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目の前に、音を立てずに紅茶を差し出された。
言わずもがな、空いている席に座れば良いのにわざわざ密着するように己の隣に座ろうとしているコンラッドによって淹れられた美味しそうな紅茶。
カップの中身は、揺れておらず。コンラッドの完璧さが顕著に現れている。ほうっと嘆息した。
「それで?」
『うぬ?』
夫婦の時間を大切にしたがるコンラッド。
結婚してから二人の決まり事となった二人っきりのティータイムは、執務の合間の休憩がてらだったり、夕飯前だったり、本日のように夕飯後だったり、時間は決まってないが毎日行われている。
夕食前や夕食後のティータイムだった場合は、その日あった出来事を面白おかしく喋り合うのだ。
ぴったりとくっついて紅茶を飲むコンラッドに見つめられ、疑問符を返す。
「漆黒の姫様はなんと答えたんです?」
『姫とか言うな』
ユーリを真似て返答してみたら、すかさず「すみません」と笑われた。
ユーリにはつい癖でとか言うのに、私にはそのフレーズがなくて。それがなんだか嬉しくて。
「俺だけの姫には変わりませんから」
嘘は言ってませんよとコンラートは続けた。
もちろん、またこやつは照れもせずに…なんてぶつぶつと文句を言われるのも承知で。たまに怒られるが、サクラが照れてるからこそだと知っているから、反省もしなければ落ち込みもしない。
現に今も赤みが差した頬を隠すように、紅茶を飲むフリして俺の視線から逃れようとしている。そんなところが可愛いのだと何度言っても理解していないのだから、可笑しくて仕方ない。
だが、今日のサクラはいつもと違うらしい。
緩む頬をそのままにサクラを見つめている俺を、サクラが下から睨み付けたのである。
若干涙目なのは敢えて指摘しなかった――だから腹黒なんですよとヨザック辺りに知られたら溜息交じりに呆れた視線を寄越されそうだ。まあ別に構わない。ヨザックにどう思われようと、自分の世界はサクラを中心に回っているのだから。ヨザックにどう思われようと、痛くもかゆくもない。
『姫ではないだろ!私はコンラッドの妻であろう、な?旦那様』
「っ」
油断しているところに、こうやって攻撃してくるからサクラは侮れない。
しかも、毎度毎度…俺の嬉しいものをくれる。本人は仕返しをしたと満足しているが、その可愛らしい行動こそが眠れる獅子を調子に乗らせる原因なのだといつ気付くのか。これもまあ敢えて指摘しない。
だらしなく頬を緩めて、でっと顔を傾けて見せる。
サクラも俺を見て、こてんと小首を傾げた。俺の言葉に照れて仕返しをして、すっかりぽんと少し前の会話を忘れたようだ。そんな抜けてるサクラも好きだよ。
「俺の妻は、彼等になんて答えたのか教えてくれないのかな?」
と、コンラッドの笑みは深まる。
照れるのが私ばかりなのが悔しくてやり返したというのに、こやつっ。
「俺のどこを好きになったんです?」
『はて。どこを好きになったんだったっけなー』
「教えてくれたっていいじゃないですか」
『私にもわからぬ。謎だ』
嘘だと見抜いておる癖に、「残念」と大人しく引き下がる旦那様に、不完全燃焼。
なぜだか私が負けた気になった。事実、大人な旦那様が勝ちで意地を張った己が負けなのだろう。だが嫌ではない。
どちらともなく視線が合い、くすくすと笑い合った――。
『コンラッドはどうなのだ。城下に行ったのだろう?面白いこととかなかったのか?』
「…その事なんですけどね、俺も陛下も城下には行ってないんだ」
『?そうなのか』
では何をしておったのか――…そう尋ねる前に、コンラッドの虹彩を散らしたような瞳とかちあった。
「明日から一週間ほど休みを貰う為に、陛下がサクラの分の仕事も前倒しで請け負ってくれたんです」
『ぬ…なにゆえ…、』
いきなりの告白に困惑する。
己の仕事を、執務が苦手なユーリがしてくれたなど、驚きよりも困惑。私とコンラッドを一週間暇にしてくれる為だとは話の流れから察したが、なぜだと疑問が湧く。
『ぁ、もしかして結婚記念日が近いから』
「そうですよ。忘れてたとか言わないで下さいよ」
忘れてはおらぬぞと、しっかりと頷いてみせた。
コンラッドが、ほっと安心して身体から力を抜いたのを、密着していたが故に、振動から伝わった。
私の事を想って、記念日はちゃんと考えてくれるコンラッドが大切な人なのだと再度認識して。忘れるはずもないのに記念日の度に不安そうに切り出すコンラッドが、男の人なのに可愛く思えて、ふふふと笑みが零れる。
笑ったのが不服だったのか、コンラッドに右手を包み込まれて、近距離で見つめ合った。
「急ですが、明日から温泉旅行に行きませんか」
『――ふふっ。是非に』
二人でとろけるように見つめ合い、近付く影に目を閉じた。
触れるだけの口づけの後、『いつもこうやって気遣ってくれるところが好きだぞ』、私は小さく呟いた。
「え、」
何処が好きだと聞かれれば、沢山の長所が思い浮かぶが。
いつも私の事を想って、行動に移してくれるからこそ、私も何か返さねばならぬのだと思う。
マメなコンラッドだから、私も自由にできるのだ。と、感謝を込めて、滅多に言わぬ愛の囁きを外へと出した。
『先ほどの話の続きだ』
そう嬉しいことを言ってくれるサクラは知らないだろう。
途中までは俺を疑っていたのに。もう忘れて俺が欲しい言葉をくれる。ああ、だから厄介な男に捕まるんだ。結婚しても人気者なサクラを貪欲に求めている俺の欲望などサクラは知らないだろう。
すれ違いばかり起こしていたから、時々この幸せが夢なんじゃないかと思えて。不安に駆られる。
夢が覚めるのではないかと不安に駆られる俺が愚かなのか――…サクラが俺に沢山の幸せを贈ってくれるから悪いんだ。もっとと貪欲になるんだ。
「嬉しいことを言ってくれますね」
サクラは知らない。
不安に駆られて、自分の部下を使い皆に自分の何処を好きになったのか聞くように仕向けたなんて、サクラは知らない。気付かせるつもりもない。
『コンラッドの好きなところ――…内緒だ』だから、サクラが彼等に、どう答えたのか俺は知っているんだ。
『コンラッドの良いところを知ったら、皆もっと好きになるだろう?それだと困る故――…内緒だ』メイドや兵士達から報告書が俺の手元に渡っているのだと、サクラは露ほどにも疑っておらず。知らない間に俺を何処までも骨抜きにするのだ。
「俺は…」
情けなくも声が掠れた。
彼女の白い手の平を両手で包んで、きょとんとしたサクラを真正面から抱きしめた。わたわたするサクラに、じわりと愛おしさと安堵が広がる。
「俺は身に余る幸せを俺にくれるところが好きですよ」
『なんだそれは』
「いつも嬉しい言葉をくれる」
『本音なのだが』
――ほら、こうやって俺を調子に乗せる。
『あ。幸せに身に余るなどなかろう!コンラッドにはもっともっと幸せになってもらわねば困るぞ』
「っ、(ああもうっ)」
幸せすぎて泣きそうだ。
戦時中に思い描いて一度は諦めた幸せな未来――が、この腕の中にある。
この幸せを掴むまで長かった。いろんな事があって、絶望して、愛しい彼女と対立して、本当にいろんな事があった。苦労して手に入れた幸せなんだ、そう易々と手放さないし、手放すつもりもない。
生まれ変わったと言っていたサクラ。この世界で死を迎えたとしてもサクラの魂も俺のものだ。
もしも彼女がまた別の世界で転生するかはたまた死神だった場所へと還ったとしても、サクラは手放さない。俺の、俺だけの妻なんだ。
「サクラはもっと俺に幸せをくれるんですか」
『あぁ当たり前だろ』
「男前ですね」
『失礼だな〜コンラッドが幸せだったら私も幸せになる故、私の為でもあるのだぞ!』
なんだその理屈は。
嗅ぎなれたサクラの匂いをいっぱいに吸い込み、噛みたくなるような白い首筋に顔を埋めた。…噛むのは、後にしよう。旅行中にでも機会は沢山ある。
「それなら一つ、俺の願いを聞いてくれませんか」
『なんだー?旅行に連れて行ってくれるのだ、私も代わりになにかしてあげるぞ!』
しめた、言質を取った。
顔を埋める旦那の髪を撫でるサクラは、幸か不幸かあくどい笑みを浮かべる存在に気付かなかった。気付いていたとしても変わらなかったかもしれぬが。
「俺とサクラの子供が欲しい」
恋は愛へと変わる(な、なななな)
(時間ならたっぷりとありますし)
(な、なななな)
(なくともたっぷり作りますし)
(いきなり、そのだな…)
(子供も沢山作りましょう。ね?)
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