6-4 [27/28]
ぼーさんが開けた入口から姿を見せたのは、物腰の柔らかい中年の男性だった。
麻衣は、産砂先生と彼の接点を容姿から見つけられそうになくて、小首を傾げる。答えを貰えるかなとナルを見たら、ナルは、じっと彼を見ていた。
現われた彼は、薄茶色の髪をふわりと揺らして、「おやおや、」と、やんわりとした声を出した。
「大人数ですねえ」
彼に敵意はなさそうなので、歓迎の空気じゃないぼーさん達には悪いが麻衣はほっと安心の息を零した。これ以上、頭の追いつかない展開にならなくて良かった。
「貴方が、彼女に厭魅を教えたのですか」
「え、えぇ。産砂さんが興味を持っていたのでお話をしましたが……、」
ナルの迷惑だと言っているような言葉に、彼は細い瞳を更に細めて、頷いたではないか。やっぱり彼が産砂先生に余計な事を……。
――って…あれ?
途中で言葉を切ったかと思えば、彼は、産砂先生と泣きじゃくる笠井さんを見て、顔を険しくさせた。
「まさか…実際に?」
「ええ。そうです、彼女は学校で沢山の人に呪いをかけました。僕達も被害者です」
「…な、んて…事をっ」
キッと目尻を吊り上げて、産砂先生を見下ろした彼を見て、ナルもぼーさんも呪いを推奨していたわけではないのかと互いに目配せした。
ナルは、もしも彼が厭魅を勧めたのであれば――産砂先生と同じように苦言を呈するつもりだったのだが。この様子だと、少しだけ注意をするだけで済みそうだと思考した。
「あれほどしてはいけないと!言ったでしょうッ。――呪いという行為は…、」
「でも、お蔭で…私が嘘つきじゃないと証明する事が出来ましたわ」
顔を険しくさせた中年の男性とは対照的に、産砂先生は「ありがとう」と、微笑んだ。
麻衣はもう先生をいい人だとは思えなくて、正直関わりたくないと思ってしまった。用が済んだのなら、男を連れて帰って欲しい…あ、通院させるんだっけ。
「貴方のせいだとは言いません。ですが、彼女が厭魅を行い沢山の人を苦しめたのは事実です。死人が出なかっただけが救いです」
「…すみません」
「いいえ。貴方のせいではありませんから。彼女にはカウンセラーの人をつけようと思います」
「そうですね、それがいいと思います。この度は――、」
彼と産砂先生との関係性はナルも見出せなかったが――二人のやり取りを見ていて、彼はまるで保護者のようだったから。
自分とリンのような関係に見えたので、カウンセリングまで教えた。
予想通り、彼はその言葉を聞いて、病室にいた面々に頭を下げて、謝罪をしてくれて――…けど、中途半端に言葉を切って、目を見開かせた彼に、ナルは怪訝な顔をした。
麻衣も眉を寄せた。良い雰囲気で終わりそうだったのに。
この時、誰よりも早く“彼女”の異変に気付いていたのは、リンだけだった。
「……ジェット?」
ぽつりと出た名前に、綾子とぼーさんは息を呑んで。ジョンと真砂子は、はッと顔色を変えた。
ナルと麻衣は、聞き覚えが有り過ぎるその名の主――瑞希に視線を向けて、ようやく彼等は異変に気付いた。
《……》
「ジェットかい?君がここにいるって事は……、」
リンの横に座っていた瑞希は、目を見開かせてぴくりとも動かない。瑞希には珍しい表情だった。
真砂子の眼には、瑞希を男性から庇うように、瑞希の斜め前に立ちはだかるジェットが映り込んでいて。
只事ではない様子に、真砂子は中年の男性を警戒した。瑞希を大切にしているジェットがあんな態度を取るくらいですから…瑞希に害がある人物。
「っあぁ…」
ナルの視線の先で、細い眼の持ち主である彼が極限まで開眼して、ゆっくり真砂子、麻衣、綾子、と視線を巡らして――同じく様子の可笑しい瑞希に視線が止まった。
瑞希の式神である黒狼の名前を口にして、彼が怒っていないところを見ると、瑞希と中年の男性は知り合いと見た。
この反応は、親しくはないのか?否、なら黒狼が黙っていないはず。
彼が式神の名前を呟くまで、ここにいるとは知らなかった。そう彼は、“視える人”だ。ナルと同じ考察をぼーさんもしていた。ぼーさんの顔は険しい。
□■□■□■□
「っあぁ…」
記憶に残る一番最後の彼よりも、大分老けてはいたが、彼が誰なのかすぐに判った。
最後に見た彼と変わらない薄目を大きく見開かせて、言葉にならない様子の現在の彼を――…、私はジェットの背中越しに凝視した。
「っ瑞希さまッ」
泣きそうな声音で、震えている彼を見て、頭の中にいた冷静な自分が彼は白だと判断。
彼とこうして会うのは、八年振りの事で。突然の再会に頭が追いつかないのは、私も同じ。
名前を紡がれて、ようやく止めていた息を吐き出した。と、ここで気付いた。全員の視線が私と彼に集まっている。でもそんな事はもうどうでも良かった。彼は生きているのだから。
『久しぶりっです…明良さんッ』
《おい、待て。なんでアイツが生きてる?アイツが疑うべき存在なんじゃねェのか!?》
「っ」
駆け寄って、お互いの無事を確認したくて。近くで彼の鼓動を感じたくて、動いた私の腕をジェットが強く掴んで止めた。ムッと眉間に皺が寄る。
『明良さんは違う、違うわ』
「瑞希さま…」
私に名前を呼ばれて、嬉しそうに顔を綻ばせた明良さんが、
《だが、》
私達――山田一族を破滅へと追い遣った人物だとは思えない。
明良さんは分家の出だけれど、…言葉は悪いが落ちこぼれだと言われていたくらい力が弱くて、当主だった父の秘書をしてくれていたんだ。それも進んで。
一族の人達を憎んでいたのだとも考えられるが違うと思う。これは勘だ。
『明良さん』
直立不動のままの明良さんに近寄って。
近くまで来た私におそるおそる手を差し出した彼の両手を、上から包み込んだ。とくんと感じる温かさに、胸がじんわりとした。
――私の他に生き残りがいた。
私は独りじゃなかった、辛くても生きていて良かった。
「っ瑞希さま…瑞希様っ良くぞご無事で!」
嗚咽を零し、年甲斐もなく涙をぽおぽろと流す明良さんに、瑞希の栗色の瞳にも大粒の涙が浮かんだ。
二人は、外野が気にならないくらい――自分達の世界に入っていた。会えるとは思わなかった人に会えたから、周りなど気にならなかった。
『明良さんも!……生きてるとは思わなかった』
あの日、あの悲鳴だけしか聞こえない中で、明良さんは戦ってくれていた。
私は見届けるのさえ許されなくて。
私よりもずっと地獄を見た明良さんを疑うなんて、私には出来ない。あの中で血を流して戦っていた明良さんは、白だと思う。
「私は…旦那様の御命令で、……あの日、私は旦那様から最後の御命令を頂いておりました」
『……最後?じゃあ、やっぱりお父さんは……』
「残念ですが」
明良さんは、言い辛そうに私から視線を床へ落として。
たったそれだけの言葉で、私は絶望という名の崖から突き落とされた。
「申し訳御座いませんでしたッ」
光が消えた栗色の瞳を間近で見ていた明良は、ぐッと下唇を噛んで――…自分の手を包み込んでいた彼女の手を外して、勢いよく土下座した。視界に、彼女が履いている焦げ茶のブーツが映り込む。
ただの知り合いと鉢合わせしただけだろうと見守っていた面々は、次第に重くなる空気に、息を呑んで見つめた。麻衣なんて頭がおいつかなかった。
会話の節々からいろんな想像をして。
事情は分からないが、瑞希に明良と呼ばれた彼は、瑞希の家で働いていて、瑞希に“様”を付けて敬っている。で、瑞希の父親は既に亡くなっている?と、聞いていた全員は、難しい顔で考察した。
「分家と云えど山田でありながらまともに戦えず――…」
彼の登場まで注目を浴びていた産砂先生も、泣いていた笠井さんも慰めていた高橋さんも、固唾を呑んで見守っていた。
三人は、ジェットの存在も知らず、視えるわけでもない為、ナル達よりも事情が呑み込めなかった。
「山田だってッ!?」
と、素っ頓狂な声を出した滝川さんに、瑞希はここが病室だったと思い出した。
でももう知られても構わない。明良さんを立たせる事しか頭になくて、他はどうでも良くなっていたから。
明良と言う名の男性は、山田一族の分家で、瑞希の家に仕えていて――…ってじゃあ瑞希の家は、本家本元ッ!?ぼーさんの脳内は、衝撃と興奮と畏怖で大変な事になっていた。
ナルは冷静に、瑞希は陰陽師ではなくて結界師だったのかと、口元に手を添えて、聴こえた話を脳内でまとめる。
「貴方の御父上を死なせてしまったッ」
『明良さん、』
「ぇ、」と零した、麻衣と綾子さんと真砂子の声が同時に瑞希の鼓膜を震わした。
「申し訳御座いませんでした!私は、私はっ」
『明良さんっ、もういいの!もういいから…』
「ですが私が…私に、」
『明良さんが必死に戦ったって知ってるから、明良さんのせいじゃないから!ねえ顔を上げてくれない?――もう気にしないで』
――十分苦しんだのでしょう?明良さんのせいじゃないのに。
悪いのは、全てアレを仕向けた人間――呪者達だ。
こうべを垂れる明良さんを見て、考えを改めたジェットが、明良さんを優しく立たせてくれた。彼は成すがままになっている。明良さんのせいじゃないと、もう一度言う。
「嬢ちゃんは…」
「瑞希は結界師なのか」
滝川さんとナルの言葉に、明良さんから、ぐるりと視線を周りに巡らせた。
明良という名の男に笑みを見せていた瑞希が、その質問にふっと笑みを消したのを見た真砂子は、ああ…これが超えられない壁なのだと漠然と感じて。
瑞希は親友である真砂子にも、一族が実は自分しかいないのを話していなかった。
彼女の心に闇があるのを真砂子は誰よりも知っていたから――厳しい眼差しをしているナル達を横目に、そっと瞼を伏せたのだった。
そこで初めて明良は、瑞希が彼等に正体を明かしてなかったのだと知り、しまったと顔を顰めた。それをナルは一瞥し、瑞希を見遣る。
名字が違うじゃないかって麻衣は言いそうになったけれど、直ぐに気付く。
父親が亡くなっているなら、名字が変わっていても何らおかしくはない。
『えぇ。山田一族直系の――…山田瑞希です。今は葉山瑞希ですけれど』
彼女に、第三者がいる前で秘密を暴くその行為は、彼女との溝を深める行為だと、一度経験していたのに。
瑞希の絶対零度が込められた瞳で見据えられて、作った笑みを向けられて――…またやってしまったとぼーさんは、内心舌打ちした。気付いた時には後の祭りで。
瑞希とリンの眼は――明良が入室してから最後まで、絡まなかった。
【放課後の呪者】完
あとがき→
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