6-7
緊張と逃走の連続で喉が渇いたのか、ユーリが喉の渇きを訴えた。
グウェンダルは溜息を吐き、この家の男の子、ジルダを呼びつけ買い物を頼む。
「これで酒と、酒ではない飲み物と、夕餉に必要な物を買ってこい。 余ったらお前の欲しい物を買ってかまわん。 落としたり盗まれたりせずにきちんと行けるか?」
「できる。 もう十歳だから」
子供には優しいグウェンダルは、穏やかに尋ねた。
それに答えたジルダは十歳だと言う。魔族との間に生まれた子供だからだろうか――…この子は成長が魔族に似て成長が遅いみたいだ。 魔族の父親の血が濃いのだろう。
私も、ジルダに結城を重ねて微笑ましく思った。
こうやって眞魔国に滞在しておっても、地球では時間はそれほど経っておらぬので弟の心配はないけれど。やはりこれほど離れておるのは寂しく思う。
「あのさおれそんな気を遣ってもらわなくても、ミネラルウォーターじゃなくても大丈夫だし。 家でも水道水とかガンガン飲んでるし」
『ユーリ…喉が渇いたくらい我慢してはどうなのだ』
この家を見る限り水にまで貯えがあるとは思えぬ。 図々しく本人としては遠慮しているらしいユーリに小声でそう言った。
私の注意も空しく、グウェンダルとシャスさんの話は進んでいく。
「儂等はあんたたちを客として迎えたんだ、施しを受けるわけにはいかん!」
「それはこちらも同じだ。我々もお前等の施しは受けたくない」
「だからー、真ん中とって水道水、水道がないなら井戸水でいいって」
『っ、ユーリっ!!』
「へいっ…」
勝手に軽く言い争っておる二人にユーリが声を荒げたので、私もユーリを咎めた。 少しは察して欲しい。
見守っていたオリーヴも、思わず「陛下っ!」と、言い出しそうになった。 ここで“陛下”発言は頂けぬ。 オリーヴは浮かびかけた腰を沈めた。
サクラとオリーヴがユーリに負けじと大きな声を出したのをきっかけに、皆喋るのを止めて、ユーリを除いたお邪魔している身のサクラ、グウェンダル、オリーヴが申し訳ないようなバツの悪い顔をした。
そんな中、ニコラが沈んだ表情で口を開く。
「……スヴェレラにはもう水がないのよ……」
ニコラの沈んだ声は小さかったけれど、重く室内に籠る。ユーリが理解する前にニコラは言葉を続けた。
「もう二年近くまとまった雨が降らない。 地下水も底を尽きかけている。 お金を出してよその国のお酒や果物を買うしかないの。 僅かな飲み水の配給はあるけれど、それだって生きていくのがやっとの量なの」
「え、でも隣のダムのある県から分けてもらえねぇの? 隣の、えーと国から」
「やっと独立したのよ、周りはみんな敵だわ!」
周りは皆敵。
そう悲痛な言葉を放ったニコラは悲しみに染まった表情で、ユーリは息を呑んだ。“無知”とは怖い。一国の王ならば隣国の事くらい勉強しておくべきであろう。
かく言う私も勉強はしておらぬので、直接そうユーリに指摘は出来ぬけど、状況から情報をくみ取って欲しかった。室内の空気が重くのしかかる。
シャスさんもニコラも苦労しておるのが、二人の表情から伺えた。
「雨さえ降ればお金のない家の子供も水が飲める。 作物も育つし家畜も乳を出すわ。 雨さえ降れば、きっと何もかもよくなる。ヒューブはそのための道具を探してたのよ。 あたしたちのために使うとも言ってくれた」
「ゲーゲンヒューバーは、人間のためにその道具を使うと言ったのか?」
「言ったわ」
「……やはり殺してやる」
おそらくそれは、ヒューブが罪を償う為に課せられた魔笛探し、そのための道具とは魔笛の事だろう。
それを…罪を償う為の魔笛を……人間の為に使うだと?またアイツは魔族を裏切るのかッ!グウェンダルは湧き上がる殺意に身を任せた。
その殺気を感じたのか、ニコラが――…、
「どうして? どうしてヒューブにそんなに腹を立ててるの!? 魔族が本当は親切だってことを教えてくれたのも彼よ、好きになるのに魔族も人間も関係ないって、解らせてくれたのもゲーゲンヒューバーよ。 あの人を救うためにあたしは、あんな、あんな好きでもない兵士と結婚までしようと……ヒューブを解放してくれるっていうから」
そう叫んだ。
ニコラの悲鳴に似た叫びと、顔を険しくして殺気を放っているグウェンダルの二人に、誰もが固唾を見守った。口を開く事が出来ぬかったのだ。
詳しい事は知らぬサクラだったが、うっすら覚えておる“昔”の記憶から、グウェンダルとヒューブの複雑な関係も知っておるし、そのヒューブを心から愛しているからこそグウェンダルの発言が許せないニコラの気持ちも判る。
故に、言葉を音にする事は出来なかった。
何とも言えぬ気まずい空気がグウェンダルとニコラの間に流れ――…沈黙した。
「なによっ」
「え、」
「え…オリーヴ?」
今まで話を聞くだけだったオリーヴが、押し殺した声を出して、涙を流すニコラを睨む。
まさか彼女が牙を向けるとは思わなかったので、反応に遅れた。空気を読んでいたユーリも、思わず彼女の名を呟いた。
「なによっ!あなたグリーセラ卿ゲーゲンヒューバーが何をしたのか知らないからそう言えるのよっ! 何も知らないくせにそんなこと言わないでッ!」
「それは…」
拳を握りしめて何かに耐えながら叫ぶオリーブに、ニコラを始めこの場にいる全員が困惑した。 当事者ではないシャスは、魔族と人間の衝突に何とも言えぬ感情に囚われた。
「グリーセラ卿ゲーゲンヒューバーはッ!グリーセラ卿はねっ!」
「おい!」
ヒューブが犯した罪をサクラがいるこの場で言うのかと、先程まで殺気を身に纏っていたグウェンダルも冷静になり、オリーヴの手を掴んで止める。 けれど、それでは彼女高まった興奮は止まらぬかった。尚も心の叫びを口にする。
「グリーセラ卿のせいで、あたしの大切な家族も、友達もみんな死んだのよっ!」
「ぇ…」
『…オリーヴ……』
「グリーセラ卿のことを許せるわけないでしょッ!!」
オリーヴから告げられた言葉はとても重く…、自分の愛したヒューブの罪が想像以上に重い事にニコラは戸惑いながらもその言葉を受け止めた。
“愛した人の罪は私の罪、共に背負わなければいけない”
サクラの結婚式でのスピーチを思い出して、グウェンダルとオリーブに感じていた対抗心を抑えてニコラは、悲痛な顔したオリーヴを見つめた。
―――何も知らないのに、この人達を責めちゃダメなんだ…。
「罪を償うからここを訪れたくせに、人間のために魔笛を使う!? ふざけないでっ!! そんなことっ、そんなこと…あの時戦ったあたし達に対する侮辱だわッ! そんなことが許されるなら返してよ!あたしの友達をっ!家族をっ!返してよッ!!! グリーセラ卿があんなことしなければっ、ジュリアだって死ぬ事はなかった!サクラ様だって……」
『――ぇ…』
――私?
己の名が出た事に驚く。やはり、私は…何か大切な事を忘れておるのだろうか……。
自然と眉に皺を寄せたサクラを見て、グウェンダルはもういいだろうと今度こそオリーヴを止めた。
オリーヴは私と目が合うと口を何度か開け閉めし、視線を真下へ向け…何かを堪える様に真一文字に口を結んだ。
それから、彼女と目を合わせる事もなく――…各々が思う事があって、誰もが口を開かなかった。
サクラは自分の記憶を探り、そんなサクラとオリーヴをチラチラ見るユーリとニコラ。 シャスはこの複雑さに声も挟めず、この場を見守っておる。
痛いほど突き刺さる視線の数を感じながら、私はこれまで眞魔国で出会った人々の顔を思い浮かべた。
『(……誰もが私の顔を見ると、固まるのは何故なのだ……)』
―――信じられぬ、と顔を驚愕に染めたやつもいた、な……。
『(勝気なオリーヴも…涙を浮かべておった)』
重い空気が各々の肌を撫で、沈黙が室内を支配し、空気を読んだグウェンダルがジルダを外に促して。今度はシャスも、グウェンを止めなかった。
(己の知らない事ばかりで)
(己は本来ならばいないはずの人間なのに)
(他の人は己を知っておって)
(不安に思わぬ筈がない)
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