に引っ張られただけよ。普段は結界を張るだけしか基本しないの』
言外に結界士である父を知っているならそこらへんの能力も知っているだろうと込めて。出来ないとは言ってない。
空間を操るこの能力は、無知の人に一から説明するのはとても面倒なのだ。空間を操る、それは神すらも超える力で、使う人間により無限だ。自分にあった使い方を探して、結界士として成長していく。この能力の使い方に終着地点はないのだ。
へぇっと頷く滝川さんの眼光が、いつもの鋭さではなくて。
チラリとずらして見えた綾子さんの表情も、苦笑から変わっておらず。能力を持って尚且つ隠している人間を暴くのを喜々としてやる二人が、大人しいのに少し違和感。
とりあえず、結界士だと周知の事実となってしまった中で、もっと詳しく力について追及されなくて良かった、と思うべきか。
嘘を一つ吐けば、どこかしらで綻びが出る。私の念願を叶えるまで、一族の情報は誰にも渡さない。
そうよ、これ以上この人たちに心を開くのは、いつか辛くなる。念願を果たせなくなれば困るのは他でもない私なのよ。
「あたしが先輩を…あたしにそんな力…」
『まだ使い方を知らないだけで、ちゃんと才能はあるのよ。危機的な状況になった時に無意識で力を使ってるみたい』
戸惑う麻衣を宥める瑞希と、穏やかな瑞希の言の葉に頷くナル。
麻衣は、ナルが口を開く動作に気付き、縋るような眼差しを向けていた先輩から所長を視界の中心にいれた。この後ものすごく腹が立つお言葉を頂けるとは露知らず。
「麻衣は害意のあるものに対して異常なほど敏感だな。自己防衛本能、動物と一緒だ。――敵を嗅ぎわける」
瑞希があちゃーっと頬を引き攣らせたのに――誰も気にも留めず。
「あ、なるほどー。動物って、そういう能力があるものねえ。ふーん、ケダモノ並みなんだー」
麻衣に超能力があると知り、終始納得がいかなそうな、面白くなさそうな反応しかしてなかった綾子さんが、ようやく楽しそうに口元を緩めた。気持ちのいい笑みではない、他人を見下した笑みで。
弱肉強食のホンモノが少ないこの世界で、一人でもホンモノが増えた事実がとても面白くなかったのだろう。真砂子も然り。……いや真砂子の場合は麻衣が恋敵だからナルの横を奪われる危機感があって面白くないのかもしれない。ここは知らない振りをしよう。
「つまり、カラダは人間でも、ココロは野生動物なのねー。なるほどー」
どっと笑いが渦巻く。
あのリンさんまでもが――って…あれ?リンさんさっき資料室へ消えなかった?
疑問が脳の片隅を過りつつ、リンさんの口角がわずかにひくひくと痙攣していて。その貴重な顔に意識が奪われた。ナルもまたツボだったのか緩みそうになってる口元を手で隠している。
滝川さんは爆笑して、真砂子とジョンはひっそりと笑っている。
意図せず馬鹿にしたような空気に、意識と目線はリンさんから麻衣に戻るのは自然な流れで。見てしまった彼女の真っ赤な顔に、あっと吐息が洩れた。
「見えない触覚とかが生えたりして!」
「そりゃ虫だろ、虫ー!」
あっはっはっはっ、あーやめてよもーっなんて。滝川さんと綾子さんの腹筋が心配になった頃。
「……ナル……」
麻衣の地を這うような声が、騒がしかった室内に、轟く。キッと吊り上がった目尻に流石のナルも顔色を変えた。
「言うからね」と、続けて放たれた脅しに、私はそろりと真砂子の後ろに移動する。巻き込まれるのは御免だ。麻衣の怒りも分かるもの。でもこの後の展開が読めて、飛び火を避ける為に身を縮めた。
「だれが動物だって?異常だって?え?」
「いや…それは物の例えで」
「んじゃ、あんたはなんなの?スプーンを曲げるのは異常じゃないのか?」
「……なんだって?」そう反応したのは滝川さんか。
視界いっぱいに移る着物の柄をただただ見つめる。着物が揺れなかったから、ナルの正体を知る真砂子はスプーン曲げに驚きはしなかったようだ。当然か。
「触っただけでスプーンを曲げてちぎっちゃうのは異常じゃないわけ?」
てん、てん、てん、と数秒置いて、
「ちょっと!なになに?ソレどーゆーことよ」
くわッと。擬音語が聞こえるのではないかってくらいの動作で綾子さんと滝川さんが身を乗り出すのを端で見た。
「おい、ナル坊!おまえさん……」
寝耳に水だったのは二人だけじゃないだろう。
恐ろしくて資料室から出てきた彼の保護者に目を向けられない。ナルは気付いているのでしょうか。
「ナル!」
『(おおー)』
リンさんらしからぬ大きな声に、真砂子と一緒にびくんと体を揺らした。ナルの肩も上下した。
「そんなことをしたんですか!絶対にやらないと……」
迫るリンさんを手でガードしながら、ナルもまた「麻衣!」大声を出す。
まさか出て行ったリンさんが戻ってきていたなんて思いもしなかった麻衣は、「えっいやあたし怖いし…オホホさよなら」と、すごすごと滝川さんの側まで下がっていた。
私も真砂子の袖を引っ張って、滝川さん達の方に避難。
「ナルいいですか!あなたは」
「わかった。いやわかってる」
うんざりというより参ったといった表情を浮かべるナルを、滝川さんと綾子さんの肩越しに見守る。
斜め前で麻衣がいい気味だとにんまりと笑っていて。ナルが恨めしそうに麻衣を一瞥した。
「わかってません!」
――分かるよ、分かる。
リンさんの説教って、的確に痛いところをついてくるからしんどいんだよね。一度、ミニーの巣穴で経験したからナルの気持ちが痛いほどわかる。でも助けません。
「…霊現象より珍しー現象だな、おい」
滝川さんの小声に……あ、滝川さんもリンさんの怒りを買いたくないらしい。とても小さな声音だった。
綾子さんと麻衣が、「おもしろいけど、」とか、「あ、ビデオ撮っときゃ良かった」とかこそこそ喋っていて。またも此方を振り返ったナルの黒目とバチリと音を立てて合わさった。ゲッ。
「瑞希」
やめろ鬼をこちらに向けるな。
そろそろと隅で固まる彼等の背中を壁にして、ナルとリンさんを視界から消した。
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