23-4



ヴォルフラムがギーゼラ達温泉旅行御一行に加わって――早数日。

クルミ一行もまたカロリアに向けて旅立った後だという事を知りもしない眞魔国の王であるおれこと渋谷有利は、何故かカロリアの領主ノーマン・ギルビットに成りすました奥方フリン・ギルビットと逃走中である。あ、忘れるところだった、村田も。


――なんでこんな事になったんだろう。

ユーリは遠い目で、眼下に広がる青い海を見つめた。

事の発端は、村田がカロリアの領主に会いたいと、名前を偽って御屋敷にお邪魔したところから始まる。そう、村田は遭難したままだと思って日本に帰る手助けを求めて、おれは戦争を止めようと思って。

で、まあいろいろあった。

刈りポニとアーダルマッチョの乱入と、駆けつけた兵士が持つ武器を見て、おれが魔力を暴走させて――…気が付いたら、牢屋に入れられてて。

限りなく白に近いプラチナブロンドを風に遊ばせて、緑の綺麗な瞳に冷気を纏わせて、牢屋の前に現れた彼女は、おれの隣りの牢屋に入れられていた村田とおれを連れ出したのだ。

何がなんだか分からないけど、属国であるカロリアが、影で大シマロンと会っていたのを気に喰わないらしい小シマロンは、夜に軍勢を率いてフリンさんの屋敷を襲撃。おれ達三人は、命からがら逃げて来たのである。で、今に至る。


「小シマロンがまた!?」

「軍勢を率いて夜討ちとはね」

「今度はあなたの事も調べられるわ。すぐに向かわなきゃ」



正直、あの冷たい牢屋にいるのは心細かったので、味方じゃないフリンさんに連れ出されて、心の中でどこかほっとしていた。

村田はいるけど、いつも牢屋に入れられたり危機的な状況の中にいたって、必ずおれの側にはコンラッドやサクラやヴォルフ達がいた。彼等がいないのはおれにとって日常ではなく感じて、寂しくて心が折れそうだった。


「向かうってどこに?」

「――大シマロンよ」



大シマロンの国境は小シマロンの兵が固めてるだろうから裏をかいて、小シマロンを通って大シマロンへ行くとフリンさんは言った。


「これが私に出来る最後の駆け引き」


この船に乗る直前にそうぽつりとフリンさんは呟いていて。

おれの眼には、その彼女の横顔が、大シマロンの兵士達に襲われたあの教会で見た覚悟を決めたサクラの顔と重なって見えた。





――情報を整理しよう。

フリンさんは、大シマロンとウィンコットの毒と何かと引き換えに取引したようで。

大昔カロリアの地を治めていたというウィンコットの末裔だけが、毒に感染した被害者を意のままに操れることだ出来るらしく――…最後の切り札として、フリンさんはおれを大シマロンへどうしても連れて行きたいみたい。

数日間、牢の中で粗末な扱いを受け、走らされて、挙げ句…囚人に紛れて船に乗れという。

こちらの世界で魔王として過ごして早一年になるが、これほどまでに酷い数日間を過ごしたことはなかったと思う。

今まで、おれは守られていた。おれが誰かに、利用されないために、コンラッドもギュンターも、おれをずっと守ってくれていた。サクラも、ヴォルフラムも。

ギュンターに外で出される食事に決して手をつけてはダメだと言っていた意味を、この過酷な数日間で嫌という程理解した。だから、まともに食べてない。

利用しようとしてるフリンさんを信じたい気持ちもあるけれど、側に誰もいない状態では…おれがしっかりしてないとダメだから。じゃないと巻き込んでしまった村田を、安全な場所へ連れて行けないから。


「(おれがこんなに苦労してるのに…)」

「異国で船旅なんて素敵だねー」

「(村田というヤツは…図太いというか、なんというか……コイツ、異世界だってちゃんと理解してんのか?)」

「地中海の風が頬を撫でる、なーんちゃって」

「…よくそんな気分になれるなっ!」


呆れたように溜息を吐いたおれを振り返った村田の顔には、日本に帰れる不安なんてどこにもなく、


「いーじゃない。もう乗っちゃった船だし、楽しまなくちゃ」


呑気そうに、船の上で感じる風に向かって両手を上げていた。

まあ…村田のこういう所に救われているのも事実だから、文句は言えないか。ぐだぐだマイナスな発言をしても空気が悪くなるし……空気が悪いと言えば、この船…。


「お前もお前だけど――…なんだ、この船。羊の輸送船で囚人を運んでんのか?」

「囚人護送船で羊を運んでるのかもねぇ」


陽が燦々と降り注いでる下で、手枷で体を拘束されている囚人と大量の羊を見て、おれと村田は小首を傾げる。

あくどい顔つきの囚人の横を、ふさふさの愛らしい羊が歩いているのは、不思議な光景だ。船内に続く扉の前には、囚人が逃げれないように兵士の見張りもいる。船にいる人間は全員男しかいないみたい……あ、おれ魔族だけど。


「だけど、あの人、良くこんな船に平気で――…」

「あ」


村田につられて、「あ」と、声が洩れた。

二人の視線の先には、自分達を連れて来たフリンが、厳つい囚人の男三人に絡まれていて。頬が引き攣る。――全然平気じゃなかったー!

彼女は、三人の男の囚人に、誰も来ないところがあるからそこに行かないかと…明らかに慰みものにされる危機的状況なのに、表情一つ変えてなくて。見てるこちらがひやひやする。


「こういう場合、正しい男子の取る行動は一つ!」

「お、おい」


後ろで村田が慌ててたが、おれはフリンさんを助けるぞ!

ずんずんと足音を立てて、騒ぎの中に飛び込もうとしていたおれは、村田がおれの正義感の強さに呆れたように笑ってたなんて気付かなかった。


「き、きみたち…気軽に話しかけないで欲しいんだよね、おれの連れに!ほら、彼女だって困ってるじゃないか」


困ってる女性を見過ごすのは、おれの正義が許せなく、勇気を出して男達に声をかけたのに。

フリンさんは、やけに落ち着いた声音で、「辛いでしょうね」と、彼等に言ったのだ――…。このタイミングでそんな科白を言えば、男達の思う壺になってしまうというのに、何言ってるんだよッ!


「あなた達の気持ち私には痛いくらい良く分かる」


おれの心配は、やっぱり的中することになる。

フリンさんのその言葉に、途端ぎらついた眼になった男達に、おれは襟首を掴まれて。身長差から体が宙に浮いて、首が締まって息が苦しくなった。


「彼女の気持ちを尊重しねーとなぁ?」

「このまま海に放り投げてやろうか、えぇ!?」

「っ、」


酸欠で意識が朦朧とし始めたおユーリを助けてくれたのは、


「ンモシカシテーッ」


ユーリを掴んでいた男が何かに体当たりされて、ユーリの体は地面に転がった。


「、けほッ、けほ――…え、羊?」


――こいつ…さっき変な泣き声してなかったか?

生理的な涙を拭って、助けてくれた羊を見つめる。額にTの字の模様がある羊は、つぶらな瞳で、もう一度ンモシカシテ〜と鳴いた。聞き間違いではなかったらしい。

酸欠でユーリの思考は正常に働いてくれなかった。どうでもいいことをつらつらと考えて、自分で自分にツッコミを入れてた。

だから、いいタイミングで現れた羊が、誰かの指示によって助けてくれたなんて気付かず。

唯一気付いていた村田が、ユーリを助けた羊が現われた方向に視線を向け――…その先にいた体つきの良い老人の姿に目を細めていたことにも、ユーリは全く気付いていなかった。

太陽に照らされた村田の瞳は、眼鏡越しに黒く光っていた。





「ほら!さっさと動けッ」


罵声が聴こえて、ふっと意識が浮上して。

フリンさんの事を唐突に思い出し、慌てて駆け寄り、「フリンさんだいじょう――…」と、声を掛けてる途中にも、


「おらッおとなしく座ってろッ」


見張りの兵士が、フリンさんに絡んでいた男三人に叫んでいるのが耳に届いた。船の上に大きく響いている罵声に、いい気はしない。

フリンさんに絡んでいた悪い奴等だったけど、無抵抗な彼等の背中を蹴飛ばしている兵士を見て、おれは眉を寄せた。


「かわいそうに」


おれが駆け寄っても表情を変えなかったフリンさんが、ここへ来て初めてその整った顔を悲しみに染めている。

おれと羊の乱入がなければ、アイツ等のいいようにされていたのに、慈愛とも取れる発言をする彼女が理解できなかったが。


「辛かったでしょうね……どんなに故郷に帰りたかったでしょうね…」

「どーいうこと?」


続けて放たれた科白に、小首を傾げた。――なに、あの人達わけありなの?

同じく小首を傾げてる村田が、隣に並ぶ。ちらりと村田を見遣って、囚人達をじっと見つめてるフリンさんに視線を戻した。彼女の緑の瞳には、くたびれた囚人服に包まれた男達だけが映っている。


「みんなシマロンのせいよ」


憎しみが込められていた。

この声音には聞き覚えがある。ヴォルフラムやギュンターが人間を根絶やしにするとか言っていた時の声の感じだ。

今は、おれがいるからかもうそんな声で、殺すなんて言わなくなかったけど。

ぎりッと拳を握りしめるフリンさんを、おれは冷静に見つめた。憎しみはおれが望む平和から遠ざける感情だ。おれはそれを既に学んだ。


「この人達は囚人なんかじゃないわ。捕虜なの。シマロンと戦って敗れた小さな国々の兵士達なの。この頃じゃあ正規の輸送船じゃ足りなくて、こんな民間船まで使って運んでるの」


――ほりょ…。

ほりょ、ホリョ、捕虜!?


「そーいう事か」


村田が納得した言葉を発した横で、おれは頭の中で大量の疑問符を飛ばす。

囚人じゃなくて、捕虜?捕虜がなんでまた民間船で運ばれてるんだ?


「全てはシマロンが始めた世界統一戦争のせい。カロリアの兵士達もその多くが捕虜になったわ。そればかりじゃない、カロリアを属国にした小シマロンは新たな若者達まで連れて行ってしまう――…眞魔国の戦争のために」


おれの疑問は、感情を押し殺したフリンさんの言葉によって解決された。

愕然として。「そんなこと…」と、呟いた。世界統一戦争なにそれ。理解したくないワードが出て来た。世界を統一するために、弱国の兵士を徴集して、おれの国と戦争を?そんなこと絶対させない。


「あなたはその若者達を救う大切な切り札なのよ、クルーソー大佐」


なにを勝手なことを言ってるんだ、と言いたい。だけど、彼女の言っていることが本当なら、おれはそれが真実なのか見極めなければならない。

フリンさんが、ウィンコットの毒とその使い手だと思われているおれを、大シマロンへ連れて行こうとしているのは――…彼女の国の兵士達も囚われているかららしい。

巻き込まれているのは甚だ腹が立つ、でもそうも言ってられない事態へと発展しているようだし、困っている人が目の前にいるのに無視するのはおれの正義が許さない。


――サクラだったらどうするだろうか?

サクラもおれと同じで首を突っ込みたがる性格をしているから、きっと利用されると分かっていても、甘んじて受け入れるのだろう。

コンラッドがいたら、困った顔して、おれの背中を押してくれるに違いない。

おれのせいで、ギュンターが弓に射られて、ロッテの安否も分からない……知りたいことが沢山あるけれど。沢山の魔族達に支えられておれは今ここにいるんだ。だから、おれはおれの思う信念の元に、突き進もう。

遠回りでもそれがきっと彼等と無事に再会出来る道筋だと思うから。



そう決意したその時――…船が大きく揺れた。





(なに、なんなのッ!?)
(今度は一体何が起こったんだ)



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