5-3 [22/28]



ナルが見えた方向に、ジェットに頼んで走って貰った。

黒い毛並みを撫でて、落とされないように腰に回されたリンさんの腕にドキドキして。感じる息遣いから意識を逸らすのに大変だった。

異性とこんなに近くにくっつく機会なんて、共学に通っていてもそんなにない。しかもリンさんは、クラスメイトよりも大人で素敵な人だし――…って何を言ってるのかしら私ってば!


《着いたぞ》

「ありがとうございました」

『…いませんね』

「式に探してもらいます」


ジェットから飛び降りたリンさんに続いて、私もストンッと飛び降り地面を踏みしめた。

彼の周りに、ふわふわと周りながら飛ぶ五体の式が。まるでリンさんの言葉に喜んでいるよう。


『ぁ、待って。テイルの妖気を感じた――…リンさん、こっちです』


彼の役に立てるのが嬉しいんだろうなーと微笑ましく見てたら、数秒間だけテイルの妖気が強くなったのを感じ取った。

ジェットも横で顔を険しくさせている。なんだかんだ言って、テイルのことが心配なのね。

すぐにそちらに向かおうとしたのに、くらりと眩暈がして、視界の端がぐらついた。


『ジェット、リンさんを連れて先に行って』

「瑞希さん?」


ふらりとよろめくのを地面にしゃがみ込んで防ぐ。

片手をついて、瞼を手で押さえながら、近くにいるジェットにリンさんと麻衣達を頼んだ。左手から草の感触がした。

じゃりっとリンさんの革靴が草と砂を踏む音がして。私を心配してくれているのだと見なくても悟れた。

謝罪もお礼の言葉も言う気力がなくて、まあこれはどうせ一過性のものだと自分の身体だけに分かっているから大丈夫だと、手の平で隠れて見られてないのにへらりと笑って見せる。


『ちょっと疲れちゃったみたいで』


はぁはぁっと息を整える。

リンさんが背中を撫でてくれて、幾分楽になった。リンさんに教わった呼吸法が役に立ったリンさん様様である。


《……行くぞ》

「立てますか?」


五分くらいはそうしていただろうか――…。

ぽつりと放たれたリンさんの低音が、心を落ち着かせてくれた。聞いてるだけで穏やかになるようなそんな声音。


『先に行っててほしかったんですけど』

「――私、思ったのですが」


ぶすっと拗ねたように口を尖らす瑞希を見遣って。ちょうど下を向いていた彼女とリンの視線は合わなかった。

話題を逸らされたのか判断がつかず、瑞希は目線を上げた。

高い場所にある黒曜石のような瞳と瑞希の栗色の瞳が絡み合い、どきりと心臓が跳ねた――そしてさり気なくリンさんに左手を掴まれて彼の右手と繋がり、再度心臓が大きく跳ねた。


『ぇ。ちょ、…リンさん…手』

「貴方とナルは似てます」


瑞希は目を白黒させて。その表情さえも見逃したくなかったリンは、ばれない様に盗み見ていた。


『はぁ』


――それは…ジーンにも言われた。

学者バカだと称されるナルと同じだと言われるのは、中々に嫌だった。

文句を垂らした私に、ジーンはそこは似てないけど集中すると周りが見えなくなるところは似てるんじゃない?って言葉を貰い、納得がいかなかった記憶がある。最近のことだもの、昨日の事のように鮮明に記憶しているわ。

ジーンにまで修行バカって言われたのは、ムカッとしたけど。常日頃からジェットにそう言われてるので、反論出来ず苦い思いをしたのだ。

ん?リンさんには強くなるために多少無茶をしても修行してるって知られてない…よね?


「変なところで頑固だったり、無理をするなと口を酸っぱく言っても訊かなかったり。驚くほど似てます」

『(あ、そっちね)』


――それも…ジーンに言われたわ。

繋がれた手の平から、とくんとくんと彼の体温を感じた。冷たそうに見えて実は私より温かい。



「だから私は思ったのです、無理をするなと言っても無理をするなら私が目を離さなければいいのだと」



………ん?



「具合が悪いなら私が引っ張って差し上げます」

『ぇ、えぇ!?いやいやもう大丈夫ですからっ手を放して下さい!』


眼と心臓に悪い微笑みで、楽しそうにそうのたまった御方は誰だ。リンさんだ。

頭の中が大混乱を起こして、パニックなままに繋がった手を上下にぶんぶんと振って放そうと試みた。逆に強く握り締められ、今度は別の意味でくらりと眩暈がした。


「思えば、貴方は調査の度に怪我をしてますね」


やられっぱなしは性に合わない!


『……それなら麻衣だって。現在進行中で、(怪我してるかは知らないけど)』

「何かいいましたか」

『………イエ』


と、反論してみたけれど。

ナル顔負けの有無を言わせない眼差しに、首を横に振った。

これは…あれかな?一人で生きていくつもりの私を危ういと思って気にかけている内に、私が麻衣を可愛がってるみたいな感覚で、目を離すと危ないみたいな思考の流れになった…のか。


「放しませんよ」


リンさんが前を向いたまま放った科白は、風に攫われたことにして。私の耳には届いてないのだと私に言い聞かせた。


『……』

《あー、あー…あっちから気配がするなー》


チラ、チラっと視線を不自然に彷徨わせる主の姿を横目に、ジェットは勘弁してくれと思った。

無理を続けて疲労が溜まっているみたいだったから心配していたというのに。二人は、甘い世界を作り出して――…ジェットの存在が見えてなかった。

掛け替えのない大切な主を横取りされそうな危機感でイライラしていた。

だのに邪魔をしなかったのは、主の顔が穏やかになっていたから。そのまま幸せそうに笑って欲しいと思ってしまったのだ。

悔しいけど、あんな風にころころと表情を変える事ができるのは、リンくらいだと思うから。

どうしたって人間の瑞希だから、人間らしく笑う瑞希が好きだから。悪夢に魘される瑞希はもう見たくないから――…少しだけ、ほんの少しだけリンという人間に主を任せても良いかと思ったんだ。


『ど、どっち』


テイルの妖気を感じているだろうに、どもりながら自分に尋ねる主に、溜息を送る。





 □■□■□■□



恨めしげな瑞希の式神に気付いていながら、


「ナル、いますか」


彼に案内された場所を見渡して、自分の式がマンホールの周りを踊るように舞った為、そちらに歩を進めた。リンに遅れて瑞希もフェンスを登る。

ジェットの優しさなのか知らんが、リンと瑞希を運んで人型へと戻ってからは妖力を上げて姿を見えるようにしてくれている。

日本人にはあり得ない黄金の瞳を持つ彼だけれど、黒髪だし甚平姿だし、人間に見えなくもない。不自然ではなかった。


『――ジェット。麻衣とナルは無事?』

《あぁ》


瑞希もリンの横から丸い穴を覗いた。

眼を凝らして麻衣とナルの姿を見付けて。ナルはともかく麻衣は元気そうで、とりあえず良かった。ナルも大きな怪我はなさそう。

二人の間にいる、暗闇でも見えたはちみつ色の髪の男の子は……、


『テイル?』

《うぅぅ、瑞希しゃ〜ン!》


……テイルだったらしい。

うん、泣き笑いな声音は気になるけど、子供もびっくりなあの元気さはテイルだ。


「ロープか梯子がいる。それとハンドライトを」

『あ、それなら大丈夫だから』


頷いて取りに行こうとしたリンさんを、繋がったままだった左手を引っ張って止めて。

暗闇の中、こちらを見上げているナルに、ちょっと待ってと告げた。

彼等の側にはテイルがいる。灯りを調達しなくてもテイルに狐火を頼めば事足りるし、ジェットもいる。穴の底は狭いだろうから、人型でしか動けないだろうけどジェットなら二人を持ち上げる労働は、朝飯前だ。


《テイル、狐火お願いね。ジェットも》

《!はいっぴ》


元気よく頷いたテイルと、怠そうに瞬きしたジェットは、特に文句を言わず従ってくれた。

「そういう使い方もあるのか」と、どこか感心したようなナルの声が下から聴こえた。どうやらテイルに言ったらしい。


――知らない間に、テイルとナルは打ち解けたのかしら。

あ、その前にテイルはいつから人の姿に化けられるようになったの?まったく知らなかったんだけど。上からでは良く見えなかったが、狐の姿と同じく可愛らしい姿だったと思う。女の子みたいな?


「せんぱ〜い!」

『麻衣、無事で良かった』

「出たんですよ!あのおんなが!」

『うん』


瑞希せんぱ〜いと瞳を大粒の涙でいっぱいにして、ジェットによって救い出された麻衣はわんわん泣いていて。

もう高校生なのに…と苦笑を浮かべつつ、幽霊に免疫がない彼女からしたら、生きた心地はしなかったのかもしれないと思い直し、しがみ付く後輩の背中を優しく撫でた。

井戸の底へ落ちたり、マンホールの底へ落ちたり、麻衣は調査の度に大変ね…とリンさんが訊いたら、貴方もですよと言いそうな事を瑞希は思っていた。苦笑を浮かべる。


「こわかったよお」

『うん、うん。頑張ったね』


まだナルが下にいるから、ジェットは瑞希と麻衣に溜息を送って、穴の中へ逆戻りする。

リンと繋がっていた手は、麻衣が地上へと生還した時にさりげなく、リンから解かれた。自由となった手で、麻衣を受け止めたのである。

ずずずっと鼻を啜る音に重なって、下からナルとジェットの声がして。


『ナル?どうしたの』

「瑞希、下へ来れるか」

『?うん』


一向に上がって来ない彼等に小首を傾げ、麻衣の様子も少し落ち着いたようだったから、ナルの言葉に疑問を感じつつ躊躇いもなく穴の中へと飛び降りた。

暗闇に身を投じる瞬間――…リンさんの「ぁ…」っていう思わず出ましたって感じの声を耳ざとく拾った。

思ったより底は深く、落下しながらリンさんを思って、笑みが零れる。――結界師だって知ってるくせに心配しすぎなのよ。

リンさんの心配は杞憂だったと証明しようと、下に結界を張って、すとんと軽やかに着地する。


――以前、不可抗力で落ちてしまった井戸よりも浅かったかな?

井戸の中よりも広い空間に、ナルとジェット、そしてテイルがいた。

テイルの大きな瞳には、麻衣と同じように大粒の雫が浮かんでいる。彼も怖かったらしい。妖怪なのに、悪霊が怖かったの?とは、思ったけど傷つけちゃうかなと空気を読んで音にはしなかった。私偉い。


『どうしたの』

「これを見ろ」

『これは…また凄い量ね』

「あぁ。大収穫だ」

『怪我の功名かしら?』


気持ちの悪い空気が流れている暗闇の一角をナルに指さされて、おそるおそる近寄ってみると、そこにあったのは私達が探していた大量のヒトガタだった。

予想していたよりも多く、溜息よりも変に感心してしまい、ほうっと息が漏れる。呆れもした。

よくここまで人を呪おうとしたもんだ。その執念に感服するわ。

ナルは、私の感想に見せつけるように、ふか〜い溜息を吐き出した。失礼な男である。あ、そうだった。


『テイル、ゴメンね。これも燃やしてくれる?』

《おやすいごようッス》


佐藤瑞希と書かれたヒトガタを二つ、山の中から拾い上げ、テイルの前へ置いた。私の背後にいる女の悪霊とここへ来る前に屋上にて捕縛した鬼女のヒトガタだ。

“コレ”を燃やせば、呪を呪者に返すことなく、無に返せる。

自由になった悪霊は、人に害成す存在であるから、そのままにはしておけない。呪者との関係がなくなってから改めて滅してやる。

鬼女は…放っておこう。彼女の理性は戻るだろうし、被害者なのだから滅するのは可哀相。それに今の状態の私では、まともに鬼女と戦えない。無駄に怪我をするだけで終わるでしょう。容易に想像がつくだけに、鬼女と戦おうとは思わない。

まあ、意味もなく妖怪を滅したくないって方が本音。


「これらも燃やせ」

『いや…これはジェットにベースまで運んでもらうの』


ナルの顔に、ありありと何でだと書かれてある。

言われなくても彼の言いたいことを受け取った私は、納得するだろう科白を吐いた。


『滝川さん達、特に滝川さん…これを持って行かなきゃヒトガタを見付けたなんて納得しないって』

「…それもそうか」

《瑞希さーん燃やしたっすぴ!褒めて、ほめて〜》


ぴょんぴょんとテイルが跳ねる度に揺れるはちみつ色の頭を撫でる。柔らかい髪質。

瑞希に撫でられて、テイルは頬を紅潮させた。この時ばかりは、馬鹿にするジェットの視線にすら気にならない様子で。


《ぼくね!ナルと麻衣を守ってやンすぴ!狐火で守ってやったンすぴ!かんしゃされたー》

「……」

『そっか、頑張ったね』

《うんっ!ほめてほめて〜》

『んーじゃあ夕飯はいなり寿司にしようか』

《わ〜い》


油揚げが好物なテイルにそう言ったら、テイルは飛び跳ねて喜びを表現した。

近くで初めてテイルの人に化けた姿を見たんだけど……やっぱり可愛らしい姿をしている。


「……はぁ」

『え、なに』


子供が出来たらこんな微笑ましい気持ちになるのかしら――…と、顔を綻ばせて空中に花を飛ばしているテイルを見て思っていたら。

ナルの呆れているとも何か言いた気だとも取れる眼差しを、溜息と共に寄越されて。

上から成り行きを見守っていたらしいリンさんと私は同じ反応を示した。見えなかった私は知らなかった、麻衣もまたナルと同じ眼差しをしていたなんて。死んだ目ともいう。






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