23-5
「小シマロンだわッ」ふりんさんの甲高い声が、衝撃と共におれの耳を劈いた。
ふわりと身体が浮いて、海へと落とされたのだと理解したのは、全身どっぷりと海水に浸った時。布が水分を吸い込んだ気持ち悪さよりも、おれは事態収拾に脳みそを使っていたから、気にならなかった。
数秒前に乗っていた船が、大砲を受けているのだ。
――ここで混乱しないでいつ混乱する!あああッ、村田、村田はッ?!
村田は、おれが守らなきゃいけないんだ。おれがしっかりとしなくちゃ!
普段であれば、女性であるフリンさんを助けるべきなんだろうけど、おれは村田の安全確認の方を優先した。視界の端で、必死にこちらに向かってくるフリンさんを捉えつつ、村田を探す。
やっと見つけたメガネの少年を。
手を伸ばして助けようとしたユーリの視界は、白くもふっとしたもの一色に染まったのだった。
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冬の海は寒かった。
パチリっと音を立てて辺りを照らしてくれる火を、総勢四人と一匹で囲んで暖を取る。ぶるぶる震えが止まらない。
フリンさん、村田、いつの間にか船にいたらしい諜報員グリエ・ヨザック、そしておれ。最後に、唯一の動物――おれ命名のTゾウ。船でおれを助けてくれた額にTの字の模様がある羊だ。
Tゾウはヨザックにしつけられていて。
ヨザックの命令で、おれを助けてくれたらしい。小シマロンの攻撃から助けてくれたのもTゾウだ。
ヨザックは、ずっとおれの近くにいたと言う。そう、彼は漂流した際にいろいろ教えてくれたパワフル爺さんだったのだ!オッドアイの御爺さんは、ヨザックのお友達なのかな?今はいないけど。もしかしたら、魔族なのかもしれない。整った顔してたしね。
「こんなときは、なんか食べて元気つけましょ〜。ちょっと食材を探してきます」
きっと偵察に行ったに違いない。彼もコンラッドも、おれを中心に行動してくれる。Tゾウは、ヨザックと共に洞窟を出て行った。
頼もしい存在に、ずっと張っていた緊張が自然と身体から抜けた。ヨザックがいてくれるなら、大丈夫だという確信。
そうすると、見えなかった事柄を考えるようになる。
ぐちゃぐちゃだった頭の中も、整理整頓されていくのだ。Tゾウに懐かれなくて落ち込む村田を余所に、俯くフリンさんをそっと盗み見た。
「失わなくて良かった」
ぽつりと落とされたソレに、タイミングがいいのか悪いのか盗み見たのがバレたのかと心臓がぎゅっと縮んだ。
「あなたの事」と、グリーンの瞳に射抜かれて、今度は別の意味で心臓が反応した。
「私はどうしても引き継ぎたかった。亡き夫、ノーマンの意思を」
そんなおれの反応なんて気にしないフリンさんは、先を続けた。村田も顔を上げて、静かに傾聴している。
「ノーマンの意思?」
「そう。彼は心から平和を愛した人」
「カロリアから駆り出される若い兵士を助ける為、必死で交渉していた。その交渉だけはずっと続けたかった。いえ、続けなければならなかった」
フリンさんの秘められた想いを垣間見た。
村田がぴくりと反応して。「死んだ夫に成りすましても…かい?」そう抑揚のない声色で言う。
「えぇ、なんだってやるわ。その為に私はウィンコットの毒までも渡したのよ」
なんだってやる、本人が宣言した通り彼女の瞳は意志の強いもので。おれの唇は勝手に、ウィンコットの毒…ぽつりと復唱した。
「そう、大シマロンはそれと引き換えに、小シマロンに圧力をかけると言ってきたの」
――ウィンコットの毒。
彼女と出逢ってから何度も耳にした単語だ。
ウィンコットの毒を引き換えに、おれが必要なんだろ。だからそんなに必死でおれをここまで連れてさ。民を守ろうと、兵士を助けようと助力を尽くしている姿勢には惚れ惚れする――村田を巻き込まなければ、の話だけれど。
おれだけだったら良かったんだ。自由に動けた。
「ノーマンの意志きっと果たしてみせる。カロリアに悲劇はもうたくさんッ」
コンラッドやサクラ、ロッテやギュンターの容態も気になる。早く眞魔国に帰りたいのだおれは。彼女の意志に共感しているおれにも守りたいものや譲れないものがある。
四人の今の状態を知っていたら、もしかしたら、彼女に協力をしたかもしれないな。こんな無理やりじゃなくて。
「こっちにはクルーソー大佐がいる。こうなったら直接大シマロンの本拠地まで乗り込むしかない。……勝手な女だと思ってるでしょうね」
「そんな事はないさ」
彼女の貌は、おれに否定を求めてなかった。
おれは、静かに否定を返した。彼女の痛みを理解できる。フリンさんは、か弱い女性なのに夫に成りすまして民を今まで守ってた。おれと違って行動に移してる彼女は尊敬すべき王の見本だと思う。
徴収した金や食料の上で胡坐をかくだけの王にはならない。私利私欲に溺れる権力者を由とはしない。
フリンさんは、おれの思い描く王様の姿だった。
「フリンさんはいい王様だよ。領民の為に必死でやってる」
素直に頭を左右に振ってみせたおれを、
「あらあら。随分甘ちゃんなのね」
フリンさんの見下す眼力が襲った。
ヨザックが必死で探してくれたこの薄暗い洞窟でも、燃える火の粉のお陰で、フリンさんの整った顔を知らせてくれる。彼女の肌は、青白く見えた。
ゆらゆら揺れる陰に、へなちょこ!っと罵る三男を思い出す。
――そうだね。おれは、彼女よりもへなちょこな王様さ。
皆に助けてもらって、生き延びて。一人では立ってられなくて。でも、ね…人として後ろ指さされる選択はしてないつもり。
誰かを利用するなんて、できればしたくない選択だ。おれも王様という立場から誰かの犠牲で何かを守る選択をするようになるのだろうか。なんかイヤだな。
「でもなー。なんで大シマロンはウィンコットの毒なんて欲しがるのかな〜」
フリンに言わせるために。それとユーリに気付いてほしくて、分かりきった質問を呑気な様子を装って、村田はユーリを見遣った。
フリンに馬鹿にされる構図から一転し、二人の視線は村田に集まる。素直に聞き入れた友達に、ひっそりと口角を上げて。
「そんなもの何に使うんだろーねー渋谷」
「おー?おう」
シリアスな流れじゃなかった?ちょっと拍子抜けしちゃったよーってところかな。
ポカーンと口を開けた生返事をするユーリの表情から、心情を読み取る。実は、誰よりも村田が事件の全貌を把握していた。
毒、取引、コンラッドの腕――ヒントはあちらこちらに転がっているというのに。友は全貌に気付かない。
争いに巻き込もうとしてるフリンには、溜息しか出ない。まあでも――…ユーリにしっかりとした臣下がいたのは、村田を安堵させていた。下がしっかりと守ってくれないのなら、友は託せない。
「箱を手に入れたのよ」
「はこ?」
村田の表情が消えた。気にかけながらもユーリの意識は、フリンに向けられていた。
「えぇ。ウィンコットの毒はその箱の鍵を意のままに操る為のもの」
「なんの話だよソレ」
――ん?
箱って…なんだか聞き覚えがあったような……ぇっと…。
いろいろありすぎて思い出すのに時間がかかるだろうと思いつつ記憶を探るのを止めない。不意に引っ掛かった何かがユーリの脳裏を掠めたが――…
「は、ハハ」
突然聴こえた乾いた笑みによって、中断された。
ばッと洞窟の入り口を見遣った先にいたのは、食べ物を探しにい行っていたヨザックで。彼の背後にいる二つの存在に、三人の間に緊張が走った。
「…陸にも別動隊がいたみたいです」
彼の背後から、二人の人間がヨザックを拘束していて、手が出せそうになく。一緒に行っていたTゾウもまた捕まっていた。万事休す。
「完全に包囲されてしまいました」
(一難去ってまた一難)
(おれ達…どうなっちゃうんだろう)
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