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『――誘拐、ですか』
閑話【歩寄のち露呈】
今、私の目は外の寒さに負けない冷気を放っていると思う。
だというのに…目の前に優雅に座って紅茶に口をつけている男――オリヴァー・デイヴィスは、私の反応なんて気にしてないといった様子で表情をまったく変えない。
ここまで来るとこの男の我が道を行く姿は、変に感心してしまい、許してしまいそうになるから厄介だ。奴のペースに呑まれたら終わりだ。ずるずると明け渡したくない情報まで引き渡してしまいそう。
――くっ。これがこの男の手なのねっ!
「誘拐?瑞希、自ら僕達について来たのをもう忘れたのか。誘拐という言い方は適切じゃない」
『そんなことはどうだっていいでしょう!私が言いたいのはこの状況よ!』
「それは瑞希が一番知っていそうなものだがな」
嘲笑とも取れる笑みを浮かべるナルに、言い返せない。
ナルの隣に当たり前のように座っている片目の長身の男が、すかさず、「ナルがすみません」とか言ってくれたけど。問題解決にはならない。すみませんと謝るくらいなら、そもそもここへ連れて来ないでほしかったわ。
『尋問、ですか』
「その言い方も適切じゃない」
わざとらしく溜息を吐く人物から豪華なインテリアで埋め尽くされている室内をぐるりと見回す。
ここはナルとリンさんが拠点にしているホテル…らしい。有名なホテルってだけで一泊するのも高いのに、最上階を貸し切っているなんて。どんだけ高給取りなのでしょう。
こんな広くて豪華な一室は私も度々利用するが、山田一族への仕事の時だけだ。しかも自腹ではない。費用は依頼人持ちである。そこ大事よね。
『……』
「……」
『私からは何も話すことなんてないわよ』
ナルと、リンさんの二人とこうして顔を合わせるのは――…実は、明良さんと再会して以来だ。まあだからナルが訊きたい事柄は察している。誤魔化しがきかないのも理解している。分かった上で、こちらからは何も明かさないと態度で示した。
それでも顔色一つ変えないナルを見た私は、気づかれないようにこくりと生唾を飲む。視界の端では、リンさんが私とナルを交互に視線を彷徨わせていた。
現場を乱した自覚はあるから、結界士なのだと、それ以上は教えないからと――改めて説明と牽制をするために、バイトの時間よりも早くにナルに会うべく早朝に家を出た。そう。エントランスから一歩外へ出れば見覚えのあるワゴン車。ソレに目を止めた瞬間全てを悟って。ついでに背筋に悪寒が走った。
肌寒い空の下で黒く輝く運転席の扉から姿を見せたのは、やはりリンさんで。
思いっきり無視して家に戻ろうとした背中に無情にも「瑞希」と所長様の御声がかかり、一秒にも満たない現実逃避は終わったのである。
いや、説明と牽制するつもりだったんじゃないの?と聞かれるとそうだけどとしか言えないけどね。自ら行くのと、不意を突かれたお迎えでは、心構えが違うと思うの。ぶつぶつ心の中で言い訳をしてみる。
事態は変わらなかった。目の前に広がる光景は変わらなかった。当たり前か、迎えに来たリンさんと助手席に乗っていたナルとのこのこここへ来てしまったのだから。
「リン、瑞希が結界士だと知っていたな」
リンさんと視線が絡む。彼が口を開く前に、ナルが再度音を放った。
「僕だけが蚊帳の外だ」
なんと返せばいのやら…そう思ったのは私だけではなかったようで。リンさんとまたも視線が合った。
「いや、いい。恨み言のためにここへ連れて来たわけじゃない」
――なら何のために?
なるべく穏便に済ませようとしているナルを責める態度はダメだと、唇に力を入れた。じっとナルの動向を見つめる。
『(根に持ってるっ!除け者にされたの根に持ってるっ!)』
「僕の秘密を知りたくないか」
『、は…?え、なんと?』
「瑞希は僕が隠したがっていたことを無理に訊き出さなかった」
『まぁ…人には隠したいことの一つや二つあるでしょう』
「初めて会った調査でもそう言っていた」
『そうだったっけ。そこまで覚えてない』
初対面の頃は今よりももっとナルと距離を取っていたし、敵対心を持っていたから、自分で引いた境界線を飛び越えるような真似はしなかったもの。
ナルが外国人だってことと何かしら隠しているのは気付いていたが、私も突かれたくない物を抱えていたので、踏み込まなかった――のは覚えてるんだけど。自分がナルにどんな言葉で距離を置いたのか詳しく思い出せない。
――だってその時は、こんな関係になるとは思わなかったから…。
覚えてなくても、仕方ないわよね。記憶力がないのではないのだ!
「瑞希にも隠し事があった。それを僕達に知られたくなかった。だから僕に追及しなかった」
淡々と喋る低すぎずかと言って高すぎないナルの声が耳に届いて。ひたすら相槌を打つ。
「霊視の力が露見したのは偶然だったが…いや、あの時はつい知りたくなってしまったが……それ以後、お互い秘密を抱えているのを見て見ぬふりをするのが暗黙の了解となっていた」
『…うん』
「しかし…、」そうナルは言いにくそうに言葉を切った。
その先は考えなくても想像に容易くて。大丈夫、そう意味を込めて目で促した。
というかナルらしくないわね。ずかずか物を言うのが常なのに。そのために私をここまで連れてきたんでしょうに。案外不器用というか…なんというか……私は心の中で笑みを零す。
最初は腹の中を探り合う関係だったのに、絶対に他人に触れさせなかった内側について尋ねる雰囲気に、緊張もなく心穏やかにいられるのは、私が変わったのか。それだけナルを信用に値すると思っているのか。最善の言葉を選んでいるナルを盗み見て、きっとどちらも当てはまるのだろうと、素直に思う。
他人と距離を置いていたのに、いつの間にか。自分で思っていたよりも近くなっている距離に、心地いいと感じている自分がいるのをもう誤魔化せない。けれど――…。
「先日の事件で、瑞希の正体と…父親の事も皆にバレてしまった」
『うん』
「山田明良の登場も予想外だったろう」
人間が嫌いなのはこの先も変わらないし、私がしたい事は変わらない。
復讐、と言えば後ろ向きで薄暗いイメージで。一族の想いを晴らす為に、と言えば聞こえがいい。あの夜からずっと――自分の心は暗闇の中から一歩も進めてない。
「フェアじゃないと思ったんだ」
ん?
『もしかしてナルの秘密を教えてくれようとしてる?』
「あぁ。僕だけが知るのはフェアじゃない、瑞希もそう思わないか」
歪んでいるようで存外真っすぐなナル。
彼にもリンさんにも教えなければならない大切な事実をまだ内緒にしているのに。私の胸中を知らないナルは、その黒曜石のような瞳をこちらに向けていて。
どんな表情を作ればいいのかわからず、曖昧に微笑んだら、
「信頼関係を築くのに隠し事は野暮だろう?」
『どの口が言ってんの』
耳を疑う口舌に、シリアス風味だった脳内が吹き飛び思わずツッコミを入れてしまって。
「僕の名前は、渋谷一也じゃない」
突然の告白に頭が追い付かなかった。数秒遅れて我に返る。
「オリヴァー・デイヴィスだ」
『知ってるけど』とは、空気を読んで言わなかったが。自然とリンさんの片目とかち合った。うん。リンさんは私がナルの正体に気付いたと知っているから。
知ってたと言わない私の意図を汲んでリンさんは、ナルに目線を戻した。吊られて私もナルを見遣る。
そうかだから“ナル”呼びを許したのね、とか。超心理学者の!とか。返しはいろいろあったのに気の利いた返事をしてあげれなくて。
出たのはへぇなんて間抜けな返答。ナルは、器用に片眉を上げてみせた。
『なんでまたナルも偽名を名乗ってたの?私は、人に山田一族だって知られたくなかったからだけど。ナルも?人に奇異の眼で見られるのが嫌だったの?』
「好機の眼で見られたくなかった。それと日本のマスコミに嗅ぎつかれるのを防ぐため偽名を使った」
日本のマスコミが超能力に否定的になりがちなのは、前回の調査で学んだ。
他人と異なる生き物を排除したがるのが日本人…いや人間の性で。日本は個性を殺してしまう節がある為(全員がとは言わないよ)、ナルのような若い年でPKも持って〜なんて一人くらいは否定的な人間が出てくる。
そうなってしまえば血祭で。ナルがいくら説明しても世間は白い眼を向けるだろう。産砂先生が経験したときのように。
「別の理由もある。……人を探している、だから余計にマスコミには知られたくなかった」
『あー…なるほど』
――もしかしなくてもジーンのコト言ってるよね。
ジーンに頼まれた手前、ナルにジーンが実は生きていて私の家にいるとは言えなくて。
でもナルはフェアじゃないからと正体を打ち明けてくれたのに、私はその信頼に真っ直ぐ返せなくて、罪悪感を抱き押し黙る。
ナルが喋り終えて、私が相槌を返せば、暫し沈黙がゴミ一つ落ちてない広い室内を支配した。うッ、二人分の視線を感じる。
「誰を探しているのか聞かないのか」
しびれを切らしたナルが静寂を払った。
『…今はいい。私もまだ隠してることあるから』
「一族関係か」
断定的な言い方。敢えて否定も肯定もしない。ナルが放ったそれもまた正解であるから。
「質問しても?」
『いいよ。喋れる範囲でならね』
「父親の名前が知りたい。もしかしたら僕の知っている人かもしれない」
『以前連絡を取れないって言ってた人でしょ?』
ナルの視線の先で瑞希が栗色の瞳をそっと伏せた。
下を向いたまつげが哀しみを物語っている。彼女の隠された瞳から哀しいと感じるのは、予め彼女の父親がもうこの世にいないと他ならない僕が知っているからだろうか。父親の死を瑞希は予想していみたいだったし。
『山田直希。イギリスでナルに逢ったの私の父親だよ』
彼女にしては感情が込められてない、抑揚のない静穏に、思考の渦から浮上した。
ナルの黒色と瑞希の栗色が交差する。上げられた彼女の目から、哀しみは消されていた。なるほど感情を殺すのが上手い。
『父が嬉しそうに話してた』
「僕のことを?」
こくりと頷く。
『友達に凄い力を持った子供がいるって』
「あの頃は力の制御がなってなくて…初対面で直希に見せてしまった。拒絶されると思ったのに直希は受け止めてくれて一人の子供だと認めてくれたんだ、嬉しくて堪らなかったよ」
『私は信じられなかったけど』
珍しく饒舌なナルに誘われて瑞希の口も滑らかになる。リンはソファ深くに身を沈め、二人の話をひっそり見守る。
瑞希の苗字については彼女本人から聞いていたけれど、父親や明良という名の男性については何も知らなかった為、気にはなっていたので。ナルがこの場に同席を許してくれて感謝だ。
ナルが不貞腐れたように、自分だけが知らされてないのはとても面白くない。特に彼女については。
リンが心の中でつらつら一考している間にも、二人はしんみりと会話を続けていて。
『一族の他にこーんな化け物じみた力を持った子供なんていないって、父を否定したっけ』
ナルとリンの両目に自嘲気味に笑う瑞希が映り込んだ。
彼女の告白は、力は異なるが人とは違う物を持っているナルとリンにも痛いほど察せられた。
『お父さん…悲しそうな顔してた』
ふっと無理に笑う彼女が痛々しい。
『ナルとは子供の頃に逢いたかったよ。そしたら……変われたかもしれない』
負けん気の強く、人よりも傷つきやすい性格の持ち主だから見てられなくて。いつもの言い合いする元気を持って欲しくて。ナルは自分でも思うがらしくもなく口早に、
「今出逢えてる。だから思い出したくない過去は振り返らなくていい」
と、できるだけやんわりと言った。
チラリと視線を向ければ、瑞希は『……そうだね』と、いつもの笑みに戻ってくれて。ナルも傾聴していたリンもほっと安堵の息を小さく吐いた。
来客用にとリンが買った紅茶にようやく口にした彼女を一瞥し、聞くなら今しかないかと瑞希の様子に止めておくべきか悩んでいたが――…結局訊くことに決め、自分の知的探究心を優先した。
「山田明良が言っていた通りなら、直希は依頼中に命を落としたのか?」
「――ナル」
「直希は山田一族の当主だと本人も僕の両親も言っていた。彼が亡くなった今、一族を率いているのは君か?」
立て続けに、常識人ならばおそらく直接本人に尋ねたりはしないだろう問いを、顔色一つ変えずに発したナルと、私を気遣って上司に、「ナル!」っと声を荒げて諫めているリンさんのやり取りに、沈みそうだった気持ちが簡単に起き上がった。
――そうそうこうでなくちゃナルらしくない。
少し前の私なら土足で踏みにじるとも取れる質問にムッと腹を立てて、毒をかけていたに違いない。ホント、私変わったのかもしれない。何故だか笑いがこみ上げた。
『知りたいのはそれだけ?』
「後二つ。山田明良は何故この間まで瑞希の前へ姿を現さなかったのか。探そうと思えば簡単に探せるだろう?最後の一つは、山田明良はどうやって産砂恵と知り合いどういった経緯で呪祖を教えたのか。――答えられるか」
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