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嵐の前の静けさ――…とは、後にも先にも“あの時”程ぴったりな出来事を僕は知らない。知らなくていい、もうあんな経験はしたくない。

まだ小学生だった瑞希様には、行き過ぎた衝撃だったろう。

一族のみが住んでいるここは森に囲まれた場所で。それはそれは見事な紅葉で、赤や黄色一色に染まった時期。


「……、……ん、?」


僕――山田明良は、だだっ広い道場に当主である山田直希といた。


「直希様?」


分家に生まれ実力もなかった僕は、いまいち自信の持てない青春時代を送り、直希様から人には向き不向きがあるのだと教えていただいてから彼の秘書になった。

主に身の回りのお世話、瑞希様を引き取られてからは瑞希様の御守りも。

直希様に娘がいたのは、彼女がここへ来る前より一族の間では有名な話だった。後継者となるのだから当然と言えば当然で。

直希様と瑞希様が一緒に暮らしてなかったのは、彼女の母親――つまり奥方様が、結界士を拒絶した為娘を連れて出て行ったからだ。

いわゆる出来ちゃった婚というやつで、人の身に余るこの力を結婚前に御話になられてなかったようで。目に見に水な結界術を受け止めきれなかった彼女の行動は早かった。僕が全てを知ったのも奥方様が出て行ってから。


「如何されました」


離れ離れになってからも、直希様は瑞希様を気にかけていて。それはもちろん僕をはじめとした一族みんなもそうだったけど。

だから、知っていたんだ。瑞希様が奥方様に虐待を受けているって――…僕と直希様は早期から知っていた。

瑞希様を向かい入れる準備とやらがあり、すぐには助け出せなく二人で歯がゆい思いをしたものだ。奥方…あんな人に様をつけるのも腹立たしい。

陰ながらに見守っていたからか瑞希様は目に入れても痛くなくて。僕も娘が出来たように可愛く思えた。きっと全員がそうだったに違いない。彼女をここへ連れてくることに異議を唱える人は誰一人としていなかった。


「――しっ、」

「……」


突然立ち上がった直希様。

口に指を当て静かにしろと言われ、おとなしく黙る。見上げた先で彼の顔はみるみる険しくなっていく。


「結界が――…、っ」

「…結界、って…」


道場内には僕を含め二人だけしかいなく、只ならぬ様子の当主を見、気配を探ってみたがこれといって異変は見つからず。ここでも彼と実力の差があるのかと少し落ち込み、何があったのかと眉を寄せた。

直希様は、とても優秀な方。頭も良く、物腰柔らかで、男女問わず誰からも好かれる御方。

実力も備わっているのにそれを鼻にかけず日々修行して、結界士としての鏡で。プライベートでは子供っぽく、憎めない性格をしてらして。

そう。今日も今日とて、直希様の日課――集中力を高める為、座禅をくんでいたところだった。

僕は、道場の真ん中で集中する彼の背中を入口付近に座り御付き合いするのが日課になっていたから、今日も何事もなく終わるのだろうと思っていた。……決まった日常が音を立てて崩れ去る瞬間までは。


「結界が一部壊された」

「一部?…一部だけでしたら私が確認して参りま…、」

「それはならん」


お顔と同じ硬い声音で、「時期に全てが壊される」と、信じられない予想を僕に突き付けた。

事の重大さを、嫌な気配を感じ取れなくとも当主の貌から読み取れ、ひやりと心臓が縮んだ。どくどくどくっと自分の鼓動の音が耳の裏でしている。訪れる未来を予想したくない自分が確かにいた。


「っ…そ、れでは…緊急事態に備えた配置に就きます」

「あぁ。その前に情報部へ行ってくれ。戦えない女性や御老人を安全な場所へ」


指示を与えながら彼は沢山の式を飛ばしていた。恐らく緊急事態に備えた各部隊の隊長に言付け。

言われた通りにここからそう遠くない情報部への建物へ向かおうとしたら、


「避難は最後まで見届けなくていい。指示した後瑞希を探して…探して……ここから逃がしてくれ」


視線が合わないまま、当主は父親の背中で僕に頼んだ。


「………はい」


と、震える声で頷くのが精一杯だった――…。

最期になるかもしれない黒の装束に身を包んだ直希様を瞼に焼き付けて、振り返らずに彼の元から走り去った。願わくは戻ってくるまで生きていて欲しい、と。





ぐるりと目まぐるしく事態は転がり、


『っぁ、あきらさん?明良さんッ!』


御父上に似て修行を怠らない瑞希様を見つけるのは簡単だった。

本人は気付かれてないと思っているようだが、少なくとも僕はいつも隠れて勉強して帰宅しているのだと気付いていた。もちろん何処に籠っているのかも。

裏山へ探しに行こうと身を翻し、然し到着する前の道で、瑞希様と鉢合わせた。

いつ敵に見つかるか分からない場所。出来れば奥まった山中で鉢合わせたかった。……が、手負いの状態の僕ではどこだろうと守れなかったろう。


『怪我してるっ!ち、血が!』

「瑞希様、早くお逃げなさい」


数えきれない妖怪や悪霊と応戦しつつ瑞希様を探していたから。余計に傷口から血が流れ。最早、痛みなど感じなかった。

聞き分けのない瑞希様の腕を強く掴み、口内に広がる鉄の味などに気を払う余裕はなく――構わず彼女に逃げろと伝えた。足手まといだと、傷つけると知りながら敢えて厳しく言った。一秒でも早く遠くへ逃げてほしかった。


『っでも』



駄々を捏ねる瑞希様、迫る敵、駆け付けた直希様――…。



激しい戦闘であちらこちらに火の手が回り、むき出しの地面には敵か味方かも分からない……塊と、血の海。どこを見ても、赤、紅、朱、アカ――…。

むせ返る生臭いの匂い、耳を劈く断末魔。肌を突き刺す熱風。

気が狂いそうな中、最後に見たのは―――直希様だった、ような気がする。



 □■□■□■□



『んー…一つ目の質問の答えはイエスよ。苗字が違ってるけど私が父の後を受け継いで当主になった』


ナルの疑問は当然私も再会したばかりの明良さんに投げかけた。病室で逢った後、そのまま自宅へ招きどこで何をしていたのかお互いに近況報告しあったのだ。


『……まあ、父の死が明らかになったのはご存知の通り、数日前だからね。それまでは当主の前に仮がついていた、かな』


ナルの欲しい答えは持ち合わせているよ、でも、素直に教えられない。なんでかって?まあいろいろあるのよ。順を追って整理しよう。



「瑞希様が直希様に屋敷の方へとお逃げになった後、戻られた直希様から最期の御命令を頂戴したのです」

『命令って。私が訊いても?』

「はい差し支えないですよ。――私に下された命令は、後始末でした。不自然にならないよう火事で命を落としたように見せるために」

『…ぁ、そうか……顧客のほとんどが社会的権力を持ってるから、そうしないと厄介に』

「えぇ。残された私と瑞希様の今後を考えた結果だったのでしょう。直希様はお優しい御方でしたから」

『確かに…襲って来た黒幕には私達が全滅したの思わせていた方が自然且つ動きやすい。お父さんの判断に感謝しなくちゃ、…ね』



一族が私と明良さんしか生き残ってない事実は、今はまだナルに、リンさんにも言えない。


『二つ目の質問は、そうね。明良さんが私を探さなかったのは、父の事があって気が動転して記憶が曖昧だったのと、入れ違いで私が今の家へ引き取られたから…かしら』


一族を根絶やしにした奴等を炙り出すまでは、絶対に明るみに出してはならない情報だ。


「瑞希様は…」


本当は、明良さんは私が生きているとは思ってなかった――とナルには話せないので。一番答えに近い言葉を選んだ。


「……復讐をお望みなのですね」


哀しみや憐み、同情が織り交ぜられた明良さんの貌が頭から離れない。

客観的に言ってたけど。明良さんのホントに開けてる?って疑いたくなる細い両目にも、私を肯定する…つまり復讐の小さな炎が宿っていた。父を救えなかった悔しさもきっとそこに。


――身内にはとことん甘いのが山田家の特徴なのかしら。

故に排他的で、他者を毛嫌いしている節がある。


『(まあ…人のこと言えないけども)』

「産砂先生とは?」

『知り合った経緯は、そーいう知識を身に着けようとしている人を探してたからだって』


何故?と物語っているナルのため先を続けた。


『知っての通り、我が一族は秘密主義だからねー。何年も連絡を取ってなかった明良さんが帰ってくるのは困難なわけ。結果、明良さんは、“外”で私たち一族と接触できないかと考えたみたい』


さもあの場所がまだあるかのように喋る。実際は、すべて燃え、あの土地に昔の面影はない。


「電話や住所なり、辿る手立てはいくらだってあるじゃないか」

『あそこには結界が張ってあるの。電話は…あるにはあるけど、ほら明良さんがはぐれたときってケータイなかった時代だから。途中で番号忘れたんだってさ』

「………ふぅん」


――いくらか引っかかる箇所があるんだろうなー。

私も自分で無理やり感があるのは認める。しかし、だ。これ以外に誤魔化せそうないい手が思い浮かばない。

嘘を重ねるのは心苦しい。一族の無念を晴らす為、唯一の生き残りの明良さんを想って、揺れそうになる心を奮い立たせた。しれっと焦りや罪悪感を表に出さないようにと一考すると、どきどきと心臓の音が速くなる。


『悪く言えば、あの場所は隔離されてるのよ。人の目に触れられないようにね』

「血で受け継がれる力があるんだ。他者を避けて暮らすようになったのも無理はない」


「理解した」そう澄まして紅茶を飲んでいる所長をチラ見し、人知れず安堵する。

隠れて小さく息を吐いたのを見計らって、「――で?」と、先を促す質問をぶつけられ、緩んだ緊張が再び走った。

ひやりとするから、淡々とそれも無表情で私を見ないでほしい。やましいことがある私が悪いんだけどね!


『へ?』

「山田明良は一族の元へ帰るのか」

『…明良さんに興味があるの?プライベートまで訊くなんて珍しい』

「いや僕が知りたいんじゃない」


じゃあ誰が――…途中まで呟いてリンさんの片目とバチッと合った。すぐに逸らされた。効果音がつくならブンッと素早い動きで、逸らされた。え、何ですか。

瑞希と同じタイミングでリンさんを一瞥していたナルが、わざとらしくため息をつき、


「なんだ、お前が一番知りたい事だろうと代わりに聞いてやったのに。僕の見当違いだったかな」


やれやれと入れてから暫く立ち生温くなった琥珀色の飲み物を一口飲んだ。

視界の端でリンの手の平がぴくりと反応している。――ふっ動揺しているらしい。

自分よりも大人で感情の制御が上手く、喜怒哀楽の起伏が乏しい優秀なこの男は、瑞希と知り合ってからたまに人間らしい表情をする。男の顔をされると反応に困るがそれ以外は見ていて実に楽しい。


『リンさんが?明良さんの何を知りたいんです?私に答えられる範囲であればお答えしますよ、込み入った話であれば本人を呼びますけど……どうします?』

「いやいい。山田明良について尋ねてはいるが関係しているのは瑞希だから」


君に訊いてないんだけど。と、切り返そうとしてはたりと気付く。


『?私?』

「リン」

「私は別に…」

「――リン」


名前を呼んだだけなのに。二度目のナルの呼び声には、威圧感が込められていた。怖い。こんな上司嫌だ。あ、私の上司もナルだった。いやいや四六時中ナルと一緒にいるらしいリンさんよりはマシか。

こんな我が道を進むわがまま男に付き合っていたら、いくら仕事ができるリンさんでもストレスが溜まるって。


「はぁ」

「いちいちため息を吐かないでくれるか」

『(あ。観念したっぽい)』

「瑞希さんと再会したのですから、彼は無事に家へ帰られるのでしょう?」

『家って…一族の?』

「えぇ」

『東京に家があるから帰らないって……』


渋りながらも音にした様子のリンさんを眺めつつ思考に耽る。


――そうだったッ!

山田家への道しるべが欲しいから産砂先生に近づいたと、ほんの数分前に言ったじゃんッ!やばっ嘘だったってバレる?!

風の噂で、“山田”の名を使った誰かが活動している――…と知った明良さんは、一族を滅亡へと追いやった輩が絡んでいるに違いないと踏んで、呪いに興味を持っていた彼女に近づいたのが真実。

心の中の私があわあわと無意味に焦る。脳内が急回転した。


『す、住み慣れてしまった東京に…このまま住むって。ほら私も東京にいるし』

「だそうだ。良かったな、リン。男が瑞希の家に転がり込む展開にならなくて安心しただろう」

「っ、…女性の一人暮らしに大人の彼が上がりこむのを感心しないなと気になっただけです!深い意味はありません」

「ふん。リンらしくなく早口で喋るじゃないか」

「ナルこそ。突っ掛かるのはらしくないですね」


バチッと音が鳴るくらいお互いににらみ合ってる彼等。

ふむ、どうやら誤魔化せたらしい。よかった。せっかく流れた話を蒸し返すのは自分の首を絞める行為だが、二人は勘違いをしている。もしくは忘れてる?


『私、一人暮らしではないですよ』

「えっ!」

『リンさんびっくりしすぎです』

「瑞希は義父とは暮らしてなかったと記憶してるが。神社ではなくマンションに住んでるだろ」


嘘を吐かないでくれるかなと、人を馬鹿にするような眼差しをしたナルに向かって私も馬鹿にしたような眼差しをプレゼント。


『ジェットとヴァイスがいるから正確には三人暮らし?(知らないでしょう…あなたのお兄様もいるのよ!)』

「………」

「………あぁそうか」

「彼は視える人、でしたね…」

『?』


小首をかしげ空中に大量の疑問符を飛ばす瑞希の反応を横目に、ナルとリンは言い合っていたくせに仲良く溜息を奏でた。

『人の顔見て溜息を吐くなんてやめてくんないっ』とぷりぷり目尻を吊り上げる瑞希。ナルはほんの少しだけリンに同情心を抱いた。






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