同居人の独白 [2/3]




普段だったらしない一人暮らしの女性宅に足を踏み入れたのは、現状が特殊だったから。

自分の名誉の為にもう一度言うが、普段だったらエントランスに入る前に踵を返している。女性と言っても大人と子供の狭間にいる彼女に対して欲情する程女に困ってないのだが。

誰に言うでもなく言い訳して、ああそうだった彼女に触れる肉体なんてもうないじゃないかと自嘲したのはもう昨夜の事になる。


〈……〉


男は何でこうなったのかと頭を抱えたくなってから半日。


『ん、』


眼下でむにゃむにゃと幸せそうな寝顔を晒して寝ている彼女を見下ろして、深くて長い息を吐いてからも――まだ半日しか経ってない。

幽霊になってから三大欲求が消えたように思う。死んでいるのだから当たり前か。

こうなってしまって誰にも気付かれなくて辛くなかったと言えば嘘になる。一日一回は発狂してたから、苦情が寄せられる前から自分がおかしくなっていると自覚していた。

苦情と言えば――…自分が事故にあったあの道路にいた女の子、良く見るなと何となしに思ってはいた。彼女達他の浮遊霊がいたなんて知らなかった。気にも留めなかったから、全く気付けなかったんだ。

誰にも気付かれない現状が、これまで生きてきた自分の存在そのものさえ消されたように思えて気が狂いそうで。そんな毎日を、どうせ誰も聞いていないからと大声で叫んでいた……苦情もらって恥じたが。自分の黒歴史として思い出さないよう記憶の隅に追いやる。


〈成仏させてくれると言ってくれましたよね〉


彼女の家に招かれる前に、小学生の男の子の母親に彼女が夕飯に誘われて。長い時間そこで過ごしたせいで、詳しい話はできなかったが。職業柄、観察眼が優れていると自負している自分――降谷零は、まともに話していない土方サクラの人となりも大方把握していた。

こくりこくりと舟を漕ぎながらも朝ごはんを口へ運んでいる姿は、幼く見えて。年頃の娘だろうにと正直呆れる。

行儀が悪いと指摘しようとして思いとどまる。一見、寝汚い様に見えるが、彼女の所作は洗練されたもので。いくら育ちが良くて。ご両親の教えが厳しかったのだとしても、彼女の歳で自然と物にするのは並大抵の努力だけではいかないだろう。ましてや彼女の親はもういないのだから。

確かに彼女の親戚だと言う工藤家も立派だった事から、彼女の家族もまた良家なのかもしれないが……それで片付けるには、彼女の仕草は息を呑んで眼を奪われる程――…上品で綺麗すぎる。


――謎だ。


〈失礼ながら、神社を窺った方が確かだと思うのですが…貴女は修行などしてないのでしょう?〉


目に見えないモノは信じない主義で、この眼でしかと見なければ物事は咀嚼できない現実主義者のこの僕が、交通事故に遭い不幸にも死者となってしまいようやく幽霊となる存在を信じられるようになった。

信じるようになってからまだ間もない僕でも判る。除霊とかただ霊が視えるからってだけでそこらへんにいそうな女子高校生が祓えるとは到底思えない。

彼女はきょとんと瞬きさせて、僕をずっと見つめ、やや間を置いてこくりと首肯した。


『貴様が神社の方がいいと申すのなら構わぬぞ』


詐欺師には見えなかった為、別にそのような返答でも驚きはしなかった。けど、戻って来た答えがなんだか物足りなく感じる自分が不可解で堪らない。

物事を客観的に捉え、最短で答えを弾き出す術を身に着けているのが僕だ。呼吸をするのと同じくらい意識せずにやってのけるのが僕という人間だった筈なのに。気付けば唇は僕の意に反して彼女に否定の動きを取ったのだった――…。


『しかし、今日は学校故…行くのは土日のどちらかだな』

〈いえ神社はやはり結構です、すみませんが当初の予定通り土方さんにお願いしてもよろしいですか?〉

『うむ。構わぬぞ』


上に立つに相応しい風格と言えばいいのか、持って生まれた才能なのか――定かではないが、彼女土方サクラは年上の僕に敬語を使わないのにも関わらず、失礼だと思わないのは彼女の態度や仕草にあるだろう。

失礼な話だが、こうなってしまって知った死後の世界について、しかも生きながら視えているサクラに対して好奇心が頭をもたげた。


〈土方さんはいつから霊が視えていたんです?〉


土方さんがしみじみと僕の顔を凝視するので、小首を傾げる。やはり込み入った話は嫌だったか?彼女は聞けば答えてくれそうな雰囲気だから特に気にしなかったが、失敗だったか。


『貴様は信じるのか』

〈――ぇ、?〉

『私が幽霊が視えることを信じるのか』


へぇ〜と気にしてない間抜けな声にこちらが戸惑う。

気にして隠しているらしいのに、彼女の瞳には怯えも疑心も見当たらず、純粋に尋ねただけだったらしい。どう答えようか迷いながらなんとかこくりと頷く。


〈えぇ。もちろんこうなるまでは信じませんでしたよ〉

『だろうな』


己の周りは論理的思考の持ち主しかおらぬのだ、そう零す土方さんの黒曜石のような瞳にはやはり傷ついた様子は見られない。

他人に視える自分を否定されて隠して生きてきて、どうして澄んだ瞳のままでいられるのだろう?

浮遊霊になって、誰にも存在を認めてもらえず自暴自棄になりかけていた僕でさえ耐えがたい苦痛だったというのに。彼女は不思議な女性だ。


『物心ついた時には視えていた』

〈誰も知らないんですか?〉


言ってから、彼女を案じたような口舌にしまったと思った。同時に、どうして自分はこんなに知り合ったばかりの彼女を心配しているのだろうと疑問が生じた。

僕は自分で薄情な人間だと自覚している。そんな僕が。

警察――しかも公安という職に就いている僕は、他人の犠牲なんて当たり前な世界に身を潜めている。だからだろうか、歪まないで真っ直ぐな彼女を眩しいと思うのは。

まあ彼女無しでは成仏できないから利用しているからだろうと言えば、そうなのかもしれない。


『言ってはいるが誰も信じないから、誰も知らないことになるかな』


辛かったですねの言葉は上から目線で所為他人事にように聞こえる為、大変でしたねと無難に頷いておく。


『――ほい』

〈え、僕は食べられませんよ〉

『大丈夫だって。ほれ』


一切れ余っただし巻き卵を、わざわざ箸を変えて目の前に差し出されて。

焦げ目のない綺麗に巻かれただし巻き卵は美味しそうで、ないはずの欲がぱちりと目を覚ましてしまった。彼女と話をして忘れそうになるが自分はもうこの世のモノではないのだ。食べれないと視えている彼女こそが理解していそうなのに。

僕の心配を余所に、強引の口の中へと突っ込まれ、口内に広がる出汁の味を感じ――…二重の意味で一驚した。

美味しい、そう感想を伝えようと顔を上げた先に、さっきまでいた彼女の姿はなく。主を失った椅子だけがそこにあった。え、っと声が洩れる。慌てて彼女を探している僕の背中に、


『もう行くぞ』


支度を終えたらしい土方さんがリビングの入り口から、急かす声がかけられた。なんていうマイペースさ。お礼も感想も言いそびれた。

青の鮮やかな制服に身を包む土方さんはスカートを翻して、玄関に向かう。数秒間を置いて、ついていく。彼女曰く、僕は土方さんに憑りついている状態なので、一定距離を離れると引っ張られるのだとか。

好きに出来ないのは不自由だとは思うが、事故現場から離れられなかったのと来ればれば破格の対応に感じた。

だからついて行くというのに、律儀に靴を履いて僕を待っている土方さんに苦笑を一つ落とす。無邪気な笑顔がじんわりと心に沁みた。

自分の容姿の良さも知っている僕が一つ微笑んで美味しかったと伝えるだけで、ほとんどの女性は頬を染めてくれる。これまで何度も自分の武器にして女性を落として場を切り抜けてきた。

ビジネスで出会った女性達はいつも僕の手の平で思い通りに進んでくれるから、ペースを乱されるのは新鮮だ。

女性の我儘に付き合って仕方ないなあなんて付き合うのとは、また違った振り回され方。裏がある駆け引きとも違う。





同居人の独白

(独りぼっちだった死後の世界は)
(とても退屈でとても寂しく、灰色だった)
(色をくれた彼女だからかな)
(振り回されても嫌だとは思わない)

続く→


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