5-2 [21/28]



ちょうどその頃、ナルと麻衣は絶望を前にしていた。


「げっ!ナルも落ちちゃったの!?」


ナルが、瑞希とリンを探している途中で、もう一人の助手を見付け、

またサボってるのかと呆れて声をかければ、マンホールの中を覗きこんでいた麻衣に助けてと叫ばれ、慌てて駆け寄って彼女を掴んだのだが――…。


「…お前が手を放してくれたら落ちずにすんだんだがな」

「あわわごごめん」


二人揃って、底へ落とされるとは思わなかった。そして今に至る。

“力”を使った挙げ句に、打ち所が悪かったらしく左腕がズキズキ痛む。

暗い穴の中で、確かに自分はぼーさん達とヒトガタを捜せと命令した筈の助手と一緒に。途中までは良かった。麻衣を抱えて梯子に掴まって、後は上るだけで危険は回避した筈だったんだ。


「まさか、梯子が壊れるとは」


そうナルに言われて、自分のせいでナルも穴の中に落ちたのだと知って、ズーンと落ち込む。

落ち込む麻衣を一瞥して、ぽっかりと見える空を見上げた。空が綺麗に丸く切り取られている。光が茜色に変わり始めていて、麻衣に気付かれないように拙いなと一人ごちる。

このまま見つからないで外に放り出されたまま夜を迎えたとしたら――…闇の中で待ち構えているのは霊だ。

リンが、瑞希の式に気付いて彼女を捜しているのだとすると、瑞希の方に何か危険が迫っているに違いなく。二人が自分達みたいに身動きの取れない状況になっている…かもしれない。と、するとリンの助けは…望みが薄い。

ぼーさん達は、ヒトガタ捜しを頼んでいるから、万が一気がついても、助けに来てくれるとは限らない。

この場所は奥まった場所にあり、見つけづらいだろうし……そもそもぼーさんも松崎さんも、僕達がベースにいないとなれば真っ先に帰るに違いないのだ。彼等の助けは当てにならない。


「ねえ、ナル、すぐに助けが来るよね」

「来るんじゃないか……?いずれ」

「いずれ……って!」


こんな時でもナルは冷静で、麻衣はムカっとしたんだけど。


「ここに来ることを誰かに言ったか?」

「……言ってない」

「僕もだ」


ナルの疑問に、ぐうの音も出なかった。

麻衣はここへ来る前に、体育館の周りにいたぼーさん達と会ったんだが、彼等には何も言わずに別れたから……助けに来てくれるか…分からない。でも来てくれるかもって言って欲しかった。

他の人が、大丈夫だよって言ってくれたら、大丈夫だって信じられるのに。希望も何もないじゃないか。


「なんとかならないの?」

「なんとかなる状況に見えるか?なんだってこんなところにいたんだ」

「…だって子供の泣き声がして…それで探したらこの中に女の子が……」


そう言えば女の子はどこに?と、周りを見ても暗闇の中には麻衣とナルの姿だけ。麻衣の顔からサアァーっと血の気が引いていく。


「ついに麻衣も狙われたわけか」


自分のせいだってわかってるけど…こんな事態に陥ってただでさえ心はぼろぼろなのに。

ナルからの無情な通達に、茫然とした。……いま…なんて言った?あたしが?ゆうれいに?そんな…穴の中に落とされたのにもついていけてないのに、幽霊になんてっ!

絶望的で、一気に恐怖で身体も心も支配された。


「泣いて事態が変わるのか?」

「変わらない」


抑揚のない声音を耳にして、昔悪戯をして諭すようにお母さんが子供の頃のあたしを叱ってるような――…そんな気持ちにさせられて。

あたしが悪いんだけど…真正面から正論を突きつけられると、認めたくない気持ちが強くなる。泣かせてくれたっていいじゃない!と、麻衣は心の中で悪態を吐いた。

もしかしたらずっとこのままで、しかも夜に幽霊に襲われるかもしれないのにッ。最悪死ぬかもしれないのにッ。冷静になれるわけないのよ!

拭っても拭っても、涙が溢れて。尚も感じる冷たい視線に、更に涙が溢れた。


「だったら泣きやむんだな」

《冷たいっすぴ》

「うん、冷たい」


自分の声を代弁してくれたかのような、幼い声に眼に手を当てながら麻衣はこくりと頷く。

ナルの通常運転な雰囲気は、弱った心では受け止めきれなくて。一人だけでも気持ちをわかってくれる人がいるだけで救われる。


「理性的と言ってくれ」

「冷たいよ!もし、このままここで死ぬことになったらどうしてくれるのよっ!ね、君もそう思う――…ぇ」

「……待て。麻衣、今誰と喋った?」


恐る恐る麻衣とナルの視線が、声が聴こえた左側に向かう。さっき見た子供の霊が…?

二人の視線の先には――…はちみつ色の髪をした六歳くらいの男の子がいた。


「ひッ、」

《ン?》


闖入者の登場に、ナルが背中に麻衣を庇う。

見た目は愛くるしい男の子だけれど、幽霊だと思うと、小首を傾げる仕草にも恐怖が込み上げる。――…ってあれ?尻尾?


「君は、妖怪か」

「……え、」

「人の姿をしているが、耳と尻尾が隠せていない」


そう言われて男の子の頭を見遣ると、さらさらな髪からちょこんと白い耳が二つ。

妖怪の恐ろしさについて瑞希先輩から聞いたばかりで。喉の奥に何かが張り付いたように、まともな言葉が外に出そうになく悲鳴すら引っ掛かって、掠れた息だけが零れた。


「ついに妖怪も依頼を受けたというわけか」


――危険が増したな。

とぽつりと呟いたナルの声が遠くで聞こえた。



《ん?ンン?――おぉ!》


冷静な分析を訊いた妖怪は、二人を襲うわけでもなく、何故か頭を触って耳を確かめたかと思えば、手の平を見つめて全身を確かめ始めた。

その様子を警戒してじっと見つめているナルには悪いけど、可愛らしくて危険な存在には思えなくて。一気に恐怖が吹き飛んだ。

キラキラと瞳を輝かせる男の子を見て、麻衣も口元を綻ばせた。


《人型になってるっすぴ〜!ン?尻尾が黒じゃない…色が変わってるーなンでだ?》

「………」

《はッ!もしかして…》


見つめられているのにも関わらず、男の子は目を瞑って――…ぽんッと音を立てて、本来の姿になった。

ナルは、本性を現したなと警戒心を強めていて。ぴくりと反応するナルの肩越しに、麻衣も見守る。

外気に晒された毛並みは白く、尻尾はさっき見た髪と同じはちみつ色だった。それはぴょこぴょこ動いていた。猫より大きく犬より小さい大きさの彼は、再び人の姿に化けた。


《おぉ!やっぱり変わってたーすごいっすぴ!》


……と言っても、やはり先程見た耳と尻尾がそのままで。

って、この子は狐の妖怪らしい。ナルが横で教えてくれた。


「ねぇ、ナル…悪い妖怪には見えないんだけど」

「…確かに気が抜けそうな奴だな。麻衣と同じく間抜けそうな顔をしてる」

「なにおう!」

《ふ、ふふふ。これで忌々しい狼のジェットやろーをぎゃふんっと言わせてやるっス!》

「しかしあれは妖怪だ」


お花を飛ばしてる彼は、よくわからないけど…嬉しがってるらしい。

ひとしきり尻尾を揺らして喜んで気が済んだのか、麻衣とナルを…否、ナルに指をさした。キッとタレ目だった目尻が吊り上っている。


《シかし、君は冷たい男っすぴねー!ぼくびっくりしたッス。ン?あれ?君の顔……どこかで見たような…どこで?》

「今なんて言った」

《ン、どこかで見たような…》

「違う。それより前だ」


男の子と共に、麻衣も小首を傾げる。ナルが何を言いたいのか意味を察してあげれなかった。


《あぁ!冷たい男すぴねッ!人間の男はみーんなそんなに冷たいッスぴか?怖くない生き物だと思い直したばっかりなのに、ぼく考えを改めるっす。この冷徹男め!》


可愛い顔して…結構なことを言う子だな!麻衣の頬がひくりと痙攣した。

そろりと横を見遣れば、ナルの顔が恐ろしいことになっていて。ひいッと悲鳴を上げる。


「……言いたい事はそれだけか?」

「ナ、ナルどうしたの」

「さっき瑞希の式神の名前を言ってた」


信頼と尊敬を寄せる先輩の名前に、麻衣の瞳に希望の光が射し込んだ。


《瑞希さんはぼくの主っすぴよ!さいきん、やっと式神にしてもらって……、》


その名に、問われた男の子も嬉しそうな表情で、ぴょーんぴょーんと飛び跳ねて。


《あ!そうだった!――お初にお目にかかりまっス。テイルと申しますぴ〜》


ナルと麻衣に自己紹介をしてくれた。

ぺこりと頭を下げられて、つられて麻衣もぺこりと頭を下げて。先輩の式神――雪女と黒狼の激怒した姿を思い出して、ぁ…と言葉が漏れた。この子も…あんな風に怒るのかな。


「名前で呼んじゃダメなんだよね?狐ちゃんって呼んでいい?」

《ン〜。ティちゃんって呼んでー》

「わかった!ティちゃんね!」


へにゃんと笑った狐の妖怪ティちゃんに、麻衣もへらりと笑った。

やだこの子和むー。と、だらしなく笑ってたら、ナルから、


「麻衣、話が逸れる。静かにしてろ」

「…ハイ」


冷やかな御言葉と眼光を頂き、片言で返答した。ぶるりと身震い。


「その式神が何故ここにいる」

《そンなの決まってるじゃないっすか〜瑞希さんにお前のことを頼まれたンすぴよ!》


当然の疑問を口にしたのだが。

式神にしてもらって有頂天なテイルにはナルの心情など分かるわけがなく、彼の疑問に、胸を張って自慢した。

テイルの頭の中は、いかにジェットにぎゃふんと言わせるかって事と、ナル達を助けて瑞希に優しく褒めてもらうって事だけだった。さぁ!悪霊よ!出て来い!ぼくは気合じゅうぶんなのさー。


《ふはは安心するがいいっぴ!ぼくがついてるッスぴ》

「…安心できない」

「どこに安心できる要素が?」


悲しいかな、テイルと麻衣とナルの間には温度差があった。


《ぼくをバカにするスかッ!?あの狼やろーと同じくらい腹が立つヤツ!》


ぷりぷりと口で怒ってるのだと伝えて来る地団太まで踏んだテイルを、ナルは絶対零度の眼差しで見つめる。ヴァイスもびっくりな冷たさだ。


「なら訊くが、僕達のピークはあの梯子が外れた時だった。瑞希に頼まれていながら、何故僕たちはここに落ちているんだ」

「(た、確かに…)」

《へ?》

「なにをしていたんだ」

《おまえの右肩に乗ってたっすぴ》


ナルに従って静傍していた麻衣でさえ頭痛がして。思わず、「どうしよう」と呟いてしまった。

途方にくれるってこんな時に使うのかな?ナルに尋ねたかったけどティちゃんと同じ扱いを受けそうな予感がして、大人しく口を閉じた。


「ここから出たいんだが」

《出ればー?》

「なんだろう…もの凄く腹が立つんだが…僕の気のせいだろうか」


なんとかこの絶望的な状況から脱出したくて。

最近、瑞希の式神に降ったらしい狐の妖怪にめげずに質問を重ねたナルだったが――…返って来たのは、


「ティちゃん、あたし達を上まで連れていってくれないかな」

《え、むり無理ムリっスよーぼく、そこまで力ないもーん》


腹が立ってくる言葉の数々だった。

人頼み…否、妖怪頼みなのは重々承知している。けど、これはないんじゃないのか…瑞希。ナルも思わず、「絶望的だな」と呟いた。心なしか、頭が痛い。

これは麻衣よりも問題児だな、と麻衣が訊いたら憤怒しそうな失礼な事をナルは、ひっそりと瑞希に対して感想を零したのだった。


《ぼくは瑞希さんから、あくりょーから助けてあげてねって頼まれたンすぴ。それ以外は頼まれてないッスよ?》

「瑞希も何故これを僕達に…、」


もしも助かったら、瑞希に文句を言うのを忘れないでおこう。よくも頭痛の種を増やしてくれたなと。

不意に、麻衣に負けない呑気な空気だった狐の妖怪が、表情を消して何かを警戒し臨戦態勢を取り――…、ナルも顔を険しくさせた。


「…どうしたの?誰か来た?」


怖い顔で黙った二人に、麻衣は不安そうに顔を歪めて。


「麻衣、何があっても離れるな。落ち着いて」

「え……」


危なくなると言っているような科白に、手の平に冷や汗をかいた。


「大丈夫だ。一日そこらでそんなに成長するものじゃない。狼狽えて自滅するなよ」

「……ナル、ナル…ねぇ」


――あの女だ。

どくどくと血液が反応する。怖い、怖い怖い。

闇から現れたのは、昨日ベースで見た女の霊だった。怖いけど、眼を離したら終わりのような気がして、ナルの背中からじっと見つめる。

下から、ティちゃんの《ひいッ、なにあれ怖いっすぴ》と、恐怖を訴える声を拾ったんだけど……。ちょっとティあんた先輩から頼まれて、あたし達を助けに来たんじゃないのッ!?なんとかしなさいよッ。

恐怖の中で、ティちゃんに対する苛立ちが込みげた。

ティちゃんは、現われた幽霊に立ち向かうどころか、ナルの右足にしがみついていて。


「なに……あの口の……」


ふと、女が加えている棒みたいなのに気付いた。

にいッと笑った女の口にあるのは――…あれは鎌だ。


「大丈夫だ」


そうナルに言われると、怖いのが落ち着くから不思議。いつも聞くナルの声より柔らかく耳に届いた。


「リンと瑞希ならここを見付けられる。――ここには瑞希の式神がいるしな」

《はっ!瑞希さん…》


チラリとナルに見下ろされて、テイルははッとした。自分に与えられた仕事を思い出したのだ。


《ぼくがやらなきゃ、瑞希さん見ててくださいっすぴー》


悪霊の獲物はナルというあだ名の人間。

冷たい印象を受ける人間に向かって、にたにたと笑う女の悪霊が鎌を振りかざす。自分のことなど目ではないのだと言われている態度に、テイルはムカッとして、右手にジェットとは違う丸い火の玉を出した。

黒狼が得意とする火球とは種類が異なるソレを、テイルは女の顔にぶつけたのだった。

妖怪として産まれたばかりで力が不安定なテイルの狐火は、思いのほか威力があったのか、女は悲鳴を上げて。消えた。


「ナル、いますか」


女が、テイルの攻撃を受けて、姿を消して。へたりと座り込んでいた麻衣の耳に、聞きたかったナル以外の人間の声と、


『麻衣とナルは無事?』


先輩の声に、麻衣はぶわりと涙を瞳に浮かべた。

あまりの怖さからここに長い事いたような感覚だったのである。






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