23-2



コンラートの弟――フォンビーレフェルト卿ヴォルフラムは、一番上の兄フォンヴォルテール卿グウェンダルに、勝手な行動を慎むようにと厳しく言われ、どうすればいいのか途方に暮れていた。

彼の婚約者魔王ユーリが、小シマロン領のカロリアにいるとグリエ・ヨザックの文により知り、駆け付けたいのに兄上はそれを善しとはしなかったのである。

その前に、漆黒の姫ヒジカタサクラの部下――ブレット卿オリーヴと眞王廟に行き、ウルリーケからユーリが人間の土地にいると訊いたから、ヨザックからの情報は信憑性が高いと言えるのに。


「(ユーリ…)」


生きていると知って少しばかり安心したけど、元気な姿をこの眼で見ないことには心から安心出来ない。会いたい、ヴォルフラムの胸中はその想いでいっぱいだった。

グウェンダルとしては、何事にも一直線な弟の暴走を止めたいという想いも確かにあったのだが……人間の国が箱を手にしたと…そちらの方にも手を回さなければならなく、魔王の留守中に王城にいる人数を減らしたくなかったのも理由の一つだった。

ヴォルフラムについている部下も、弟が暴走すれば一緒に暴走するだろうから。

ヴォルフラムが言い出す前に、魔王を迎えに行く部隊の手配をした後だったから、ヴォルフラムが行くとなると人選を変更するために時間を割かなければならなくなる。時間の無駄だ。

火事に遭った教会の立て直しにも、箱奪還の方にも、王城を守る軍隊の手配と十貴族に連絡を取らなければならなくて――…王佐がまともに動けていたら、ここまで苦労はしなかっただろうにと、長兄の溜息の数が増えている事実にヴォルフラムは気付かなかった。


「あら、閣下、先程はどうも」


不意に、自分に声をかけられて。のそりと顔を上げた先に、馬をつれたフォンクライスト卿ギーゼラがいた。

今日はもう休むのか、普段の軍服ではなく私服姿で。


「ギュンターなら兄上と一緒だぞ。椅子の上でぶつぶつ呟いてる」

「えぇ。姿はどうであれ元気そうですし、これを機に休みを取ることにしたんです。ね?」


ギーゼラは、彼女の背後にいた兵士二人を振り返り、その片方――ハゲの兵士が、「はい」と頷いていて。

ぴかりと光る頭の持ち主は、確かに見た事がある。ダカスコスだったか。もう一人の目付きの悪い男は見覚えはあるが名前は知らない。そう思考しながらヴォルフラムは、頷きギーゼラに視線を戻した。


「なるほど、今ならギュンターも煩いことを言わないだろうしな」

「父の部下の方々には、いつもご迷惑をおかけしていますから。温泉旅行を計画したんです」


――温泉?

ヴォルフラムは、眼下でふわりと笑うギーゼラの恰好を凝視した。

彼女の後ろにいる兵士二人の馬にも、小さな荷物しか乗ってなく、思わず、「温泉…その軽装で?」と言ってしまい、ギーゼラから苦笑を貰った。


「閣下は貴族の御旅行に慣れていらっしゃるから。衣装箱を持たない女が珍しいんですね。私は軍隊の生活が長いので、汚れて困るような綺麗な服を着ないんです。動くのに神経を遣うでしょう?」

「(ふぅん)」

「ヒルドヤードからヴィーア三島に向かうつもりです。調子が良ければもっと先まで足を延ばすかもしれません」


自身の母親を脳裏に思い浮かべて、そんなものなのかと相打ちをした。

ちょっとそこまで行くだけでも一日に何回も着替える事を考えて衣装を沢山準備するのが当たり前だが。それは貴族だけらしい。初めて知った。

庶民の生活を知りたがるユーリやサクラも、ギーゼラのように軽装で動くのが好きなのだろうか。


「帰国が遅れたら義父のこと、よろしくお願いします」


二人の事を思い浮かべて頬を緩めたのは一瞬で。

ユーリの無事も確認してないし、サクラの安否は未だ判らない。彼女の部下が必死に捜しているのに、手がかりさえ見つかってない――…婚約者が大変なことになってるのに、コンラートは何をやってるんだ。

ヴォルフラムの脳裏を次兄の腕が過ぎって、気持ちが沈んだ。だが、人がいる前で腑抜けな顔は見せられない、その考えのもと、「ああ、おキクのほうに伝えておく」と、ギーゼラ達に力強く頷いてみせた。

それを見たギーゼラが緑の瞳を細め敬礼をしたのち義父の部下二人と出発していった――…。

ユーリが人間の兵の軍団に襲われ、サクラとコンラートの生死も判らない、眞魔国はユーリが王となってから初めての混乱の最中にいるのに、ギーゼラが今一緒にいた兵士やギーゼラ本人は、徴集の命はおりてないらしい。


――まあそうか。

領主である長兄や、先鋭部隊を持ってるヴォルフラムやサクラなら話は別だが。

ギーゼラが連れていた義父――ギュンターの部下は、城を警備する兵のほんの一部だ。王の護衛隊はコンラートが。つまり寄せ集めの兵士をギュンターが管理している。王城に仕えている全ての兵を率いているわけではないから。

彼等はどちらかというと雑用が主とした兵士で。故に、この緊急事態でも長い休みを貰っても別に問題はなく、ああやって温泉旅行に……って、ギーゼラはどこに行くと言った?


「ギーゼラ!」

「どうしました?」


ヴィーア三島…シマロン領の西端だ。ノー・ダン・ヴィーアからはシマロン本国への船が出ている筈。それなら、ユーリがいるカロリアに行ける!

微笑みを携え振り返ったギーゼラは何を言われるのか見通したような余裕の顔をしていて。


「ボクも行っていいか」


表立って部隊として動けば、自分達の部下も長兄に罰を受けるだろう。だから連れて行けない。

自分一人が行って、自分が罰を受ければいい。どんな罰でも、ユーリに会えるならそれでいい。ユーリの側には頼りになるコンラートも、サクラもいないんだ。早く会いに行かなくちゃ、ユーリはへなちょこだから今頃泣いてるかもしれない。


「慰安旅行に、ボクも、行きたいんだ」


「ええ、もちろん」と、慈愛のある笑みを浮かべる横で、ダカスコスが、「貧乏旅行ですよー」と、呆れたような声で笑ってる。

馬に乗っている目付きの悪い男は、矢立を大事そうに抱え、ヴォルフラムを一瞥しただけだったが異論はないらしい。

門の前で待ってくれているギーゼラ達に馬を持ってくると言い、厩舎に向かおうとしたら、屋根の下にいたヴォルフラムの耳に、


「お待ちくださいっ!」


と、切羽詰まった女の声が届いた。

大きなその声は、外にいたギーゼラ一行の耳にも届き、全員の視線が厩舎の方向から現われた女性に向けられた。

長兄の部下に聴かれていたら引き止められるとひやりとしたのだが――…そこにいたのは、ヴォルフラムの母に似た顔立ちの女性だった。

“昔”は、母上に似せる為か、彼女の髪型は長かったが、今は母に似た金髪はミディアムの長さで、ツェリと唯一違うのはその蒼の瞳だった。ヴォルフラムもツェリも緑の目だから、そこだけ違う。ヴォルフラムはその女性に見覚えがあった。母親の影武者として利用されていた女性…確かカンノーリだ。

伯父のせいで故郷も失ってしまった。他人事のようだが、伯父のせいだと考えれば、少なからず罪悪感をヴォルフラムに植え付ける。


「おれ達も、連れてってくださいッ!」


カンノーリの隣りにも誰かいたらしい。元気よく放たれた声に、全員でそちらを見遣る。

カンノーリと同じ金髪の少年もまた、ヴォルフラムは見た事があった。いつみても四方八方にはねている髪をどうにかしろと会うたびに思っていた。

自分よりも十二も年下の少年は、意思のある蒼目をこちらにじっと向けている。否定の言葉は認めないと言っている眼だ。


「おれっ…もう待ってるだけは嫌なんですッ」

「厚かましいとは思いますが…どうかお願いします」


サクラは、まだ見つかってない――…。

主の生死が分からないのは、どれだけの恐怖や不安に苛まれるか、火事現場から消えたユーリの事ばかり考えていたヴォルフラムには二人の想いは痛い程理解できた。

どうしますか?と、緑の瞳をこちらに向けているギーゼラに、いいんじゃないかと意味を込めて頷く。指示を仰がなくとも、これはただの温泉旅行なのだ。自分にいちいち訊かなくてもいい。


「多い方が楽しいですから、いいですよ」

「楽しくなりそうですねぇ〜」


ギーゼラとダカスコスの笑顔での言葉に、頭を下げていたカンノーリとナツは顔を見合わせて喜んでいる。

そんな二人を見て、ギーゼラもダカスコスも目元を和らげていたし、目付きの悪い男も優しく見守っていた――…その光景を後方から見つめて、ヴォルフラムはそっと目を閉じた。


――こんなにも、ユーリもサクラも、魔族に慕われている。

このタイミングでギーゼラが慰安旅行を計画したのも、恐らく人間の国へ行きたかったからだろう。だからわざわざそれをヴォルフラムに伝えた。


「(…コンラート)」


サクラと同じく、生きているのか判らない兄に想いを馳せる。


――コンラートがいないなら、ボクがユーリもサクラも見つけるから。必ず見つけて、守るから。だから早く姿を現せ。

ヴォルフラムは、ポケットから貝細工の釦を取り出して、そう強く願った。

手の平の上に転がる釦は、煤で汚れていて…次兄が必死で王と姫を守った証だ。同時に戦闘によって起こった火の手の激しさを物語っていた。





(失う悲しみはもうこりごりだ)
(ユーリもサクラもコンラートも)
(無事だと信じて捜し出してみせる)



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